第24話‐言葉(やくそく)①

 脳裏には未だその光景が鮮烈に焼きついている。


 八年もの間、わたしが生き続けてきた故郷が火に呑まれて行く光景だ。


 今までそこにあって当たり前だった全てが轟々と音を立てて灰になって行く過程は、子供ながらに込み上げて来るものがあったのを今でも覚えている。あの日わたしは、この世に『絶対』は存在しないのだと、魂の底から理解したのだ。


 『——ᛞᛁᚷᚾᛁᛟᚱᛖᛋディグニオレムス ᛋᚢᛘᚢᛋ・スムス・ ᛁᛘᛈᛖᚱᚫᛏᛟᚱᛖイムペラトレ・ ᛩᚢᚫᛘクワム・ ᛏᚢトゥ……!!/お前達はデネ帝国皇帝の座に相応しくない……!!』


 焦げ臭さに混じった血と骨肉の焼ける悪臭が、まだ鼻の奥に残っている。


 現実感の無い記憶の中で叫んだ男——わたしたち天狼族を目の敵にしていた白狼族の男は、独り善がりな義憤で表情を歪め、わたし達を睥睨していた。


 何でも彼らの言い分では邪神の呪いに侵され弱くなったにも関わらず、未だ皇帝の地位に天狼族が就き、他の獣人たちの上にふんぞり返っていた事が気に入らなかったらしい。


 デネ帝国は代々、力ある者が皇帝の椅子に座って来た国だ。


 わたしが今よりも・・・・・・・・幼かった頃・・・・・皇帝の玉座に・・・・・・座っていた・・・・・天狼族・・・をその椅子から引き摺り下ろした彼ら白狼族の後に続き、他の獣人たちも、今までの不満を爆発させるように、天狼族狩りが始まったのを覚えている。


 『力と同胞を尊ぶ』という獣人らしい文化の上に成り立ってきたデネ帝国において、弱いにも関わらず亡きベオウルフの威光を傘に権力を手に入れていた天狼族は、自然と排他と侮蔑の対象となったのだ。


 『ᚳᚢᚱクル・ ᛏᚫᛘタム・ ᛋᚢᛈᛖᚱᛒᚢᛋスペルブス, ᛩᚢᚫᛘᚣᛁᛋクワムウィス・ ᛘᚫᛚᛖᛞᛁᚳᛏᚢᛋマレディクトゥス・ ᛖᛋエス? ᛖᛪᛁᛏᛖエクスィテ・ ᛖᛪエクス ᚻᚫᚳ・ハク ᛏᛖᚱᚱᚫ・テルラ, ᚣᛟᛋウォス・ ᚣᛁᚳᛏᛟᛋウィクトス! ᛒᛖᛟᚹᚢᛚᚠベオウルフ ᛁᚫᛘ・イアム ᛘᛟᚱᛏᚢᚢᛋ・モルトゥウス ᛖᛋᛏ・エストゥ! ᛋᛁスィ・ ᛈᚫᚱᚫᛋᛁᛏᛁᛋᛘᚢᛋパラスィティスムス・ ᛟᛘᚾᛁᚫオムニア・ ᛈᛟᛏᛖᛋポテス, ᚫᚢᚱᛖᛋアウレス・ ᛖᛏエトゥ・ ᚳᚫᚢᛞᚫᛘカウダム・ ᚫᛒᛋᚳᛁᚾᛞᛖアプスキンデ・ ᛖᛏエトゥ・ ᛘᛟᚱᛁモリ!!/力を失なった分際で、何故お前達の一族は皇帝の座に居座り続けているのだ! 我等がデネの赤き国旗にお前達の血は必要ない! ベオウルフは死んだのだ! いつまでも大英雄の権威に縋り、傲慢な権力を振り翳す天狼族はっ、デネ帝国と、この世全ての獣人の恥さらしだ!!』


 彼らの怒りは思った以上に大きかった。


 他の獣人たちを先導し当時の皇帝であった天狼族を粛清するに飽き足らず、天狼族という種族そのものから新たなる皇帝が出ないように、彼らは帝都に住んでいなかった地方の天狼族にすら刃を向けたのである。


 村も、家も、同胞も、友達と駆け回った野原も、塩害の中で必死に育てた麦畑も、ただ燃え盛る炎に呑まれて行く光景を前に、あの時のわたしはただ漠然とした屈辱と、徐々に湧き上がって来る黒い感情に身を委ねる事しか出来なかった。


 『……ᛘᛖᛘᛖᚾᛏᛟᛏᛖメメントーテ, ᚳᚫᚾᛖᛋカネス・ ᚫᛚᛒᛁアルビ! ᚳᛖᚱᛏᛖケルテ・ ᚳᚱᚢᛟᚱᛖᛘクルオレム・ ᛁᛚᛚᚢᛘイルルム・ ᛞᛖᛚᛖᛒᛁᛘᚢᛋデレビムス!!/……白い犬め! この世に生まれ落ちた事を必ず後悔させてやるぞ!』


 見慣れた姿、聞き慣れた声。その言葉を叫んだのはお爺ちゃんだった。


 わたしよりも早くその黒い感情に身を委ね切ったお爺ちゃんが、闘剣グラディウスを片手に叫んでいる。『そうだ……その通りだ!』——と、お爺ちゃんの憎悪に共感したあの時のわたしは、胸の内では何度もそう叫んでいた。


 全ての獣人にとって強さとは誇りである。舐められたままでは終われない。たとえ力を失おうとも……焼かれた村の報復を! 殺された同胞の復讐を! と。


 わたしの胸の内で、憎悪の火が沸々と湧き上がる感覚があったのだ。


 『……ᚾᛟᚾノン ᛒᛖᚾᛖ・ベネ・ ᛖᛋᛏエストゥ, ᚣᛁᛏᚫウィータ. ᛩᚢᚫᛖᛋᛟクワエスォ ᚾᛖ・ネ・ ᚣᛁᛞᛖウィデ……/……ダメ、ウィータ。見ないで……』


 でも、それはダメだと。それは止めてくれと。


 わたしの眼を手で覆い隠し、強く抱きしめる人がいた。


 『ᛩᚢᚫᛖᛋᛟクワエスォ ᚾᛖ ᛁᛋイス ᚠᛁᚫᛏフィアトゥ ᛩᚢᛁクウィ ᛈᚱᛟプロ ᚳᛖᚱᛏᛟケルト ᛟᛞᛁᛋᛋᛖオディススェ ᚫᛚᛁᛩᚢᛖᛘアリクウェム ᚫᚳᚳᛁᛈᛁᛏアッキピトゥ……/誰かを憎む事を当たり前だと思うような人にならないで……』


 綺麗事だと思った。一線を越えて来た奴らに容赦なんてする必要無いのに……。


 でも、お母さんのその祈りにも似た言葉がまだ耳にこびり付いている。


 その言葉で封印された行き場の無い怒りを内に抱き、わたしは呆然とする事しかできなかった。その後、追手から逃げる為にわたしを抱っこした父が、何かを叫びながら必死の形相で逃げ続ける姿を覚えている。


 父の背越しに見えた燃える故郷を、わたしは生涯忘れる事が出来ないだろう。


 ——これさえ無ければ・・・・・・・・わたし達はあんな目に・・・・・・・・・・遭う事が無かったのに・・・・・・・・・・、と。




 『……』


 故郷を燃やされた日から何日経ったのだろう。


 あの時は永遠の時が流れたように思えた。でも、実際には数日しか経っていなかったと思う。まだ八歳だったあの頃のわたしにとって、自身のルーツである故郷を失うという経験は、時間の感覚を失う程の衝撃だったのだ。


 『……ᚣᛖᚾᛁᚢᚾᛏウェニウントゥ ᚫᛞᚻᚢᚳ・アドゥフク ᛈᛟᛋᛏ・ポストゥ ᚾᛟᛋ・ノス/……奴ら、まだ追って来るぞ』


 彼らは、生き残ったわたしたちを見逃してはくれなかった。


 邪神の呪いで弱くなってしまったからだ。かつて最強だったわたしたちは、わたしたちが思う以上に呪いに蝕まれていたのである。『英雄の血族』と讃えられていた頃の力は見る影もなく、わたしたちはあっさりと奴らに追い付かれた。


 『ᛞᛖᛋᛁᚾᛖデスィネ・ ᛖᚫᛘエアム……!!/やめろっ、やめてくれ……!!』


 一人、また一人、と。悲鳴と宙に舞う血飛沫と共に同胞が消えて行く。


 わたしたちは必死だった。


 必死に逃げて、逃げて、逃げて……逃げた先で、ついに思い知ることになる。


 ——もう逃げ切れない、と。


 『……ᛖᚫᛘᚢᛋエアムス ᚫᛞ・アドゥ ᛟᛋᚾᛁᚢᛘオスティウム ᛏᚻᚫᛞᚫᛚ・タダル ᛈᛚᚫᚾᚫᛖ・プラナエ/……干潟の扉に行こう』


 そうして追い詰められるところまで追い詰められた頃、誰かがそう言った。


 ——エースヴィアの地には『干潟の扉』と呼ばれる場所がある。


 あの地域に住まう天狼族ならば誰しもが知っている禁忌の地——エースヴィアの地方の西岸にあるワーデン海、その数百キロに渡って干潮時のみに現れる巨大な干潟の事である。


 怪物の住まう地として知られるその場所には、地元の人間ならば誰も近付かない。


 あそこには怪物が住んでいると、誰もが知っていたからだ。


 でも——わたしたちは追い詰められていた。怪物が住んでいると知っていて、それでもわたしたちはあの扉の向こう側に行かなければならなった。


 だからだったのだろう。誰も彼の意見に反対しなかった。寧ろそれはいい案だとばかりに、皆、彼の意見を褒め称えた。……それだけ、わたしたちは追い詰められていたのだ。誰かが反対すれば、あんな目に遭わずに済んだのに——。


 そして。


 干潟の扉に行こうと言った彼——ラウルが、一番最初の犠牲者・・・・・・・・となった・・・・


❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖


 「……白狼族はにくい……でもね、わたしには、それよりも、あんなヤツらよりもずっと……ずっとずっと、ころさなきゃいけないヤツがいるんだ……」


 滔々と語るウィータの話し口が僅かに震えている。その震えの原因を、シーは知っている。……復讐心・・・だ。憎悪に燃える者特有の、惨めさと敵愾心てきがいしんが入り交じった泥のような灰色の感情である。


 「……」


 三大英雄たちの同胞が受けた迫害の歴史——その当事者であった事を明かした彼女の過去に、シーは何も言えなかった。どこかでまだ、シーは自分達が救った世界の事を信用していたのかもしれない。


 ……いや、きっと信じたくなかったのだ。


 自分達が救った人たちが、何かを傷つけたという事実を——。


 「……みんなね……『干潟の扉』でアイツにころされたんだ」


 しかし、ウィータの口から語られる過去に出て来た存在の中で、最も強い復讐心が向けられた存在は、彼女たちが何よりも恨んでいるであろう白狼族ではなく——『一体の魔獣・・・・・』だった。


 「……アイツに、アイツにみんなころされた。お母さんも、お父さんも、ラウルも、ルイーゼおばさんも……みんなみんな、アイツにころされた。わたし……みんなに生かされて、それで一人だけ生きのこったの」


 静かに語るウィータの声は僅かに震えている。怒り……いや、怒り以上の屈辱と惨めさと、それ以外の何かが込められた彼女の言葉には、シーの知らないウィータの素顔が垣間見えていた。


 「——シーちゃん……わたしね? どうしてもやらなくちゃいけないことが、二つあるんだ」


 一拍の間を置き、そう言ったウィータは静かな……しかし、強い決意の意志を込めて言葉を続ける。黙って聞いていたシーは、俯きながら彼女の言葉を静聴した。


 「一つは、故郷にかえって、死んじゃったみんなのおはかを作ること」


 「もう一つは——」と、言葉を続けたウィータ。何故か不意に、強い殺気を感じシーは俯いていた顔を上げた。そして「っ……」と、驚きで息を呑んだ彼は・・・・・・・・・・、自身の視線の先にいるウィータをジッと見た。


 「——あの魔獣をころして・・・・・・・・・わたしたちの・・・・・・ほこりを・・・・取りもどすこと・・・・・・・


 眼には、その者の本性が良く現れるものだ。


 震える瞳孔は臆病者、揺るがぬ瞳は勇者の証、下を向く眼光は自信の無さを表し、絞られた三白眼は怒りや憎悪を想起させる。眼ほど、人の感情が現れる器官は無い。


 ならば——ウィータの本性は何だ?


 あの大きく開かれた瞳に込められた、あまりにも強過ぎる感情は何だ?


 怒り、憎悪、復讐心——。そんなありふれたちゃちな感情ではない。


 もっと、もっと、もっと強い激情だ。


 その瞳の名前をシーは知らない。ただ、良いものではないという事だけは分かる。これ程までに強く……そして、灰暗い瞳を、シーは今ままで見た事が無い。数多の英雄を見て来た彼ですら、こんな瞳は初めて見た。


 決意にも見える。復讐者の目にも見える。なのに、今にも泣き出しそうな、幼い子供の瞳だ。独りぼっちを嘆き、独りで泣きじゃくっているようなそんな幼子の目に見える——。


 「——……、……、……ウィータ。キミは、いったい何者だ・・・・・・・?」


 シーの胸中に浮かんだ強い疑問。思わず口から出してしまったその質問を、彼はそう遠くない未来に後悔する事になる。


 ——その答えは、とても残酷で、救いが無かったからだ。


 「……」


 ウィータは答えなかった。代わりに泣き出しそうな瞳で笑みを浮かべ、口を開く。


 「わたし。シーちゃんと……あとテラちゃんにも、謝らなきゃと思ってたんだ」

 「……謝る?」

 「うん。じゃしんを倒す前に、わたしはアイツをころさなくちゃいけないから」

 「……」


 話を逸らすようにそう言ったウィータの言葉に、シーは何も言えなかった。答えたくないという事なのだろう。重い空気感を破るように、大きく深呼吸したシーは、数秒だけ考え「……謝る事なんて無い」と、ウィータの話に乗っかる事にする。


 今はまだ、踏み入るべきは無い。


 この子の口から自然に話してくれるのを、待つべきだ……と。


 「元々オレが巻き込んだようなもんだ。寧ろ、巻き込んだお詫び……といっちゃアレだけど、その魔獣と戦う事になった時は存分にオレの力を使ってくれ!」

 「あいさー……ありがと、シーちゃん。伝説の大せいれい様がそう言ってくれるなら、うん……心強い!」


 無理やり気味に笑顔を作ったウィータは空に向かって拳を突き上げた。


 「わたしの話は、これくらい……かな?」

 「もういいのか? 別にウィータが話したいなら、ちゃんと聞くぞ」

 「う~ん……ホントはまだ話したいこといっぱいあるんだよ? ……ちゃんとリングア・フランカを勉強したつもりだったけど……みんな何いってるか分からなかったこととか、お金とか、食べものとか、服とか……外の世界のじょーしきがぜんぜん分かんなかったこととか……さいごはドジしちゃって……よーへい団に売りとばされちゃったこととか……。他には、う~ん……、……、……暗い話ばっかりだから止めとく!」

 「……ほぼ全部話してない?」


 指を一つずつ折りながら聞いて欲しい事を羅列していくウィータ。最後は、むん! と謎の万歳ポーズを取る。別に話したいのなら話してくれて構わないと思うシーだが、「えへへ……ありがとね、シーちゃん。話聞いてくれて?」と、ブツリと話を終わらせた彼女の反応を見る限り、本当にただ、これ以上は話したくないだけなのかもしれない。


 シーはそれ以上は追及せず、会話の流れに身を任せる事にした。


 「おかげでちょっとスッキリした!」

 「気にするな。オレは聞いただけだしな……寧ろ、スマン。こういう時に気の利いたセリフの一つでも言えれば良かったんだけどな……」

 「ムムム……たしかにそうだね。これは一つ……シーちゃんには、わたしへのおわびとしておねがいを聞いてもらわないとダメだね……」

 「っ! お、おうっ、任せろ! 何でも言ってくれ!」

 「……ほほ~ぅ、いま何でもって言ったね? シーちゃん?」


 話に一段落がつき少しわざとらしい位に明るいノリでニヤニヤと笑うウィータ。会話の流れとはいえ、シーは思わず何を言われるのかと戦々恐々とした。


 生唾をゴクリと飲んでジッとしていると、「じゃあ——」とウィータが口を開く。


 「——千年前のお話聞かせてよ、シーちゃん」

 「……へ? そんな事でいいのか……?」

 「うん……いいの。わたしさ、シーちゃんが千年前から来たって聞いた時から……ずっとそのお話聞きたかったんだ」

 「まぁ、その程度なら別に全然いいけど……本当に良いのか? 言っとくけど一日や二日じゃ終わらないぞ? ……長くなるけど構わないな、相棒?」

 「もちろん……何日でもつきあうよ、シーちゃん?」


 シーが砕けた口調でそう言うと、ウィータもそのノリに合わせてシーフードを一口頬張った。そのままシーは、暗くなった空気を払拭するように自分達がして来た冒険譚を、明るく話し出す。


 夜が更けて行く事も気にせず、シーはただ無邪気に相棒との時間を楽しんだ。


 そんな場合では無かったというのに。


 この時のシーは、知りもしなかった。想像だにもしなかったのである。




 ——ウィータが背負った、あまりのも救いのない『言葉うんめい』の重さを。

_____________________________________

※後書き

次の更新は4月7日20時30分頃です。

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