第38話‐キメラ①

 「……何だ、この声?」

 「おいおい次から次へと……だんだん笑えなくなってきやがったぞ……」

 「……」


 突如として都市中に鳴り響いた割れ鐘の咆哮に驚き、シー達は心は言いしれようない不安で浮足立った。その場で翼を器用に動かして空中に停止すると、今の咆哮の発生源を探るように辺りをキョロキョロと見回す。


 それは都市の中央部付近——丁度、メディストス大峡谷の下から聞こえたような気がした。何故か、自然とウィータと出会った地下闘技場の方へと、シー達の視線が引き寄せられる。何かそこから、ゾワゾワとする薄ら寒い存在感を感じたからだ。


 何も言葉を発する事が出来ず、地上の人々が騒ぎ出す音が自棄に大きく聞こえる。


 きっと今の咆哮が騒ぎになっているのだ。数週間前に鳥竜種ワイバーンに変身したオレが都市中を騒がせた後だ……その名残もあって、そこそこ神経質になっているのだろう。


 今だって、空中に留まるシーを発見した人々が騒いでいる声が聞こえる。


 「——何だよ、アレ……?」


 しかし、そんな声は気にならなかった。気にならない程の存在がそこにいた。


 徐々にの存在に気付いたのか、地上の人々も静かに声を潜め始め、メディストス大峡谷から出て来た怪物の存在へと視線を向けて行く。


 ——まず見えたのは巨大な前脚だった。


 大きさも数もバラバラな不揃いの鉤爪が大峡谷の崖を掴んでいる。前脚は一本や二本ではない。少なくとも五本……凡そ生物のものとは思えぬ脚に力が掛かり、崖の下から何かが這い上がって来た。


 『——ォォォォォオオォオォォオォオオオオッッッ……』


 犬の頭、獅子の頭、良く分からない生物の頭……そして、一番巨大で長い首を持つ竜の頭。大峡谷から顔を出したのは、そんな多頭の怪物である。薄気味の悪い呻き声を上げた怪物の全身が大峡谷から上がると、その全容が明らかとなった。


 全長は三〇メートルはあろうかという程に大きい。


 前と後ろに何本もの脚が生えており、でっぷりと太った弛んだ胴体から、幾つもの頭……唯一、竜の頭だけが長い首を持っていて、背には鱗のようなものが三又に分かれた尻尾の先まで、びっしりと生え揃っている。


 「——キメラ・・・だ……間違いねェ」

 「キメラ? 何だよ、それ……?」


 ポツリと呟いたテメラリアに問い掛けると、まず一言——「新種の魔獣さ・・・・・・……千年前には、まだ発見されてなかった」と返って来る。


 「……もともと魔獣ってェーのは、人類が邪神ウルの侵攻から逃れる為に空間の悪魔トポスの力を使って逃げた最果ての地——つまり、現在の人類が住まうこのユーダイモニアの領界に最初から住み付いていた先住生物だ」


 滔々とテメラリアが言葉は、そのまま「だから、千年前はまだ魔獣の生態について良く分かっていなかったが——」と、前置きをして話を続ける。


 「——奴らは通常と生物と違って、自分とは異なる姿形・・・・・・・・・の魔獣とも交配・・・・・・・するんだ・・・・

 「……? どういう事だよ?」

 「この世には、狼型の魔獣や蜂型の魔獣なんかがいるが……ありゃァ全部、同じ種類の・・・・・生物だ・・・って事だよ。だから、狼型の魔獣と蜂型の魔獣が交配する事が出来る。そうやって魔獣は、交配した両親の形質を受け継いで新しい姿形を持った魔獣を産み出す事が出来るんだ」


 「つまり——」と、一度言葉を区切ったテメラリアが言った。


 「——姿形の異なる親魔獣の形質を持って産まれた魔獣……それが、キメラだ」


 そう言い切った彼の言葉に一瞬理解が追い付かなかったが、その事実を確認するように、シーはメディストス大峡谷に現れた醜悪な怪物の姿へと目を遣った。そして、すぐに今の説明に嘘偽りがない事を悟る。


 まるで、幾つもの生物が混ざり合ったような嫌悪感を抱かせるような姿だ。


 ……ディルムッド達が魔獣闘技場というものを忌避していた理由が良く分かる。あんなものが誕生してしまうのだから、誰だって街中に魔獣なんてものを入れたくはないだろう。


 ——でも、よりにもよって何で今……あんな怪物がこの場所に?


 「「……」」

 「……、……アイツだ・・・・


 シー達が想定外の事態に何も言葉を発する事が出来ずにいると、突然ウィータが少し震えた声でそう呟く。何事かと視線を向けると……彼は気付いた・・・・


 静かに引き結ばれた口元、ただ大きく開かれた動かない瞳——。


 その表情が、その様子が、マックスやハンス達……自分の過去に纏わる敵と戦った時のように、怒りの感情で埋め尽くされていた事に。


 「……どうした、嬢ちゃん? 怖い顔しやがって……アイツって、何が——」

 「——アイツにみんな・・・・・・・食べられた・・・・・

 「え?」「あァん?」

 「シーちゃん……アイツ……とはちがうキメラだけど……わたしが倒さなくちゃいけないまじゅうは——アイツ・・・

 「っ!!」


 あぁ、と。シーはすぐにウィータの言葉の意味を理解した。


 間違いない。以前にウィータが言っていた『仇の魔獣』の事だ。彼女の村の天狼族たちを食い散らかしたという……ウィータの復讐相手・・・・


 「……っ」


 そこまで思い至り、シーはハッとなった。


 今にもキメラへ飛び掛かろうとしているウィータを見て、「……ダメだぞ・・・・、ウィータ」と、声を掛ける。


 「状況が状況だ……落ち着け、落ち着くんだ。ゆっくり呼吸をしろ。アイツはウィータの復讐相手じゃない。今は自分がやるべき事だけを考えるんだ……」

 「……わかっ、てる……っ。けどっ……」

 「あァん? おい、どういう事だ? 何言ってんだよ、テメェら?」


 テメラリアはウィータの過去を知らない。状況が分からない彼の気の抜けた声が響くが、ウィータはそんな声など届いていないかのように、震える声で返事をしながら、尻尾の毛を逆立てている。静かにキメラを睨みつける瞳は、刃のようだった。


 シーは何とかウィータを落ち着かせようとするが——やはり、ダメだった。


 「ごめんっ、シーちゃん……えんごお願い——っ!!」

 「「っ!!?」」


 次の瞬間、ウィータはシーの背中から飛び降りた。


 「ウィータ!!」「何やってんだ、嬢ちゃん!?」と、シー達の声が重なるが、ウィータは見向きもせず建物の屋根に着地すると、そのまま屋根を蹴って進んで行った——勿論、キメラの方へ向かって・・・・・・・・・・


 「あぁ、くそっ! やっぱりか!」


 毒づくが既に遅い。恐ろしいスピードでキメラへ向かって行くウィータの姿が、どんどん小さくなって行く。


 「おいっ、シー……っ、どういう事だ!? 嬢ちゃん行っちまったぞ!?」

 「分かってるっての! 後で説明する! とりあえず行くぞ! どの道オレがこの状況を見逃すわけにいかないだろ!」

 「……あっ、ちょちょちょっ、おいおいおいぃぃぃ~~~!!?」


 テメラリアのお小言を半ば無視したシーは、彼が二の句を継ぐ前に地上へと急行下する。強烈な風に叫ぶテメラリアの悲鳴を無視し、扱いの難しい我が相棒の背中を追った。


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 逃げ惑う人々の声が、足音が、自分の息遣いや鼓動の音でさえも、どこか遠く聞こえる。地上に見える人達の顔が、動きの一つ一つが人形のように見える。この全身を撫でる感覚の全てが、凄く凄く鈍く感じる。


 なのに……それを認識している頭の中心だけが、自棄に冷たく感じる。


 ——まるで自分以外の誰かがこの体を操っているようだった。


 理油は分かっている。このだ。


 身体の芯が煮え滾るように熱い。身を焼かれているみたいだ。でも、嫌な訳ではない。寧ろ、もっとこの熱に身を浸していたいとさえ思う。


 胸と脳をグルグルと駆け巡る激情に突き動かされながら、シーちゃんから飛び降りたわたしは、屋根から屋根へと跳び移り、真っ直ぐとキメラの方へと直進する。


 「ᛖᚫᚱᛏᚻᚹᛟᚱᛘアルトゥヲルム……ᛁᚾᛏᛖᚱᚠᛁᚳᛁᚫᛘインテルフィキアム ᛁᚾ・イン……ᚠᚱᚢᛋᛏᚫ・フルスタ……‼/ミミズ……ミミズ……バラバラにして、やるっ……っ!!」


 口を突いて自然と飛び出した言葉は、自分の口から出たものとは思えない位に口が悪かった。きっと今、鏡を見たら酷い顔をしている事だろう。怒りに染まった……お母さんが『ならないで』と言っていたような誰かを恨むことが当たり前の人間の顔に——。


 でも、今はそんな事よりも優先すべき事がある。


 「シィィィーちゃぁぁぁーーーーーんっ……!!」


 強く地面を蹴った。空に向かってシーちゃんの名を呼び、右手を大きく掲げる。すぐに後ろから追って来たシーちゃんが大刀ロンパイアへと変身し、掲げた手に収まった。


 「おいっ、嬢ちゃん止まれ! 相手はキメラだぞ!? シーもなに変身してんだ!? 止めやがれって……! あァ~もうっ、事情は知らねェが頼むから今は逃げ……って、おい! 待てって! せめて聞け! キメラは攻撃・・・・・・しても再・・・・——」


 そのすぐ後に、飛んで来たテラちゃんがわたしの隣に並んで飛ぶ。かなり焦った表情でキメラと戦う事を止めようとしてくるが、わたしはそれを最後まで聞かず更にスピードを上げた。……チクリと申し訳なさが頭の中心を撫でたが、それ以外の部分が、テラちゃんの言葉を聞く必要が無いと斬り捨てる。


 「……シーちゃんは止めないでね」


 屋根の上を走りながらシーちゃんに念押しする。


 (止めないさ。どうせ止めたって聞かないんだろ? ……それに言ったじゃないか? その魔獣と戦う時は存分にオレの力を使ってくれ、って。——最後まで付き合うよ)

 「……、ありがと。シーちゃん」


 シャーウッド傭兵団の団長たちが襲撃に来た日の事だろう。真摯に自分の言葉を守ろうとしてくれているシーちゃんの優しさに、わたしは嬉しくなった。先程まで自分の身体と思えなかった身体が、少しだけわたしに戻ってきたような気さえする。


 その嬉しさで僅かに緩んだ口元。わたしは静かにお礼を言った。


 (おう! ……でも、無理だけはしないでくれよ……本当に。無理だと思ったら、すぐに逃げるんだ)

 「……」


 でも、そのすぐ後に続いた言葉にだけは何も返すことは出来なかった。


 咄嗟に無言は不味いと思い、わたしは返事の代わりに手元に握った大刀ロンパイアを更に強く握り締める。その態度にシーちゃんは何も言わなかったけれど、心なしか、少し悲しそうな……寂しそうな、そんな顔をした気がした。


 「——いくよっ、シーちゃん!!」

 (おうっ、任しとけ! 相棒!!)


 その悲しみに気付かない振りをして、わたしは内心に再び浮かんだ申し訳なさを掻き消すように叫んだ。返って来た頼りがいのある念話に後押しされて、わたしは目と鼻の先にまで迫ったキメラへと跳躍する。


 キメラはまだ、こちらの存在に気付いていない。


 それを好機と睨んだわたしは、奴の背中に跳び乗ると同時にブヨブヨした肌に大刀ロンパイアを思いっ切り突き立てる。「ぅぅぁぁぁぁあああああああああ~~っっ!」と叫び声を上げながら、奴の頭の方へと向けて全力で走った。


 『キィィィィィァァァァァアアアアアアアア——ッッ!!?』

 「っ!?」


 背開きにされた傷跡から透明な体液が噴き出す。キメラの血だ。


 背中に走った痛みでようやく気付いたのか、耳障りな悲鳴を上げたキメラが、その巨体に似合わない舜敏な動きで全身を揺さぶった。想定外に大きい衝撃にバランスを崩したわたしは、足を滑らせてしまう。そのまま奴の背中をゴロゴロと転がりながら、地上へと落下して行く。


 フワリと、キメラの背中から離れた自分の身体。わたしは「ぐぅぅっ!」と、根性で身体を捻り、大刀ロンパイアをキメラの腹へと突き立てる。


 (ウィータっ、前!)

 「っ!」


 ギリギリのところで地上への落下を免れたわたしだったが、安堵する間なんて無かった。シーちゃんの焦ったような念話に弾かれて視線を向けると、頭の方から長い竜の首を伸ばして来ていたキメラが、不揃いの目玉でわたしをギョロリと見ながら、ゆっくりと首を傾げた。


 まるで、何だこのちんちくりんは? とでも言いたげな仕草。敵どころか、餌とすら思っていないようなその態度を見て、わたしは思わず舌打ちをした。


 「ᚳᛟᚾᛏᛖᚱᚫᛘコンテラム ᛟᚳᚢᛚᛁ・オクリ ᛏᚢᛁ・トゥイ……ᛘᛟᛚᛖᛋᛏᚢᛋモレストゥス!/こっち見るな……気持ち悪いっ!」


 わたしが左手を翳すと同時、すぐ隣に青い霊子マナの光が収束する。


 シーちゃんの分身体だ。鳥竜種ワイバーンの形へと収束して行くその青い光は、有りっ丈の霊子マナを込めている為か、今までのものよりも三回りほど大きい。


 徐々に形を定めながら大口を開くシーちゃんは、口腔の奥に赤黒い火の粉を溜めると、特大の竜の息吹ブレスを吐き出した。


 『キュゥゥゥォォォ~~~~ン……ッッ!!?』

 「ぐぅっ——!?」


 凄まじい爆発音と共にキメラの悲鳴が響き渡った。焼け焦げたような匂いが周囲に充満し、黒煙が周囲に舞う。爆風で大刀ロンパイアがキメラの身体から外れ、空中に投げ出されたわたしだったが、それは織り込み済みである。すぐにシーちゃんがわたしを空中で回収し、キメラの上空を旋回し始める。


 「……」


 地上を見下ろすと、竜の頭の周囲をまだ濃い黒煙が充満している。……だが、わたしは確かに見た。一瞬しか見えなかったけれど、確かに直撃したブレスがキメラの眼玉を焼き焦がしたのを見たのだ。


 ……ざまぁみろ! と、無残に黒い眼窩だけになった怪物の眼玉を想像しながら、内心でほくそ笑む。苦痛に歪んだ奴の顔を見たい——。そんな嗜虐心を内に秘めた目で、わたしは少しづつ晴れて行く黒煙の中を肩で息をしながら見つめた。


 「……っ!!」

 (な、何だ……あれ……)


 蠢いている。わたしが斬り裂いた背中の傷口と、シーちゃんのブレスで焼いた目玉が、奴の身体から湧き出て来た気色の悪い透明な液体がうにょうにょと、意思を持った生物のように動き回っていた。


 期待していた光景からは程遠い。


 背開きにされた筈の傷口は、数秒も経たない内に透明な液体に浸食され——塞がってしまう・・・・・・・。次の瞬間には既に、傷など最初からなかったかのようにぶよぶよの肌だけがそこにあった。


 目玉も同じである。透明な液体に満たされたすぐ後、目玉の形へと変化して行く透明な液体には徐々に色がつき、動きが加わり、背中の傷と同様……完璧に再生してしまう。


 「やっぱり・・・・……再生するんだ」

 (やっぱり……?)

 「……うん。わたしの知ってるキメラも、再生してたから」


 そう——再生・・


 今のを見て核心した。おそらくキメラには、全ての個体に完璧な傷の修復能力が生まれながらにして備わっている。さっきテラちゃんが何かを言いかけていたが、再生能力これの事だろう。


 『ォォォォォオオオオオォォォォォオオオオオオオオオ——ッッッ!!!』

 「(っ……!?)」


 わたしの思考を遮るように突如として上がった咆哮。今までのものとは違う。明確な敵意・・怒り・・が込められた獣の声を聞き、わたし達は敏感に死の気配を感じ取った。


 その感覚を裏付けるように、幾つものキメラの頭全てがわたし達の方へと振り向き、気色の悪い目玉全てをギョロリと覗かせる。奴が牙を剥き出しにした次の瞬間、その巨体を屈ませ……空へと跳び上がった・・・・・・・・・


 「シーちゃんっ! よけて!」

 (あぁ、分かってる……!)


 わたしの意図を汲んだシーちゃんが振り被られた何本もの鉤爪の降り下ろしを縫うように、デタラメな軌道で飛び回る。『グギャァァァァアアア——ッ!!』と、攻撃を躱されたキメラが駄々を捏ねる子供のように喚き声を上げ、地上へと落下した。


 凄まじい轟音と共に、巨体に圧し潰された建物の破片や砂埃が空中に舞う。


 着地した先は、幸いにもジャンおじさんと戦った西区にある十四番街のゴーストエリア。あそこなら今の着地に巻き込まれた人もいないだろう。


 (……ここからどうする気だ、ウィータ? こっちの攻撃は効かないぞ)

 「……このまま空を飛んでれば、あっちのこうげきも届かない。だから、ここからまほうでねらいうちにする」

 (……、でも……それだとジリ貧になるだけだぞ。霊子マナが尽きたら、また——)

 「——行くよ、シーちゃん」

 (……、……わかった)


 シーちゃんのアドバイスを無理やりに遮る。止められる訳にはいかないのだ。


 奴から逃げるわけにはいかない。


 あの程度にも勝てないなら、アイツには絶対に勝てない。


 ——わたしは、ここで勝たなくちゃいけないのだ。


 「【天命の三叉、横着の王、来たれアルドン・マディアの錆びた鎖——】」


 詠唱を始める。始めると同時に、何か気配を感じ取ったキメラが全身を震わせた。すると、身体の彼方此方から少し黄色に濁った液体が飛び出し、飛び散った液体の一滴が、ジュゥゥ……ッ! と、周囲の瓦礫を溶かした。


 奇妙な動きだ。あの酸は攻撃にも見えるし、別の意図も感じる。


 わたしは怪訝に眉を顰めるが、どうせあんな攻撃は届かないし、逃げるつもりも無い。その奇妙な行動を無視して詠唱を続ける。


 「——【はりつけよ、突き穿て、青錆は寄生する鉄を選ばない】——【腐刑の鎖カテナ・コロッサ】」


 魔法名の宣言と共にどこからともなく現れた青い錆に浸食された鉄の鎖が、キメラの全身へと巻き付き、同時に身体の肉を貫通してその場に拘束して行く……さらに、鎖に触れた個所から青い錆が毒のように回って行き、ペリペリとキメラの皮膚を剥がし始めた。


 やはり痛み自体はあるのか、苦痛に彩られた悲痛な叫び声を上げるキメラは、痛々しく全身に広がるその傷を塞がんと、濁った液体の他に、再生時に出ていた透明な液体を吹き出した。


 「——【地這う双頭の黒い鳥……】っ!」


 舐めるな……再生する暇なんてやらない。絶対にやらない!


 ——その前に殺してやる!


 「【……其は富める者の中の貧者、須らく財貨を融かす者よ、目と心は常に下へ、いと天高く聖なる祝福を超え、懇々と地べたの黄金を拝み、祈り、賛美せよ】——【強欲の下顎アウィス・アウァリティエ】!!」


 パチパチと、火花が散る。周囲の空気が焦げた匂いがする。


 炭のように黒く変色した地面から、何百匹という影が這い出て来た。上の嘴だけが無い不気味な姿をした……双頭の黒い鳥だ。羽の先には鉤爪のようなものがついており、全身が、まるで炎のように揺らめている。


 双頭の黒い鳥は、瞳の無い目玉でキメラを捉えると、鳥の姿には似合わない動作——後ろ脚と鉤爪を地面に着け、トカゲのように地面を這いながら、キメラへと飛び掛かった。


 次の瞬間、ボゥ……ッ、と。


 彼らの全身を覆う燃え盛る黒い炎がキメラの肉体へと飛び火し、全身から噴き出す透明な体液を蒸発させて行く。甲高い悲鳴を上げるキメラ。その声が煩わしくて、わたしは更に霊子マナの込めて、黒い双頭の鳥の数を増やす。


 『グゥッ、ゥゥァァッ! ……ギャァァァ————……っ!!?』


 キメラの大絶叫が轟く。肺でも焼いたのか、苦しそうに呼吸を途切れさせたキメラはその場でのたうち回った。地形が変わるんじゃないかと思う程の大暴れに「ᛩᚢᚫᛖᛋᛟクワエスォ……ᛈᛚᚢᛋプルス ᛈᚫᛏᛁ・パティ/どうだ……これで死ね……っ」と、吐き捨てるように呟く。


 (……ウィータっ、掴まれ!!)


 一瞬の安堵。わたしが気を緩めた瞬間を狙い澄ましたように、ギョロリと……キメラの頭全てがわたし達を見た。同時にシーちゃんが焦った念話を送って来る。


 「……っ!?」


 次の瞬間、再び全身を震わせ少し濁った黄色い液体を大量に噴出させたキメラ。先程と同じ攻撃かとも思ったが——違った・・・


 おそらくはこの攻撃の予備動作のようなものだったのだろう。


 濁った液体が突如としてキメラの皮膚と同じ赤黒いものへと変化し、蛇の頭のような形へと姿形を変えて行く。そして——そのまま植物・・・・・・のように伸びた・・・・・・・


 キメラの全身から、無数の蛇モドキの頭が凄まじい速度で伸びわたし達に襲い掛かって来る。


 (振り落とされるなよっ! 相棒っ!!)

 「~~~~~~っぅぅ!!?」


 右から、左から、下から、上から……三百六十度の全方向から、蛇モドキの頭が迫って来る。シーちゃんは弓弦から放たれた矢のような速度で空中を逃げ回る。


 わたしも振り落とされまいと、片手で首根っこにしがみ付きながら、片手で大刀ロンパイアを振り回しながら、蛇モドキの頭を迎撃した。


 (ぐぅ、がぁ……っ! くっそ! 数が多過ぎる……っ!?)


 しかし、やはり数に圧されてしまった。何匹かの蛇モドキがシーちゃんの翼に噛みつき、噛みつかれた箇所が、ジュゥゥ……ッ、と嫌な音を立てる。酸だ。


 「っ……」と、わたしは焼け焦げたシーちゃんの翼を見て、下唇を噛んだ。


 『ォォォオオオオオ……』

 「——っ、……!! シーちゃん、逃げて! アレ・・が来る……!」


 その時だった。地上の方で何か光るものが見えたのは。


 反射的に見たわたしの視線の先にあったのは、全ての頭が大口を空けて口腔の奥にボコボコと沸騰する液状の何かを貯め込むキメラの姿。眩い光を放つそれは徐々に光度を高め、わたし達へと標的を定める。


 ピカ——、と。一瞬、目を開けていられない程の光が周囲に散乱し。


 次の瞬間……凄まじい熱閃がわたし達へと襲い掛かった。


 「(……~~~~~~~~っっっ!!?)」


 わたしとシーちゃんの声にならない悲鳴が重なる。追い回して来る何本もの太い熱閃から逃れようと、シーちゃんが必死になって空中を飛び回った。


 間違いない。アイツと同じ熱閃ブレスだ。


 ——アレに触れれば、血の一滴すら残らない……!


 その事実を口にするまでも無くシーちゃんも理解しているのか、デタラメな挙動で逃げ回るその飛翔には余裕が全く感じられない。これまで出会った中で、一番のピンチだと言わんばかりに、鳥竜種ワイバーンに化けたシーちゃんの表情は焦燥感に満ちていた。


 逃げ切れるっ? いや、無理だ……!


 蛇モドキに噛まれた時の酸で、さっきよりもシーちゃんの飛ぶ速度が遅い!


 あぁ、ダメだ……躱しきれない! 


 (……ぅぁ——っ)

 「……シーちゃん!!」


 ビュン、と。首を振ったキメラ。まるで剣で叩き斬るように、熱閃が空から振り下ろされる。躱しようのないその一撃で、翼と片脚、そして下半分の身体を焼き切られたシーちゃんは、(すまんっ……ウィータ! 落ちる……!)と、念話を送って来る。


 次の瞬間、変身が解けて小さな狼の姿に戻ったシーちゃんと共に、わたしは地上へ向けて自由落下を始めた。


 「シーちゃんっ、もう一回……鳥竜種ワイバーンにへんしん……!」

 「あぁ、わかってる……!!」


 凄まじい風圧で風切り音が凄い。半ば叫び合うようにそう話したわたし達。投げ出された空中で、再びシーちゃんが変身しようと青い霊子マナの光を放ち出す。


 「……っ!! ウィータ後ろだぁ!!?」

 「ぇ……?」


 その瞬間だった。シーちゃんの叫び声に釣られるように、わたしが後ろを振り向くと……見えたのは、巨大な尻尾。まるで鞭のように振るわれた薙ぎ払いだった。


 しかし、場所は空中……足場なんて無い。加えて気付くのが遅かった。


 「ぁ——」


 最後に見たのは、わたしの全身を打ち据えた赤黒いキメラの尻尾。




 ——目の前が真っ暗になった。

_____________________________________

※後書き

次の更新は、4月18日12時30分です。

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