第30話‐女神が見守る晴れの日に②

 『……』

 「伝説の大精霊も子供の癇癪には弱いか」

 『……まぁな。そういう修道騎士様は、ああいうのには随分と慣れてるんだな』

 「俺は何もしてなどないさ。……あの小娘はバカではない。普段の言動からは分かり辛いが、相当に聡い子供だ。こちらが敵では無い事を教えてやれば、ああして自分から歩み寄ろうとしてくれる」

 『……そうだな。ウィータは賢い。多分、オレが思う以上に』


 見えなくなったウィータの背中を追いながら、シーは少しだけ自信を失くしたように小さくなった。


 昨日の事と、今日の事——。彼女の過去を聞いたからこそ、こういう時は何か言葉を掛けてやるべきだと思ったのだが……いざ、その時になると何も言葉が出てこないのだから、我ながら情けない。


 「——おぉ……そうだ、そうだ、忘れていた。シーよ、三件ほど用事があるのだが……少しいいか?」

 『あぁ、大丈夫だけど……何かあったのか……?』

 「いや、なに……昨日はバタバタしていたからな? 約束の報酬を渡せなかったと、ディルムッド殿から報奨金とこの魔具を渡してくれと頼まれていたのだ。邪神討伐に役立てるといい」

 『……! ……これって——』


 渡された紐付きの革袋ポーチを受け取り首から提げると、ずっしりとした感覚が伝わって来る。だが、シーの関心を引いたのはその重さではなく、ポーチに刻まれたルーン文字による魔術式だった。


 術式を解読するに、おそらくは空間魔術が込められた魔具だろう。


 『これって……空間魔術を利用したアイテム・ポーチだろ? 俺の時代でも結構レアな代物だぞ……ほ、本当に貰っても大丈夫なのか……?』

 「なに、心配するな。確かに高価なものだが、上流階級の人間ならばそれなりに持っている代物だ。ディルムッド殿がいいと言っているのだから、遠慮せず貰っておくといい。報奨金もその中に入っている」

 『……そ、そうなのか。じゃあ、ありがたく貰っておくよ』


 高価な代物に気遅れしながらも、前脚を上げてジャンにお礼をしたシー。『——それで?』と、そのまま彼は言葉を続けた。


 『残りの二つの用事っていうのは何なんだ?』

 「一つはまたディルムッド殿からだ……前に話していた小娘の手配書の件なのだが、どうやら思った以上に早く取り下げる事が出来たらしい。もう下手に隠れる必要はないそうだぞ」

 「……! ようやくか! いや~、コソコソするの性に合わなかったんだよ!」


 吉報にケモミミをピンと立てケモシッポをブンブンと振ったシーは、聞くや否やすぐに霊体化を解き、周囲にその姿を露わにした。ピョンピョンと喜びに跳ねる彼を見て「喜んでくれたようで何よりだ」とジャンも笑みを作る。


 「さて——最後の一つは俺からだ」

 「え? ジャンから?」


 懐に手を入れて何かを取り出したジャンに、シーは驚いたように目を丸くする。ブンブンと振っていた尻尾を止め、視線を向けると、見覚えのある首飾りが目に入った。


 天秤のエンブレムが彫られた首飾り——“コル・スピリトゥスの首飾り”である。


 装着した者同士は、契約精霊と精霊契約者達と同じように、互いの霊体アニマに疑似的な繋がりパスが形成され、念話を始めとして、姿が見えなくても繋がりパスの通った相手を知覚できるという便利効果を持つ魔具だ。


 他にも、女神ユースティアの修道騎士である彼らは、あれを所持する事が習わしになっているのだとか何とか……。


 「シーよ、これを小娘に渡してくれないか?」

 「……! 渡してくれって……それ、正教会的に大丈夫なのかよ……? カルナは『聞かなかったことにしてくれ』って言ってたけど……」

 「なに……正式にあの小娘を・・・・・・・・正教会の・・・・修道騎士として・・・・・・・認めれば《・・・・》問題ない・・・・


 ハッキリと言ったジャンの言葉に、シーは今度こそ驚いた。


 「……意味分かって言ってるのか? それは『正教会の権威を勝手に振り翳していい』って言ってるのと同じ事なんだぞ? 下手な使い方をすれば、正教会の権威が大きく陰る事になるかもしれない。それは、ユースティア様・・・・・・・だって困る筈だ・・・・・・・

 「安心しろ。俺には新たな修道騎士の任命権がある。正教会の権威が届く場所なら、通行証代わりにもなる代物だ……きっとお前達の旅の役に立つ筈だ」

 「……いや、そういう事じゃ無くてだな——」

 「——いいから持っておけ」

 「うぉっと!?」


 言葉を遮るようにジャンが無理矢理に“コル・スピリトゥスの首飾り”をシーの首へと下げる。責めるように半眼を作ったシーはジャンを睨むが、彼は満足そうに笑みを浮かべていた。


 (……コイツ、なに企んでんだ?)


 ウィータを修道騎士として認める——。


 シーの知る限り、それは特別な意味を持つ行為だったはずだ。


 神の名と権威の元に力を振るう修道騎士という存在は、大衆が神へ抱く信仰心に対して強い影響力を与える存在だ。一にも二にも、とにかく自らへの信仰心が陰る事を嫌う神々にとって、修道騎士の選定は慎重になるものだったはず……。


 一介の修道騎士に他の修道騎士の任命権があるのは、千年前にもあった事なので驚きは無いが……それ以上に、出会って数日の相手にこれ程までに協力的なのは少し疑わしい。


 そんな内心が漏れていたのか、シーは思わず「……(じぃぃぃ~)」と、ジャンへ疑念の目を向けてしまう。


 「勘違いするな、シーよ。俺はただ、あの小娘の道行きに少しでも力になってやりたいだけだ。……前に言ったであろう? “理性を持つ一人の獣人としては、思うところがあるのは当然だ”……とな」

 「……」


 だが——。彼の言葉にも、彼の表情にも、嘘の気配は見受けられなかった。


 そこにはただ、本当に誰かを慮る者特有の優し気な空気感が漂っている。


 その真意は計り知れないが、計り知れずともそれはきっと悪いものでは無い。ただし良いものでも無い。同情、憐み……恐らくはそんな感情から彼はウィータに修道騎士としての地位を与えようとしているのが、何となく分かった。


 「……、……そうか……分かった。じゃあ渡しておくよ」


 シーは大人しく“コル・スピリトゥスの首飾り”を受け取る。だが、一つだけ……シーには、一つだけジャンがウィータに——いや、天狼族に協力的なのかという理由に心当たりがあった。


 「……、……なぁ、ジャン。この時代の天狼族の扱いってどんな感じなんだ?」


 そう……彼がそこまでする程、現在の天狼族の扱い・・・・・・・・・は酷いのか・・・・・、という事である。


 「……、話してもいいが……あまり気分の良いものでは無いぞ」

 「いい。話してくれ。知りたいんだ」

 「…………わかった」


 シーの勘が悪い方に当たったのか、先程まで笑みを浮かべていたジャンの表情が一気に暗くなる。一瞬の間を空けて、彼は少しだけ躊躇いがちに重々しい口を開いた。


 「……天狼族の大半は今、デネ帝国に住んでいるが、その扱いはあまり良くない。理由は様々あるが、現在の酷い有様の一番大きな要因はデネ帝国がこのラッセルと同じように二つの大きな勢力が争っている事にある」

 「二つの勢力……?」

 「あぁ、現在のデネ帝国はあまり国内の情勢が良くなくてな……現在のデネ帝国皇帝ベルナンド・デル・リオ陛下を支持する皇帝派閥と、デネでの地位を確立する為に皇帝失脚を目論む教会側とで大きな対立が起きている」

 「……? その対立に何で天狼族の扱いが悪い事が関わって来るんだ……?」

 「……詳しく説明するとかなり複雑なのだがな。まぁ、端的に言うと政治利用されているというのが正しい。教会側は天狼族を邪神ウルに呪われた忌むべき存在として迫害する事によって聖教徒からの支持を集め、皇帝側は天狼族を自分達と同じ獣人の同胞だとして擁護する事で、教会に反感を抱く者達から支持を集めている」

 「何、だよ……それ……」


 つまるところ、天狼族は二つの派閥から利用され、板挟みの状態になっているという事だろう。


 「……元々、デネでの天狼族の地位は低かった。聖神オレルスを信仰する聖教の信徒が多いデネにおいて、オレルスの敵とされる邪神ウルから呪いを受けた天狼族は下に見られる傾向があった……加えて『力と同胞』を尊ぶ獣人の文化は、弱者である天狼族を過度に低い地位へと貶めている。だが……幾らなんでも、最近の天狼族の扱いの酷さは目に余る……“天狼族は迫害されてもいい存在”だという風潮が、デネ帝国を飛び出し、他国へと飛び出す程だ」

 「……それって、ウィータが地下闘技場に売られた話か?」

 「……あぁ。あんな光景をデネ以外で見る事にはなるとは思わなかった」


 普段の豪快な様子とは似ても似つかぬ暗い表情でそう語るジャン。彼の話を聞く限りでは、天狼族の扱いはシーの想像を越える程に悪いのだろう。それこそ、獣人の国であるデネ帝国以外でもあんな光景が見られてしまう程に。


 「……ベルナンド皇帝陛下がデネの頂点に立ってから三十年・・・、あの方がデネの皇帝になってから、天狼族を含む弱い立場の獣人達の扱いは、少しづつ良いものになっていたのだ。デネの腐敗の要因であった元老院の解体と、それに伴う教会権力の衰退……あれでいったい、どれだけの獣人が救われたか……」


 何も出来ない自責の念ゆえか、半ば愚痴るように語る彼の語り口は悲壮に満ちていた。頭を抱えドサリと腰を下ろした彼は、溜息交じりに話を続ける。


 「……陛下の博愛主義に感化され、多くの獣人たちがデネをより良い国にしようと行動を起こす者が増えたのだ。俺もその口でな……様々な事情で世界中に散り、そして苦しむ獣人の為に、何か出来ることは無いかと正教会の門扉を叩いた」

 「……それで修道騎士になったのか」

 「あぁ……小娘のように他国で苦しむ同胞は多い。俺以外にもあのように天狼族に救いの手を差し伸べようとしている獣人は多いだろう。——それこそ、白狼族・・・などがその典型だ・・・・・・・・

 「………え?」


 それは聞き捨てならない言葉だった。


 「……」

 「……? どうかしたか?」

 「いや……今の話、本当なのか? 白狼族がジャンと同じく天狼族に手を差し伸べてるって……」

 「あぁ、本当だが……何か気になる事でもあったか? 有名な話だぞ。白狼族は、天狼族を自分達の同胞として保護と支援を行っている。デネ帝国の政治機関——大獣院の一席に座る白狼族の族長が、天狼族の女と結婚してな……たしか、それをキッカケに天狼族の保護と支援を大々的に始めたはずだ」

 「……」


 ジャンの言葉通りなら、白狼族は現在のデネ帝国で天狼族に施しを与えているという事になる。それはおかしい。シーの記憶が正しければ、昨晩にウィータから聞いた話に登場した白狼族は、天狼族を迫害する側に立つ筆頭だったからだ。


 それだけでは無い。スルーしそうになったが、ジャンの先程の言葉——“ベルナンド皇帝陛下がデネの頂点に立ってから三十年・・・”……というのは、間違いなくおかしい。


 ベルナンド・デル・リオ——この名前には聞き覚えがある。たしか、テメラリアが話していたシーとの契約者候補に上がっていた現代の英雄だ。強さを是とするデネ帝国において、一度も代替わりにせず・・・・・・・・・・に皇帝の座に君臨する皇帝の筈……。


 これはつまり、ベルナンド・デル・リオは三十年前から、誰に譲る事も無くデネ帝国皇帝の座に君臨し続けているという事になる。……だが、それはおかしいのだ。


 何故なら、昨晩のウィータの話に出てきていた——“わたしが今よりも・・・・・・・・幼かった頃・・・・・皇帝の玉座に・・・・・・座っていた・・・・・天狼族・・・”……という話が。


 どう見てもウィータは十二歳かそこらのはず。


 ジャンの言葉が正しいなら、ウィータが生まれる前からベルナンド・デル・リオはデネ帝国の皇帝だったということになる。ならば何故、ウィータの話に出てきた当時の皇帝は、天狼族なのだろうか・・・・・・・・・


 テメラリアの話では、ベルナンド・デル・リオはジャンと同じ原獣種ベオルヘジン。天狼族とは似ても似つかない種族だ。間違えようがない。


 (……ウィータの話とジャンの話が食い違ってる。どっちかが嘘を吐いてるのか……? ……いや、そんな筈ない。どう見ても、二人は正直に話している)


 では、何故? どうして話が食い違うのか?


 「……」

 「……? どうした、シー? 急に黙りおって……?」

 「……っ! あっ、いや……何でもない!」


 内心の疑問が表に出ていたのか、急に黙ってしまったシーを訝し気に見るジャン。彼の呼び掛けでハッとなったシーは、慌てて取り繕った。


 「——ジャンさーん! シーさーん!」

 「……(しょぼん)」


 その時だった。まるでタイミングを見計ったかのように、聞き覚えのある声が響き渡る。声に釣られて振り向くと、笑顔でこちらに手を振って来るカルナと、彼女の服の裾を掴んで後ろに隠れるウィータの二人が立っていた。


 二人に先程までの暗い雰囲気はなく、カルナはいつも通りの柔和な空気感を身に纏い、ウィータは怒られた後の子供のようにしょぼくれていてはいたが、ベッタリとカルナの後ろにくっ付いている。


 「その様子を見るに、どうやら和解は済んだようだな」

 「和解という事の程でもありませんよ。そもそも自分は最初から怒ってなどいませんでしたから。ね、ウィータちゃん?」

 「……うん。怒ってなかった……(むぎゅぅ)」

 「おっと……もう、いきなり抱き着いてきたら危ないですよ?」

 「あいさー……ごめん」

 「随分と懐かれたな……」


 カルナが優し気に問い掛けると、ウィータは短く返事をして強く彼女の服の裾を掴む。謝る際に何かあったのか、まるで母親に甘える幼子のように彼女の腰にウィータは抱き着いた。


 「あ、ジャンさん。埋葬式の方はあと少しで終わりそうなので、そろそろ戻って来て貰ってもいいでしょうか?」

 「あぁ、分かっている。——シーよ、すまんな。この後、神明裁判の前準備がある。話を中断するようで悪いが……席を外させてもらう」

 「気にしないでくれ。色々と聞かせてくれてありがとな!」


 そう言ってジャンとカルナは踵を返すと、向こうへと歩いて行く。「ばいばい! カルナ・・・!」「またね~、ウィータちゃん」と、ウィータとカルナはお互いの姿が見えなくなるまで手を振っていた。


 自然と呼び捨てでカルナの名前を呼んでいる辺り、どうやらウィータは本当にカルナに懐いたようである。相棒のシーとしては少し妬けてしまうが、それ以上に心を許せる相手が増えたことは喜ばしい事だ。


 「カルナとかなり仲良くなったんだな? 何かあったのか?」

 「あー、うー、えーと……カルナ、お母さんみたいだから……つい……」


 てへへ、と。少し気恥しそうに頬を赤くしたウィータ。先程までの暗い雰囲気とは異なり機嫌を直してくれたようで何よりだが、これ以上はカルナへの態度の変化に関して追及されたくないのか、「そ、それより!」とシーの言葉を遮るように口を開く。


 「シーちゃんの方はジャンおじさんとなに話してたの??」

 「うぇっ!? あ、いや、えーと、その、あー、あれだよ、あれ……」

 「???」


 今度はシーの方がしどろもどろになる番だった。


 「あー、そのー……だなー——」と、一瞬、先程のジャンの話で気になった『話の食い違い』について聞こうとしたシーだったが、「——いや、大した話はしてないよ」と。


 何故かこの『話の食い違い』について聞いてはいけないような気がしたシーは、一拍の間を置いてから話題を切り替えた。


 「ジャンから今回の依頼に関しての報酬を貰ってさ。ディルムッドから預かってたらしい。いっぱい報奨金貰った上、指名手配も解除されたらしいから、街でシーフード食べ放題だぞ?」

 「……! ホントに!? じゃあ行こう! すぐ行こう! 今すぐ行こー!!」

 「おぉぉぉ~~~~~~いぃぃ!? 引っ張るなってぇぇ~~!!?」


 言うや否や、瞳の奥をキラキラと輝かせたウィータはケモミミとケモシッポを喜びで忙しなく動かしながらシーの手を引っ張って行くのだった。

_____________________________________

※後書き

次の更新は、4月11日20時30分頃です。

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