第31話 《大図書館》

 人の信頼が一瞬で崩れ去ってしまうように、今までやっとの思いで積み上げてきたはずの日常の崩壊も一瞬で起こってしまう。

 

 暗黒に包まれようが、閃光に焼かれようがそれは、世界の理に従う限り普遍であり、不滅である。



(……あ、あぁ。あぁぁぁ________)

 


 言野原進は、叫びたい気持ちはあれどそこで声を上げて叫ぶことができずにいた。

 叫んではいけないのではない。

 

 なんなら誰もいないのだから叫んでも大丈夫だろう。

 しかし叫ばない。


 

 否、叫ぶことができないのだ。


 

 なぜならば、そこは本来進と言う人間が一人でに行くことができないはずの場所、《大図書館》という特殊空間だから。


 

 だから、どんな吐き気をともなう気持ちが心の中でわき起ころうとも、騒ぎ散らして気を紛らわすことも不快感を吐き出すこともできなかった。

 

 

 真昼のような白い灯りがいつものようにポッと灯っていたそこは、今は一つばかりの星も月もない真夜中のように真っ暗闇になっていて、あれだけ生き生きとしていた数多なる本棚たちにも埃らしきものが被ろうとしている。

 


 そして何よりも、その場所に彼女がいなかったことが進は一番悲しい。

 


 進がここにくるたびにパァと嬉しそうに顔を綻ばせる彼女が。

 進はそれがやはり一番受け入れることができなかった。

 

 ここにきた時、彼女の元気な声に進も元気をもらっていたのに。



(夢ならさぁ、どうして目覚めないんだよ。ここから出してくれよ。なぁ)

 


 薄暗いとも、薄気味悪いともまた違う。

 もはや、真っ暗闇とすら言い難いような異質の空間の中で、進はひたすらに呼吸を荒くした。


 

 《精神世界》のためここでの呼吸は生命活動には関係しないが、逆に《精神世界》のために感情というものはこの世界において大きく作用する。

 それでも、進の見たものはそんな認識を忘れてしまうくらいには強烈なものとなっていた。



(……あ、れは)

 


 探して、探してまた探して。

 進がやっと見つけたのは、あたり一面に飛び散った赤色。

 

 どす黒さが勝った、鉄錆の臭いのまるで血のような。


 

 否、それは紛れもない血液であった。


 

 なんの? 

 

 決まっている、ここにいるのは彼女だけ。

 それ以外は何もいない。

 

 あの明るい《少女神》しか。


 進はその瞬間。

 己の思考の理解を全面的に拒否した。

 

 それを認めてしまったら何か壊れてしまいそうな気がして。

 そうして微かな希望を胸に偽って、その先を見る。

 

 

 あった。

 

 何が。

 

 一つ。

 

 片方だけ。

 

 体が。

 

 足が。


 

 進は、吐きたくなった。

 

 吐けないとはわかっていても、今だけこの一瞬だけは。


 

 今だけは、吐いて吐いて、この気持ちを一瞬でも忘れてしまいたかった。

 しかし、それは叶わなかった。

 

 メモリーという少女に会ってしまったのがあるいは運の尽きだったのかもしれないな、と進は朦朧とした意識の中で現実逃避ぎみに思った。


 

 数十分経った。

 いいや、正確には数時間が経ったかもしれない。

 

 それで立ち上がれる、ちゃんとした思考を持てるくらいには落ち着いた彼は、やっと現実と向き合うことを覚悟した。



(まずはどうしてこうなったか、か。ったく、考えたくない今にはぴったりなお題だ)

 


 これに関しては、考えなくとも答えが進の頭の中に思い浮かんでくる。

 無論、原因は《ハンター》だろう。

 

 奴らは進の目の前で彼女が目的だと言うのに頷いていたから。


 進は、ギリリ……と歯軋りをしたがそれで何かが始まるわけではなかった。



(次に、メモリーの安否だけど……)

 


 大丈夫だろう、と進は長く息を吐き出しながら考えた。

 なんせ、彼女は力を大幅に失っているとはいえ世界を作り出した《原初の四神》の一柱なのだから。


 きっと、足が一本なくなったくらい自分でどうにかするだろう、と。

 

 そうやって進は自分を落ち着かせたかったのもあったのだろうが、そもそも彼女を信頼していると言う側面もあった。

 

 そういえば、と進は思い後ろを振り返る。


 

 そこには延々と続く本棚があった。


 

 ここには数回来ているわけだが、進はその本棚に仕舞われている本について何もみたことがなかったな、と気がついたのだ。

 

 メモリーがここの管理者としているくらいには大切な場所なのだろうか、と考えてみる。

 そもそも、進は《大図書館》というのがどれくらい重要なのかを知りはしなかったが。

 

 リン、という音がした気がして、進はふとそれにつられるように近場にあった本に手を伸ばして、それを手にとってみる。

 

 千ページ以上はありそうなかなり分厚い本だったがそこまで重さは感じず、不思議なくらいだった。

 進は本をめくって適当なページを読んでみる。



(何、だこれ)

 


 結論からいけば読めなかった。

 いや、書いてある文字自体は多少は読めた。



(ここは日本語、英語に、韓国語……。これはこっちの世界での琉球語っぽいな……。アラビヤ語っぽいのに、ロシア語っぽいの。古代ギリシア文字まであるし、こっちは象形文字?)


 

 ただただ、文字の配列が意味不明だった。

 複数の言語が入り混じり、文脈さえも掴むことができなかった。



(メモリーはこれを読んでるのか? それともこの本自体彼女以外には読めないように《魔法》がかけられているのか?)

 


 彼女なら、可能そうだなと進は思った。

 仕方がないので気の向くままにパラパラと本を最後までめくってみて、閉じようとした時、ふと読める文字列があったように見えた。

 

 そこまでページを振り返ってみると案の定日本語だけの正しい羅列で書かれている一ページがあった。

 しかも、そこには……。




『進君へ

 

 このメッセージを読んでいるということは、今そこには私はいないのでしょう。

 と、死者からのメッセージ風に書き出してみましたが……、ここで敬語なのなんかむず痒いからやめるね。


 

 そこに私がいない理由は今の私にはよくわからないけど、おそらく心中したわけじゃないだろうから安心して。

 いや、恋人でもない私がそんなこと言うのはおかしいかな。

 


 とりあえず進君は今の所何も心配しなくても大丈夫だよ。

 前にも言ったけど、私の力を使えば簡単ま未来予知くらいはできちゃうから。

 進君にとっては胸糞な展開かもしれないけど気にしないで。

 

 

 っと、初っ端から話がずれたね。大きくそれちゃった。

 本題にそろそろ入ろうかな。


 

 ……進君、君はまず私の心配をするよりも先にこの世界についてもっと知った方がいい。

 ううん、この世界よりも先に君自身のことをもっと。

 

 君は、自分が思ってる以上に君が世界に与える影響は大きい。


 

 信じてないだろうから、例を挙げるとね……、例えば君が転移した日のあの戦闘。

 

 あの男も《ハンター》の超下っ端だったってことは大体気がついてると思うんだけど、あそこで本来なら星見琴光には多少なりとものダメージが入るはずだった。

 

 最悪死んでいたかもしれないんだ。

 それを進君は止めてしまった。

 君もその光って子も生き残るという最高のルートでね。


 

 もう一つ例を挙げてみようか。

 

 

 例えば、《天智見広》。

 彼は幾万、幾億それ以上ほぼ全ての《セカンド》に存在する人間だった。

 


 もう進君に何も包み隠さずに教えることにするけど彼は《単一世界》ってところに転移した。

 そこまではいい。

 

 でも、転移する前までそこに進君がいたんだ。

 

 進君の存在が彼の心の芯を折れないように守ったんだ。

 本来、進君に会わなかった世界線の天智見広はそこで心が折れていたのにね。


 

 と、これで信じてもらえたかな。

 まぁ、言ってもこうなるはずだったってだけだから信じてもらえてないかもしれないけど。

 

 それでもいいよ、私のこの話を最後まで聞いて。


 

 最後の方だけ覚えてくれていればいいから。

 ここまでもことは全部忘れてしまったとしてもここからのことを全部覚えていてくれたらいいから。

 

 じゃぁそろそろ元の話題に戻るよ。


 さっきも言った通り、君は君自身の奥底についてまだ全然知らない。

 無知と言ってもいいくらいに知らないんだよ。

 


 ……自分自身について調べろって言われても、よくわかんないよね。わかったらすごいんだけど。

 皮肉なことだよね。

 

 人間は自分自身のことを知ることができないなんて。

 

 そうだな、進君がもしも私のこの言葉を信じて調べようかなって思ってくれたのなら、真っ先に《ウエポン》がどうして人間たちに宿ったのかを調べることをお勧めするよ。


 

 それでやっと進君はこの先の物語に進んでいける。

 一つ心配なのは、地上にその知識がまだ存在しているかっていうところだけどね。

 


 ここの本を本当は読ませてあげたいんだけど、さすがに進君とはいえ神の世界の知識の一端を人間一個人に渡すとなるとね、進君の体がもつかわからないから。


 

 さてと、長々と書いてるこの文章を読んでくれてありがとうね。

 なぁに、大丈夫だよ。

 

 ちゃんとした未来の道順さえたどっていってくれれば、進君は死んだりはしないよ。

 

 この《知識の神》が保証するから。

 だから進君。そのちゃんとした未来の道順へと君をいざなうための私の最後の神託、受け取ってね。 メモリーより』


 

 そこに書かれていたのは、メッセージであった。

 進は、パタンと今度こそ本を静かに閉じた。

 

 そして、元あった場所にそっと戻した。



(信じるだって? ふざけんな。信じてるんだよ、お前のことは。俺を巻き込んでおいていまさら信じてくれるはねぇだろ)


 

 進は、苦笑しながらそう思った。



(神託? 受け取ってやるよ。馬鹿野郎)

 

 

 初めてだった。

 初めてここで、言野原進は本当の意味で人を救いたいと思った。

 救いたいと思ったことがなかったわけではない。

 

 しかし、この世界にいる限りもう二度と会えないとわかった親友の《神隠し》の時を含め進は口をはさむ、それくらいしかやってこなかった。

 

 自分に害がないなら、口をはさみさえしなかった。


 

 それでも、今この瞬間確かに進は自分の進むべき道を見つけた。



(あぁ、やってやろうじゃないか。やってやる。こんな俺でも人生を、運命を変えることができるのなら)

 


 けして、誰にも明かされることはないひっそり閑とした覚悟だった。

 同時に、何人たりともそれを曲げる権利を持たない確かな誓いであった。

 

 たった一人の《少女神》のための契約であった。

 

 言野原進はその瞬間、この世界においてあるいは《絶対》ですら覆すことができるほど、唯一無二の《不確定要素エクストラ》になった。

 

 そうしてそれはこの先の運命が、定められた設定どおりにいかないことを暗示していた。




《行間》




「あはっ「はぁ」「あぁぁ「きゃは」「うれしい「悲しいな」「鬱陶し「大好き」「いいかげんに「まぁ、まっt「それはできない」「あぁ、憎い「うれしい「嫌いだ「ありがとう」「五月蠅い「静かだ」「我は「光」闇「違う「正しい」「終わり「はじまり」「死ねよ「生きろよ」「馬鹿だ「天才だ」「生きる価値が「ある」ない」「死ねばいいのに「生きてほしいな」「期待「幻滅」して「いる「いないぞ」「そろそろ「この呪いの中からだしてく「だすな」「早く「もっとだ「もっと早く」「早く来い「来なくていいぞ」



「言野「原し」ん」


 


 何を言ってるのかはわからない。

 ノイズだらけで酷い声だった。

 

 それでも何かが進にむかって語りかけていた。

 進に届くかなど関係なしに。

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