短編集〜ソレがいた場所 他〜
時任桂司
ソレがいた場所
僕は、生まれて間もない頃に施設の前に捨てられていたのだという。
最初の施設から移る時に、そこの職員が僕にくれた記録にそう書かれていた。
その養護施設は、妙に記憶に残っていた。
大人になった今だから分かるが、他の養護施設とは違って妙に隅々まできっちりとしていて、そこにいる大人達もただの養護施設職員という感じではなくて、なんというか、学者のような、研究者みたいな人達が何人もいた気がする。
だからといって、何か変な事をされたわけでもない。子供達のスケジュールや素行に関してはやけに厳しく管理されていたが、それ以外は別に普通の、過ごしやすい施設だったと思う。
厳しかったからか、他の施設のようないじめなんかがなかったのも要因だったのかもしれない。
だからだろうか、仕事の出張先があの施設の近くだと分かって、なんとなく行ってみようと思ったのは。あまりにも昔なせいで記憶が美化されているのか、いくつも渡り歩いた施設の中では、あそこが一番マシだったように感じられて、気になってしまったのだ。
肌寒い秋口、しかも小高い山の上にあるその施設。子供の頃は出かけるにも山のふもとまでやけに長く感じられたものだが、今となってみれば10分と経たず踏破できた。
「うわぁ、ボロボロだ」
つい口をついて出た感想は、しかしそうとしか言いようがなかった。
随分と前に閉鎖されてしまったらしい。
かつては手入れの行き届いていたその養護施設は、今は見る影もないほどに寂れ、すっかりボロボロの廃墟と化していた。
普通はそこで引き返すのだろうが、懐かしさゆえなのか、何を思ったのか僕はその薄気味悪い廃墟の中を見てみようという気になっていた。
踏み入れたそこは割れた窓などから落ち葉が入り込み、床も歩くたびにギシギシと不気味な音を立てる。いったいいつから人がいなくなったのだろうか。この寂れ具合だともう10年以上は経っているように見える。案外僕が他の施設へ移って間もなく閉鎖になったのかも知れない。
「あぁ、この中庭でよく走り回ったっけ」
朽ち果てた遊具のそばで、中庭を見渡す。
かつで自分達が寝ていた部屋も、こっそり忍び込んだ台所も。どこもかしこも埃を被っていて、長いこと人が立ち入っていない事を伺わせた。
そういえば、と建物の奥に足を向けた。
かつて一度だけ、そこに行ったことがある。
子供達は絶対に立ち入ってはいけないといわれていた部屋。普段の生活の導線とは切り離された場所にあって、そこに行く目的でなければ近付く事もない。それに子供の誰かが好奇心に負けてその近くにでも行こうものなら、他に何かやらかした時とはくらべものにならないくらい烈火の如く叱られるから、どんな悪ガキでもそこに近付く事はしなかった。
「あぁ、ここだ。間違いない」
しかして、院長室の札が掛けられた部屋は、今やパックリと口を開けて、誰をも拒まぬ状態でそこにあった。
そしてその部屋のさらに奥にある扉をくぐると暗い階段が地下へと続いていて、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
もう電気も通っていないせいで、その階段は深淵に続くかのような闇と静寂で満たされていて、まともに考えればこんなところを下って行くなんて正気の沙汰ではなかったが、僕は躊躇いもせずそこへと踏み入れた。
いつも持ち歩いているフラッシュライトを
まだ2、3歳の頃だったか。
物心ついてまだまもなくといった時分。あまり物も理解できない年頃だった僕は、この立ち入り禁止の場所についてまだ誰からも教わっていなかった。
そしてなんの偶然が重なったのか、僕がここに迷いこんだ時は誰もそこにいなくて。止める者もなく奥まで入り込んでしまったのだ。
「ここは、なんなんだ……」
地下3階か4階くらいだろうか、それなりに長い階段を下まで降りて、そこにある扉を開くと、所々にある赤色灯や非常灯の光で薄ぼんやりと照らされた無機質な通路に続いていた。
驚いた事に、ここは上と違ってまだ電気が生きているらしい。
この施設に対して抱いていた印象はあながち間違いではなかったようだ。
そこはさながらゲームに出てくる秘密の研究施設といった様相で、よくわからない器具やファイルなどがそこら中に転がっていた。
「確か、こっちだったっけ……」
何がここまで僕を突き動かすのだろうか、明らかに自然ではない壊れ方をした施設の中を、それでも朧げな記憶を頼りに歩を進めていく。
あの時はよく分からない、人もいない場所が不安で、左手を壁につけながらずっと壁伝いに歩いていったんだっけ。
一歩進むごとに、段々と記憶が蘇ってくる。
そうだ、この先だ。ここの角を曲がった突き当りだ。
思った通り、そこはかつて僕が行き着いた部屋へと繋がっていた。ただ、そこには見覚えのない巨大な金属製の壁のようなものが鎮座していた。
通路を塞ぐように左右からせり出したそれはしかし壊れているのだろうか、閉じかけた状態のまま動かなくなっている。
ライトの光に照らされた扉には
引き返すべきなのかも知れない、何か有毒な薬品でも扱っていて、気化したそれが漂っている可能性もある。
でも僕は、何かに突き動かされるように、わずかに開いた壁の隙間からさらに奥へと足を踏み入れた。
行き着いたその先、道中にいくつもあったものよりも何倍も広い部屋、その大きな窓付きの鉄扉を目にした瞬間だった。
「――こんな所――子供――」
「―――アレは――餌を―――大人しい――」
「――怖い……」
「――こっちへ――お
「もう、ここへ戻って来てはいけないよ。決して、ね」
覚えのない言葉が、光景が、感情が、次々とフラッシュバックして、僕はめまいがして思わずその場にしゃがみ込んだ。
「うっ!」
頭が痛い。クラクラする。
自分の手を見ると、小刻みに震えていた。
どうして、こんな事を忘れていたのだろう。
「そうだ……そうだった。思い出した……あの時、ここには……」
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