第26話‐天狼族のウィータ①

 「……っ、シーちゃん!」


 奇襲。突如として現れたハンス・シュミットを前に、それを理解したウィータの反応は驚く程に早かった。状況を瞬時に把握し、コンマゼロ秒の時間を惜しむように叫んだ相棒の言葉を合図に、シーは闘剣グラディウスに変身する。


 既に臨戦態勢を整えていたウィータは、闘剣グラディウスを握り締めるや否や、後ろに細かくバックステップを踏んで、突っ込んで来たハンスから距離を取った。


 しかし、奇襲による先手というアドバンテージを手放したくないのか——。


 ハンスは凄まじい勢いで双剣を鞘から引き抜き、地面を這うように体勢を低くしながらウィータへ肉薄する。昼間とは異なり酔いも醒め、しかも昼間の件でウィータの実力を把握している故か、その剣筋に油断は一切見受けられない。


 「くぅ、っ……!? ……ぁぁっ……っ!」

 「昼間みてぇに行くと思うなよっ?」


 初撃から凄まじい斬撃速度で振るわれた右の刃は、想像以上に重かった。


 上体を反らして躱そうとしていたウィータだったが、それが間に合わないと判断し、反射的に闘剣の腹で斬撃を受ける。そのまま何とか上方へ斬撃を往なすも、次いで襲い掛かって来たのは、ハンスの左足。身体を回転の活かした回し蹴りだった。


 深々と左の脇腹に突き刺さったその蹴り、ウィータは一瞬、苦悶の表情を浮かべるが、半ば倒れ込むようにして横に跳び、衝撃を逃がす——


 「——っ!!」


 ほんの一瞬、的から視線を外れた僅かな時間の隙間に、ハンスは既に左の刃をウィータへ降り下ろしていた。次の攻撃までの時間が恐ろしく早い。これも躱し切れないと、咄嗟に闘剣の腹でそれを受け止める。


 ——やはり、重い。服の上からでは分かり辛いが、恐ろしく鍛え上げられている。


 自分の想像の上を行く斬撃の重さに、ウィータは一瞬で膝を着かされてしまう。


 「……おいお~いっ、やってくれたなぁクソガキィ~? どうやってくすねたかは知らねぇがっ、随分とコケにしてくれたじゃねぇかよ! なぁ!?」

 「……わたしたちを見下してたおまえたちがマヌケだっただけでしょ」

 「っ! ……斬り刻んでやる!」


 冷静に煽り文句を返すウィータとは対照的にかなり興奮しているハンスは、額に青筋を浮かべて再び双剣を振るった。


 その挑発が良い方に転んだようだ。


 力もある。速度も目を見張るも物があるが……反応し切れない・・・・・・・程では無い・・・・・


 感情に任せ、振り回されるだけの斬撃。単調な攻撃は読みやすく、そして対処しやすい。危なげなく往なし、捌き、ハンスの攻撃を防ぎ始めたウィータの目には、徐々にハンスの攻撃が容易に映り始めたようである。


 すぐに彼女の表情から焦りに色が消えると、「クソがぁ!」と、ハンスの苛立ちに満ちた声が周囲に木霊する。


 (——間違いない。ウィータは昼間の戦闘から、また・・強くなってる)


 最初こそ奇襲に驚きを隠せずにいたシーだったが、一連の攻防の中でウィータの動きを見たシーは、内心でそう呟いた。


 凄まじい成長速度だ。


 いくら急成長能力を持つ天狼族とはいえ、ここまでの成長……いや、進化はシーも見た事がない。技術と身体能力は勿論の事だが——一番恐ろしいのは戦いの度に深まって行く『戦い』そのものへの理解度……天狼族の急成長能力に寄らない、ウィータ自身が持つ・・・・・・・・・学習速度・・・・である。


 「……っ、それはもう見たぞ!!」


 無造作に振り下ろされた右の刃を紙一重で躱したウィータ。そのまま剣の腹を彼女が踏みつけると、意識の間隙を突かれたハンスの手から剣が零れ落ちた。ジャンから盗んだ技だ……、それは既に攻略されている。


 煩わしそうに叫んだハンスは、昼間とは違い、二刀流である。片方の武器を失っても焦った様子はなく、彼は冷静に今度は左の刃を振り下ろした。


 「……なっ!?」


 ——そして、それを待っていた・・・・・・・・とばかりに。


 ウィータは闘剣グラディウスに変身したシーを手放し、ハンスの右手を掴む。自身の体躯を優に超える身体を、そのまま彼女は背負い込み、叩きつけるように地面へと投げた。


 「か、は——っ」と、ハンスの肺から空気が吐き出される。


 衝撃でもう片方の片手剣を落とし、彼は朦朧とする意識の中で呟く。


 「この……クソガキ……俺の、猿真似しやがってぇ~……! ……っ!」


 そこで気付く。ウィータが地面に落ちた自分の双剣を持つや否や、ベランダの向こうへと放り捨てた事に。


 カラン、カラン、と。下の方から武器の転がる音が聞こえた。


 「……」

 「ぶき、なくなっちゃったね……これならわたしの方が有利」

 「……あぁ? 寝言いってんじゃねぇぞ……素手なら勝てると思ってんのか?」


 先程の攻防で手放した闘剣グラディウスを広い、その切っ先を向けて来るウィータは、冷徹にそう言い捨てる。それに対し、ハンスは嬲り殺してやるとばかりに指をポキポキと鳴らした。


 その態度からは、相手は子供、力なんてたかが知れてる、殴り合いなら余裕で勝てる——なんて台詞が浮かんできそうだ……


 「うん。思ってるよ……今なら勝てる・・・・・・

 「……」


 虚勢や挑発ではなく、ただハッキリと事実を呟いた——そんな調子で、ウィータは言葉を続けた。それが嘘では無いと、ハンスは理解したのだろう。先程までの冷静さを欠いた態度を崩し、彼は冷徹に目を細めた。


 「……、……ちっ、……あぁ、そうだな……認めてやるよ。完璧に舐めてたよ……呪いが解けた天狼族の実力ってヤツを。タダのガキならまだしも……テメェ程の剣士相手に、ステゴロで挑むのはアホだ」


 深く溜息を吐いた彼は、心底腹立たし気にそう吐き捨てる。


 彼は傭兵だ。戦い慣れている。故に、理解しているのだろう。


 ウィータがただの子供ではなく、冷静に戦闘状況を俯瞰し、自身が有利になるような戦況を作り出しているという事に。


 ——そう。『相手のアドバンテージを奪い、自身が有利な戦場に引き摺り込む』……まるで誰かから教えられたように、ウィータはそういう戦い方に慣れている。


 今だってそうだ。『素手』対『剣』というアドバンテージを手にする為に、己が持つ手札の中から最適な組み合わせを見つけ出し、この優位性を作り出したのだ。


 ウィータはこの『冷静に戦況を分析し、自身の実力と対比して、勝利へ繋がる道筋を組み立てる思考能力』がずば抜けて高いのである。


 『戦いの天才』——ジャンはウィータをそう評したが、正にその通りだろう。


 おそらくウィータはシーが知る天狼族の中でも、ほんの一握りの者達しか持たない突出した才能を持ち合わせた天才であり……同時に、そのほんの一握りの中・・・・・・・・・・の天才達の中からも・・・・・・・・・抜きん出た傑物だ・・・・・・・・


 彼女自身の成長速度が、その事実を明白に物語っている。


 シーは冷静に戦況を見守る中で、自身の相棒である少女の潜在能力の高さに驚嘆すると同時に……不可解・・・でもあった。


 ——一体どこで、その戦い方を学んだのか? と。


 「……けどな? こっちも面子があるんだ」


 シーの思考を遮るように、フッと、笑みを浮かべたハンスが口を開く。


 「わりぃが傭兵俺たちのやり方で行かせてもらう。……汚ねぇとは言うなよ? 元々、俺たち傭兵は正々堂々なんて言葉とは縁遠い戦場場所で仕事をして来たんだからな——」

 (——っ! ウィータっ、上だ!)

 「……!!?」


 その時だった。


 シー達を覆った巨大な影に気付き、彼が咄嗟にウィータへと念話を送ると、音も無くその巨大な影の主が凄まじい速度で襲い掛かって来る。


 弾かれたように身を投げ出し、地面を転がってそれを回避したウィータ。次の瞬間、今さっきまでウィータが立っていた場所へ、巨大なが轟音と共に振り下ろされる。パラパラと抉られた地面の破片が周囲に降り注ぎと、自身の身体にもそれが落ちた事を不快に思ったのか、『ゥルルルルゥゥゥゥ……ッ』と、ソイツ・・・は低く唸り声を上げた。


 (狼……いや、魔獣か……?)


 シーの視線の先には一体の巨大な狼の魔獣が立っていた。この魔獣は見た事がある……たしか、コロッセオで檻の中に閉じ込められてた魔獣の一匹だ。


 全長二メートルはあろうかという巨大な体躯。僅かに銀色がかった体毛の中に艶やかな灰色の毛が交じっている。静かに開かれた蜂蜜色の眼の奥に光る瞳には、確かな獰猛さと凶悪さが秘められており、見る者全てを視線だけで射殺せるんじゃないかと思う程だった。


 「……ベオウルフだ」

 (……え? ベオ? アイツが?)

 「……うん、あのまじゅうの名前。千年前にはいなかった……新種のまじゅう・・・・・・・。すっごく強いから、ベオウルフの名前にあやかってそう名付けられたまじゅうだよ」


 そうか、そういう事もあるのか……と。まさか新種の魔獣まで発見されているとは思わなかったが、わざわざウィータが『すっごく強い』という評する程だ。警戒するに越した事は無いだろう。


 「どぉう、どぉう……いい子だ、ジッとしてろ」

 『ヴルルルゥ……』


 雲に隠れていた月が露わになり、ベオウルフの全様が明らかになる。


 その背には見覚えのある顔の男が跨っていた。右手と顔に包帯を巻いた大男——マックス・ムスターマンだ。大剣の他に先程ウィータが下に投げ捨てたはずのハンスの双剣も一緒に背負われている。


 興奮したベオウルフを落ち着かせるように軽く撫でた彼は、それら三本の剣を持って背から飛び降りると、「団長!」と一声掛けながら双剣をハンスへ投げた。「あぁ、助かる……」と静かに礼を言った彼は、受け取った双剣を再び構える。


 「——苦労したぞ? コイツの鼻を使って薄汚い天狼族の血・・・・・・・・を探すのは」


 ギロリ、と。準備は整ったとばかりに、マックスがウィータを睨む。


 天狼族をコケにした奴の物言いにシー達は揃って顔を顰めた。


 「知っているだろう? ベオウルフは凶暴な魔獣でな……南方アドゥザールの大森林から百を超える種の生物を絶滅させた位だ。お前もきっとそうなる。……イヒヒ。同じ狼に喰われるんだ……同類のエサに・・・・・・なるなら本望だろう・・・・・・・・・?」

 「——っ!!」


 心底から見下すように、露悪的な態度でウィータを煽り立てるマックスの言動で、ウィータが昼間のように激昂するのが分かった。瞳を大きく見開いた彼女は、少し俯きながらマックスを射殺さんばかりに睨むと、ギリリ、と音が鳴る位に歯を食い縛る。


 ゆっくりと、闘剣グラディウスの切っ先を向けた彼女は静かに……しかし感情的に、マックス・ムスターマンへ向けて言い放った。


 「——ᛖᛏᛁᚫᛘエアティム・ ᛋᚢᛒスブ・ ᛖᛟᛞᛖᛘエオデム・ ᚳᚫᛖᛚᛟカエロ・ ᚳᚢᛘクム・ ᛏᛖテ・ ᛋᛈᛁᚱᚫᚱᛖスピラレ・ ᚾᛟᛚᛁᛘノリム……‼/やっぱりわたし……おまえだけは大っきらいだ……っ!!」


 感情的になりラティウム語でそう叫んだウィータ。闘剣シーを握る拳にいっそう力を込めた彼女は、ふぅ——、と呼気を吐きながら全身を深く落とした。


 「——さて、会話を楽しむのはこれ位でいいだろ……|人間狩り《マンハントだ!」


 まるでそれが合図だったかのように、この場の静寂しじまを破ったのはハンスの一言だった。同時に彼とマックス、そして魔獣ベオウルフが地面を蹴り上げ——次の瞬間、鳴り響き始めた剣戟の音が戦いの火蓋を切って落とした。

_____________________________________

※後書き

次の更新は、4月8日12時30分頃です。

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