第26話 帰らなきゃ

「帰らなきゃ……!」


 焦燥感に駆られ、ルナはエルヴィンの腕を振りほどく。しかし、足に力が入らず、その場にべしゃりと倒れ込んでしまった。


(あんなにも焦がれた風景なのに! こんなにも綺麗な黄金の空なのに!!)


 自分の命を焼いてしまう太陽が昇り始めている。その事実が恐ろしくてルナは泣き出してしまう。


「ルナ、立って!」


 ニャーとルナの目の前まで来て、テネが叫ぶ。


「無理だよ! 身体が動かない!!」


 地面を握り締め、ルナはボロボロと涙を流す。


 こんな所で死ねない。


(違う! 私は死ぬのが怖い……! 死にたくない……!)


 動かない身体を何とか引きずろうとするも、一ミリしか動いていない。


「ルナ……? ――?!」


 エルヴィンが目を覚ます。隣にいるはずのルナに目をやったが、いない。確かに腕の中にいたはずの感覚をまといながら、目線を前にやる。


「ルナ!!」


 目の前に倒れるルナに気付き、エルヴィンは急いで駆け寄った。


「どうしたんだ?」

「エルヴィンさん、私、帰らないと」


 ルナはエルヴィンに上半身を起こされるも、腕に力が入らず、だらんとしてしまう。


 涙を流すルナに気付き、エルヴィンの夕日色の瞳が心配で翳る。


「ルナ、君のこの状態では心配だ。また俺の部屋で休んで行くか?」


 ここから警備隊の隊舎の区画まで行っていたら、あっという間に太陽は昇る。


「お願い……エルヴィンさん、私、帰らないと……」


 ルナの家がある森まで、この高台からならすぐだ。


「早く帰らないと……」


 そんなことを言っている間にも、空がどんどん黄金に包まれていく。ルナの身体がガクガクと震えだす。


 どの程度太陽に当たるとどうなるのかなんて、わからない。今はルナがこの世でたった一人の魔女なのだから。その身一つに受ける代償を思うと震えが止まらない。


 ルナの脳裏には幼い頃に焼けた腕の痛さや苦しみや悲しみが蘇る。


「いやあああ!!!!」

「ルナ?!」


 ルナはパニックになり、呼吸が浅くなる。エルヴィンの呼びかけにも応じられない。


「ルナ、落ち着いてくれ! どうしたんだ?!」


 自身の顔を覆い、その場に泣き崩れるルナに、エルヴィンは必死に身体を支える。


「太陽……」

「太陽?」


 とめどなく涙を流す金色の瞳を大きく開け、ルナは呼吸を止める。


 エルヴィンがルナの目線の先を追えば、黄金に染まる空の中、地平線から太陽が出ようとしていた。今日も雲が多いが、太陽の光がしっかりと漏れ出ようとしていた。


「ひっ……」


 ルナの言葉にならない声が、エルヴィンの胸の中で響く。


「ルナ?」


 覗き込むエルヴィンの背中越しに、黄金の光が差し込むのが見えた。


(あんなに見たいと思っていた光が、私を殺す……)


 エルヴィンが丁度影になっていたものの、肌が露出していたルナの足の部分に光が刺す。


「きゃあああ」


 じゅわっと音がしたかと思うと、ルナの足が焼かれた。


「ルナ?!」


 突然の出来事だったが、エルヴィンはとっさに自身の隊服のマントでルナを素早く覆った。


「こっちだ!」

「猫……?」


 ニャーン、と叫んだテネにエルヴィンが気付く。


 付いて来い、というように歩いては振り返るテネ。


「ルナの家族か!」


 瞬時に理解したエルヴィンは、ルナをマントに包んだまま抱きかかえた。


 走っては立ち止まり振り返るテネの後をエルヴィンも、腕の中のルナに負担をかけないようにしながら、急ぎ足で追いかけた。


 エルヴィンはルナを抱えたまま、高台を駆け降りる。


 外壁沿いに進んで行けば、テネがある所でピタリと止まる。


「こんな何も無い所でどうしたんだ?」


 エルヴィンの問いかけに、ルナは息も絶え絶えに壁に手を付く。


 魔法で隠された入口がぽっかりと浮かぶ。


「こんな所に、抜け穴が?! 検問口から離れたこんな所に……君はいったい……」


 愕然とするエルヴィンに、テネがニャーンと鳴く。


 ルナの息が荒い。早く家に届けなければとエルヴィンは思い直し、テネの後を追いかける。


 森を少し進むと、小さな小屋があった。入口に鍵はかかっておらず、エルヴィンは躊躇いながらもドアを開ける。


 中は朝だというのに暗く、唯一の窓には遮光カーテンがひかれ、一筋さえも光が入るのを拒んでいるようだった。


 薬草やら薬の瓶やらでごった返している奥に、寝起きしているスペースがあるのをエルヴィンは見つける。


 エルヴィンは布団の上にそっとルナを降ろす。前髪をそっとよければ、苦しそうなルナの顔が見える。


「勝手にすまない」


 エルヴィンは小屋の中を見渡し、洗面所を見つける。近くにあった桶に水を張り、かけてあったタオルを掴む。


 先程焼けたルナの足は幸いにも火傷程度のようだ。


「これくらいなら冷やせば大丈夫だ」


 エルヴィンは桶の水をタオルに含ませ、絞る。ルナのワンピースを少しだけ上げ、足にタオルを置いた。


「これ、薬」


 ニャーンと塗り薬を持って来たテネに、エルヴィンはビクッと顔を赤らめる。


「お、お前の主人の手当だ! やましいことは無いからなっ!」

「わかってるよ!」


 呆れた声でテネが返すも、エルヴィンにはニャーンとしか聞こえない。


 ふう、とため息混じりでエルヴィンに薬を頭でグイグイ押し付ける。


「塗り薬……? お前、かしこいなあ」


 感嘆したエルヴィンは薬を繁々と眺めたあと、容器の蓋を開け、ルナの足に塗る。


 近くに会った薬箱の中から包帯を取り出し、エルヴィンは器用にルナの足に巻いていく。


「おお、さすが騎士」


 感心するテネの声はエルヴィンには届かない。


 足の治療を終えたエルヴィンがルナの頬に手をやり、顔を覗き込む。


 ルナは気を失っていて、顔色が悪い。


 そうだ、とエルヴィンは自身のポケットからルナの飴型の薬を取り出す。


「今が必要な時だ」


 ルナは寝ているが、エルヴィンは言い聞かせるように言った。そして、薬を自身の口に含み、小さく噛み砕く。


 ルナの上半身を少しだけ起こし、エルヴィンは顔を寄せ、そっとルナの唇に自身の唇を重ねた。


 そして、ルナの口内に薬を押し込める。


「ゆ、ゆゆゆゆ、友人?!」


 一部始終見守っていたテネの白い身体が、真っ赤に染まった。

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