ケモミミのサーガ

楠井飾人

Episode I:逆境の勇者

序幕:別れと目覚め①

※前書き

書き直して再掲載したものになります。『Epidode I:逆境の勇者』までは完成しているので、これから完成している話数分は毎日投稿します。第一章は先行公開しておきます。

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 渦を巻く黒ずんだ雲の群れが、まるで蛇のように蠢いている。


 鈍色にびいろの空を茫々ぼうぼうう様はただただ不気味で、さながら腹の内に邪悪な一物いちもつを抱える彼らの内面を、そのまま表象ひょうしょうしたようだった。


 その三白眼に睨まれたからなのか、それとも、その牙に噛み付かれでもしたのか——、我が目を疑いたくなるような破壊の跡が無数に刻まれた大地は、いっそ恐ろしいまでに閑々かんかんとしている。


 地平の彼方、水平の向こう……、見渡す事が出来る限りにまで続く終末の景色を見守る人影は、彼ら・・を除いて一つもない。


 コレ・・を見れば、どんなに鈍感な者であろうとも否応なしに理解せざるを得ない——。あぁ……この世界からは既に、生命の痕跡も、文明の面影も、およそ栄華と呼ばれるものの全ては完璧に消え去ってしまったのだ、と。


 さて、邪神ウル・・・・が作り出したこの結末に、一体どれだけの人が恐怖したのだろう?


 それは最早もはやだれも知る事が出来ない数字だ。しかし……『その数字は途方もなく、そして数える事すら億劫だった』——そんな認識だけは、邪神ウルへの畏敬いけいを表す為に、未来永劫、引用され続ける事だろう。


 無慈悲に、不条理に、万人へ平等に死を与えて来た邪神ウルの恐ろしさは、それ程までに強大であったのだ……と。


 「——あぁ、全く。何たる事だろうか……」


 だが、そんな邪神ウルが起こした悲劇も今日で幕を閉じる。


 「……よもや臆病な神々が、これ程の手駒を持っていようとはな……。あぁ、全く口惜しい……実に口惜しき結末だ……」


 黄昏たように空を仰ぐ襤褸切れを羽織った黒い男——世界に狂気と、混沌と、破壊の限りを撒き散らした邪神ウルは、ボロボロと体が崩れ虚空へと消えて行く。


 そう、大精霊シーと天狼族の大英雄ベオウルフ——つまり、彼ら・・は。


 ——見事 、あの邪悪の化身を討ち倒したのである。


 「天狼族の英雄よ、そして神々が創りし精霊よ……今はただ讃えよう……その偉業と、その栄光を……。だが・・……これで終わりではない。まだ何も終わってはいない……」


 尊大な言葉の羅列とは裏腹に、悔し気に彼らを睨むその姿は今際いまわきわ戯言ざれごとでしかないのだろう。未練がましい捨て台詞を吐き捨てる邪神ウルは、最期に彼らを睨みつけながら口を開いた。


 「——呪いあれ、災いあれ……その血脈の一切に・・・・・・・・非業あれ・・・・


 そして、そう言い残した邪神ウルは灰となって消えていった。


 同時に鈍色の空の向こうから一筋の陽光が射し込み、散り散りになって行く雲間から太陽が顔を出す。優し気に降り注ぐ温かな光との再会を懐かしむように、閑々としていた大地が色を取り戻して行く。


 『おい……ベオ……起きろよ、ベオ……っ!』

 「……あぁ、聞こえてるぜ」


 なのに。なのに大英雄は。


 彼の——変身の大精霊シーの相棒であるベオウルフは冷たいままだった。


 雄々しく輝く緋色の髪——天狼族最大の特徴であるその誇り高き髪は、生来せいらいつややかな緋色ではなく、赤黒く変色した血の色で汚れている。


 聖神オレルスを祀る為の崩れた神殿——ユーダリル神殿の瓦礫に寄り掛かり、ベオウルフは今にも光が失われてしまいそうな緋色の瞳を、虚ろに揺らがせながら呆然と虚空を見つめていた。


 全身には無数の傷が刻まれ、その傷からはおびただしい量の流血。


 まだ生きているのが不思議な程にベオウルフの肉体は傷つき過ぎている。


 『なぁ、起きてくれよ……相棒……っ!』


 その瀕死の大英雄の名を呼ぶ声が一つ。


 彼と契約した神々が創りし最強の大精霊——シーだ。


 「……シー。そこにいる……のか?」

 『あぁ、いる……っ。ここにいるぞ……!』


 もうベオウルフの目にはシーの姿さえ映っていないようだった。瀕死のベオウルフにはもう視力さえも残されていないのだろうか? ——いや、きっと違う。


 見えていない・・・・・・のではなく、見る事が出来ない・・・・・・・・のだ。


 何故ならシーは、神々の霊体アニマを寄り集めて造られた精霊。


 完全なる霊的波動体であると同時に、決まった姿と肉体を持たない彼は、実体化するのに人間との霊体アニマ——この世に存在する生命全てに宿る力ある魂——へ融合し、霊子マナを供給して貰う必要がある。


 だが、瀕死のベオウルフの霊体アニマでは霊子マナの供給など不可能だろう。故に、実体化できない程に弱り切った今のシーでは、ただ声を届ける事くらいしかできないのだ。


 シーが実体化できずに青くボンヤリとした光——剥き出しになった霊体アニマの状態という事は、それだけベオウルフの霊体アニマがボロボロであり、霊子マナの供給すらままならない状態である事の何よりもの証なのだろう。


 ——つまり、ベオウルフはもう助からない・・・・・・・・・・・・・という事だ。


 『なぁ、嘘だろ……こんな所で死んでどうするんだ……っ!』


 たが、それでも。それでもシーは諦められなかった。


 だって、オマエが死ぬわけないだろ? と——。 


 最強の獣皇じゅうおうベオウルフが死ぬところなんてオレには想像できない。いつだって豪胆に笑って、どんなに危機的な状況であろうと何とかして来たオマエが、このまま終わるだなんて信じられない!


 これは何かの悪い夢だ——。


 目が覚めればベオは、何時もみたいに笑ってくれるんじゃないのか?


 どうしても、シーにはそんな期待が捨てきれないのだ。


 駄々をねた子供のように、シーはベオウルフのすぐ横に寄り添った。


 『ウルを倒したらたくさんやらなきゃいけない事があるって言ってたじゃないかよ……っ! デネ帝国はどうする……!? 皇帝のオマエが死んじまったら、誰があの国を纏めるんだ……っ!』

 「……あぁ……」

 『エリーちゃんだってそうだ……っ! 親父のオマエまで死んじまったらっ、あの子は一人じゃねぇかよ……っ! なぁっ、ベオ……!』

 「……そうだなぁ……」

 『……~~っ!』


 必死に呼び掛けるも、ベオウルフから返って来たのは虚ろな反応だけ。もう息をする事さえ億劫な状態なのだろう。次の瞬間には事切れていてもなんらおかしくない。


 そんな相棒の姿を見ていられず、気付けばシーの声は涙ぐみ始めていた。


 「……はは、は……なに泣いてんだよ、シー。俺の心配なんてしてる場合か……? お前だって消えちまう寸前じゃねぇかよ……」

 『オレは……オレはいいんだっ! オレはウルを討ち倒す為だけに造られた精霊だ! 使命を終えたオレが消えようがどうしようが、どうだっていんだ……! でも、オマエは……オマエは……っ——』


 ——これからじゃねぇかよ……っ! と。


 嗚咽おえつ交じりの声で叫んだシーとは対照的に、ベオウルフの声から少しづつ生気が失せて行く。大量の出血で肌が病的な程に青白くなり始めたベオウルフの目には、もう光の一筋も映っていないのだろう。


 大英雄の矜持きょうじゆえか、薄っすらと浮べられた笑みだけが勝気だった。


 だが、最期の瞬間まで豪胆ごうたんさを崩そうとしないその姿が、かえって取り返しのつかない現実を強調していて、シーの中の絶望感を余計にあおった。


 「……そんな事言うなよ、相棒……使命だか何だか知らねぇが……せっかく生まれたんだ……どうだっていいなんてこたぁねぇだろ……」

 『……。……あぁ、そうだな。オマエの言う通りだ……っ。オレだって見たいものがたくさんある! オレ達が救った世界を見に行きたい! でも一人じゃダメだっ、オマエとじゃなきゃダメなんだ……! だから——これからも旅を続けようぜ……相棒・・……っ!』

 「……」


 縋りつくように。シーはベオに言った。


 気配を感じ取ったのか、虚空を見つめたままのベオウルフの顔が僅かに動く。


 もう絶対に叶う事の無い夢を口にするシーの祈りは、最期の最後でベオウルフに力を与えたのだろう。次の瞬間、僅かに笑みを浮かべた相棒は、消え入るように口を開いた。




 「——ありがとよ、相棒……楽しかったぜ」




 そして……大英雄ベオウルフは息を引き取った。


 虚ろな瞳に残っていた僅かな光が完全に色を失い、ゆっくりと呼吸で上下していた胸が完全に動かなくなる。心音は止まり、風に吹かれる髪から色味が消えた。


 静かな最期だった。


 あれだけ鮮烈な生き様をした大英雄にも関わらず。


 ——驚く程に、その表情は穏やかだった。


 『うぅ……うぅぁ……っ』


 こらえるようにすすり泣くシーの声だけが響く。一人旅立ってしまった相棒の真横で、彼は実体化もしていないのに全身の力が抜けて行く感覚を感じていた。


 相棒を失った絶望感ゆえにか。それとも——。


 目的を遂げたにも関わらず、自分が救った後の世界を見れないやるせなさ故にか。


 答えは、そのどちらでもない。


 ——文字通り消えているのだ・・・・・・・


 シーの身体である霊体アニマを構築している青い光——霊子マナの光が急速に輝きを失い、小さな燐光となって虚空に消えて行っている……だが、それもそのはずだ。


 シーは邪神ウルを倒す為だけ・・・・・・・・・・・に産み出された精霊・・・・・・・・・である。


 そのウルが倒れたのだ……シーが消えるのは当然の事だ。神々が自らの霊体アニマを切り分け、それを元に造り出された精霊であるシーの使命は、ようやく……ようやく終わってしまったのである。


 『ちくしょお……っ、こんなのって無いだろ……っ!』


 薄れゆく意識。暗くなって行く視界。


 全ての感覚が緩やかに世界に溶けて行く現実を自覚しながら、彼は祈った。


 ——誰でもいい。せめて……せめてもの救いを、ベオに与えてやってくれ、と。


 シーはただ空を見上げて祈った。誰かに届くように。


 「——残念ですが……貴方の祈りを聞き届ける事は出来ません」


 まるで、そんな祈りが届いたように。だが、その祈りをへし折るかのように——。


 突如として降り注いだ声の主は、ただただ懺悔するような声音でそう言うと、しわくちゃの手でそっとシーに触れて来た。


 「赦して下さい……この期に及んで、まだ貴方を頼るしか出来ない……弱い神々わたしたちを——」


 薄っすらと開いたシーの目に最後に映ったのは一人と一匹の影だった。見覚えのあるシルエットが伸ばして来た両手に抱かれたのを最後に、シーの意識は途切れて行く。


 「——千年後にまた……案内人は用意しておきます」

 「ケケケッ、今はゆっくり休め……シー——」


 その言葉を最後にシーの意識は完全に掻き消えた。






 開拓暦一四八年。


 天狼族の大英雄ベオウルフと変身の大精霊シーを中心とする万夫不当ばんぷふとうの英雄達が、命に始まる全てを賭して、最悪の邪神ウルは討たれた。


 この大戦乱で人類が住んでいた世界は生き物が住むことのできない死の世界へと変貌し、全ての人類は空間の悪魔トポスの力により最果ての向こう側にある別の土地へと移住したという。


 後の世でエピタピオスの領界りょうかいと呼ばれるこの死の世界には、今もなお幾人もの英雄たちが埋葬さえされずに亡骸のまま眠っていると語り継がれる事となった。


 ——勿論。後の世で『四大英雄』と呼ばれた大英雄達でさえ、その例外ではない。


 カインの末裔史上最強の大魔導士『アベル』と、その相棒である空間の大悪魔『トポス』。


 神話に残る幾百千の魔具を産み出した死の職人『ボグ』。


 そして。


 天狼族の大英雄『ベオウルフ』と、変身の大精霊『シー』。


 あの死の世界に立った全ての英雄たちは皆、無念を胸に旅立った。


 得たもの以上に、失ったものが多すぎた邪神との戦いの後の世を知る英雄は、ただの一人としていない……。




 そのはずだった・・・・・・・——。

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