第7話−天空の広間にて−

宮殿内では、急に降り出してきた雨に使用人たちが慌ただしく動いていた。


「皇子殿下はどちらに?」


執事長は、近くを通りかかったメイドに声を掛ける。


「朝から遠乗りに出かけておいでです」


「ではおそらく中止されて御戻りになるだろう。ご入浴の準備をしておいてくれ」


「かしこまりました」


メイドはさっと走り去った。


「フェイリム!」


突然名前を呼ばれて、執事長はぱっと振り返る。


「シーマス皇帝陛下!」


側に駆け寄り、深くお辞儀をした。


「いかがされましたか」


「グアンはどこだ!」


「遠乗りに出かけておいでです。この雨ですからすぐお戻りになるかと…」


「戻ったら執務室に来るよう言え」


「お風邪を引かれては困ります。ご入浴の後でもよろしいでしょうか」


「そんな軟弱者に育てた覚えはない。着替えだけさせてすぐ執務室に来るよう言うのだ。よいな!」


「かしこまりました…」


何やら不機嫌な様子のシーマス皇帝に食い下がることはせず、執事長は一礼をし側を離れ、すぐに先ほどのメイドを探しに行った。


メイドは皇子の部屋の前で見つかった。

言われた通り入浴の準備を進めていたようで、手には清潔なタオルを何枚か持っていた。


「ああ、すまない。皇子のご入浴の準備だが、今皇帝陛下がお見えになってな。

皇子様にはお着替えのみにしてすぐに執務室に来るようとの仰せだ。

乾いたタオル…は今持っているそれか。

あと、お風邪を引かれぬよう温かいタオルも準備しておいてくれ」


そこにちょうど第一皇子が帰って来た。

案の定ずぶ濡れの姿で、かなり不機嫌そうだ。

メイドは慌てて手に持っていたタオルを皇子に差し出した。

ばっと奪うようにタオルを掴み、頭から被り、長い宙色の髪を乱暴に拭いた。


「なんだこの雨は!さっきまであんなに晴れていたというのに!」


「皇子殿下!皇帝陛下がお呼びです。

お着替えなされましたら執務室へ来るようにと仰せつかっております」


「父上が?わかった、すぐ向かう」



——————



乾いた服に着替え、グアンは執務室の扉を叩いた。


「入れ」


「失礼いたします。

一体何の用ですか父上」


ツカツカと歩み寄り、執務の机に寄りかかりながら聞いた。

不遜な態度だが、グアンは怒られないことをわかってやっている。

少しばかり眉根を寄せ、シーマスは態度ではなく言葉づかいを注意した。


「陛下と呼べと言ってあるだろう」


「皇太子でもないのに。正式に皇帝の座を継ぐとわかるまでは親子でいさせてください父上」


「…フン」


鼻を鳴らし、まぁいい、と腕を組む。


「翡翠の花婿が到着した」


「なんですって!?精霊族の…そうか、いよいよ…。

…その…姿はご覧になったのですか」


「ああ、見た。どうやら本物のようだ。

今夜ステルカーナと晩餐をとるらしい。

…シェフに言ってお前の分も用意させた。グアン、お前、行って花婿に取り入ってこい」


「はい!?ち、父上…まさか僕に、ステルカーナと精霊族を取り合えと仰るのですか!?」


グアンの慌てように、シーマスは眉を吊り上げて訝しんだ。


「………何?」


「僕は男です!仮に精霊族がすごい力を持っていたとしても、帝国のためだとしても、男と夫婦になどなれません!」


「は!?まったくバカ息子め!!」


息子の甚だしい勘違いにシーマスは額を抑えた。


「誰が婚姻まで結べと言った!!

友人になってこい!!」


「あ…友人、ですか…」


「は~~~っ!まったく!お前がそんなだから私は安心して後継者に選べんのだろうが!」


「う…」


「今のところ、一番皇太子に近いのはステルカーナだ」


ぎくっ、とグアンは固まる。


「だがお前は私の血を直に引いている。

ステルカーナが桃水晶の瞳を持って生まれていなければ、今頃とっくにお前が皇太子であっただろう」


グアンは今年18歳になる。

後継者が複数いる場合は、この年齢でも皇子のままであることは珍しくなかったが、過去にはもっと若い年齢で皇太子になる皇子もいた。

現に、シーマス皇帝が皇太子となったのは12歳の頃だ。


「よいかグアン。言葉を変えるなら、ステルカーナは精霊族の伴侶という後ろ盾がなければただの娘だということだ。

帝国にはあの力が必要なのだ。

人間には扱えぬ神の力が…」


図書室前の廊下で起きた出来事を思い出し、シーマスは思わず身震いする。

息子にその様子を気取られぬよう机をドンと叩き、声を大きくした。


「お前があの精霊族の若者と友人になれば、ステルカーナをわざわざ皇帝になどせずとも、精霊族の力を借りられるではないか、え?ステルカーナの言葉によってではなく、お前の言葉によってあの精霊族を動かせるようになるのだ」


グアンの胸を人差し指でぐい、と指し押し、今度は逆に声を落として言った。


「そうすればお前を皇太子にしてやろう」


「ほ、本当ですか父上…!」


「ああ。そこまでできれば申し分ない」


「………!」


グアンはごくりと喉を鳴らした。

ぱっと机から離れ、左胸に拳を添えて告げる。


「お任せ下さい、陛下。必ずや、あの精霊族を意のままに操ってみせます」


「期待しているぞ、第一皇子」


一礼をし、グアンは執務室を後にした。




—————天空の間—————


外を見ながら食事がしたいというジェラルジズの希望を叶えるため、天空の間と呼ばれる中庭に面した広間で晩餐の準備が行われていた。

普段は少数の客人をもてなすために解放される小規模なパーティー用の広間だが、中庭を一望できる大きな窓があるためここが選ばれた。

この中庭は宮殿内で最も広い庭園で、精霊族の皇后フェイフが天空の島に似ていると気に入ったため、天空の庭園と呼ばれるようになった。

その中庭を一望できるため、この広間は天空の間と名付けられたのだ。

黄金時代を築いたウージオ皇帝とフェイフ皇后は、ここで晩餐をとることが好きだったと言われている。


天井から床まで高さがある大きな窓からは美しい庭を見ることができる。

窓際に机や椅子が運ばれて、銀食器や花、燭台などがセッティングされていく。


準備の間だけ、と、ジェラルジズとステラは中庭をもっと近くで見るためバルコニーに出ていた。


「雨の降る庭もいいね」


ジェラルジズはキラキラとした表情で中庭を見ている。


「もう一回見たいなって思ってたから嬉しいな」


「もうご覧になってたんですか」


「今日大臣に宮殿を案内してもらった時にね。故郷に似てて驚いた」


「そんなに天空の島に似ているんですか?」


「まったく同じというわけじゃないけど…。整えられた花壇よりは、こうやって一面に咲き乱れてる方が似てる」


なるほど、とステラは頷いた。


「でも雨でよく見えないんじゃないですか?」


と心配になって訊ねる。

だがジェラルジズはにこっと笑って、


「天空の島には雨が降らないから、これはこれで違った景色が見れて楽しいよ。

でもこうすれば、もっとよく見えるかな」


と指をついと動かした。


すると目の前の雨が、まるでカーテンを開けるかのようにさーっと分かれて視界を明らかにする。


「すごい、どうやってやったの!?」


サッと手を差し出してみても、やはりそこだけ雨がやんでいる。


ジェラルジズはにこにこしながら、


「ココモはもっとすごいことできるよ」


と言った。


「ココモって誰?」


と聞くと、ジェラルジズはあっ!と言って顔を赤くした。


「ごめん、君の名前…ステラって知らなかったから、今日まで勝手にそう呼んでたんだ」


「そ、そうなんだ…」


何故かつられて顔を赤くしながら、ステラは自己紹介をしていなかったことに気が付いた。

しかも、自然体で話すジェラルジズについ自分まで砕けた口調で話をしてしまっていた。

慌てて少し、半歩距離を取り、


「そういえば自己紹介していませんでしたね。申し遅れました。

オシラン帝国第二皇女、ステルカーナといいます。どうぞステラと呼んでください」


両手でドレスの裾を持ち上げ、浅くぺこりと一礼する。


帝国では、男女のくくりなく、生まれた順番で第一、第二と呼ばれる。

もし今後下に兄弟が生まれた場合(あるいは養子をとった場合)、弟でも妹でも第三皇子・皇女と呼ばれるのが習わしだ。


「ゲーボル公国より参りました、ジェラルジズと申します。

私の果実、桃水晶の乙女にお会いでき光栄です」


そう言ってジェラルジズは左手を自身の腰の後ろに、右手を左胸に添える形でお辞儀する。


(か、果実って…!

なんだろう、ちょっと恥ずかしい)


と思いながら、ん?とステラはふと違和感に気が付いた。


「ゲーボル、え?」


「え?」


ジェラルジズはきょとんとする。


「え?天空の島じゃないの?」


またステラは言葉を崩してしまった。

どうしてもジェラルジズの前では、自分も自然な態度になってしまうようだった。


「あ、天空の島です。

あれ?でもじいちゃんが、『この島は地上ではゲーボル公国という名前で呼ばれておる』って言ってたんだけどなぁ…あれ?」


「初めて聞いた」


「うそだろ…」と呟きジェラルジズはおろおろしだした。


ステラはジェラルジズに優しく話しかける。


「待って、あのね、私たちの世界には、天空の島のこと、まったく伝わってないの。だから、いろいろ教えてくれる?

どうしてゲーボル公国っていうの?」


わかった、と言って、ジェラルジズは頷いた。そして話し始める。

文献で読むのではない、天空の島に住む者から直接聞く、初めての天空の島の歴史だった。


「俺が島のじいちゃんばあちゃんから聞いているのは、昔いたオシランって人がくれた名前だということです。

えーと、オシランは、エイウィン様の旦那さんで、戦争でバラバラになっていた地上をひとつにまとめた人だそうです。

これは知ってるか、ステラのご先祖だもんね」


ゆっくり喋るジェラルジズの話を邪魔しないよう、ステラは黙って、時々頷きながら話を聞く。


「えーと、オシランは、同じ世界に住む者の証だと言って、俺たちに爵位をくれました。

だから、俺たちは貴族になりました。

貴族になると、住む場所は公国と呼ぶのだと言って、俺たちの住む島にオシランがゲーボル公国という名前をつけました。

普段俺たちはその名前は使ってないんだけど、こうやって地上と交流する機会がある時のために、歴史として教わってます。

でも地上でも呼んでないなら、意味ないね」


そう言ってまたにこっと笑うジェラルジズとは逆に、ステラは頭を抱えた。


きっと、数百年に一度、こうしてたった一人だけが降りてくるような交流の仕方しかしていないから、その名前が広く浸透しないんだ、とステラは思った。

もっと大勢が、頻繁に行き来するなどして交流すれば、神話上の存在などではなく、交易国のひとつとしてゲーボル公国は存在できるだろう。


もしかして、ティアナの読んでいたあの歴史書をもっと先まで読めば、ゲーボル公国という名前も出てきただろうか?


(今度ティアナにあの本貸してって言わないと)


――皇室の持ち物なのでどちらかと言えば返してが正しいのだが、今本を持っているのはティアナである。

だから「貸して」なのだと、ステラのこういう友人関係において対等なところが、ティアナは好きだった。———


その本を読めばわかることかもしれないが、今目の前に詳しく知っている人物がいるのだから、直接聞けることは聞いてみようと、ステラは手を挙げて質問する。


「ゲーボル公国が、地上と交流できないのは島が隠されてるからですか?」


「良い質問です!」


言ってみたかっただけだ、と、ジェラルジズは笑って、それから言った。


「確かにその通りなんだけど、それは地上から天空の島に行くことができないことの理由だね。

天空の島から地上に行けない理由は、滝への門が開かないから」


「門が、あるの?」


「さっき、君はもっとすごいことができるよって言っただろう?」


「うん」


「桃水晶の瞳はね、」


バン!とバルコニーから広間に繋がるガラス扉が開けられる音がした。

驚いた二人は会話を止め、扉の方を見る。


「こんなところにいたのか!」


そこにいたのはグアン皇子だった。


ジェラルジズは目線だけステラに動かし、小さく呟く。


「似たもの親子だね」


先ほどのシーマス皇帝のことを言っているんだろう。

くすっと笑うステラに、グアンが歩み寄る。


「何だってこんな所で食事を?」


「ジェラルジズ様に天空の庭園を見せてあげたくて。

もう中に入るわ、道を開けてくれる?」


グアンはフン、と脇にどきステラを先に行かせた。

そしてジェラルジズに向き直り、(デカいな…)と少し気押されながらも手を差し出し言った。


「僕は第一皇子のグアンだ。どうぞよろしく」


ジェラルジズは、ぎゅ、と手を握り返しながら、


「俺はジェラルジズ。よろしく」


と挨拶した。

ジェラルジズはただ単純に、軽い挨拶をされたから自分も軽く返しただけだったが、まるで皇子である自分と対等であるかのような口ぶりに、グアンは少し面食らった。

目的を思い出し罵倒を呑みこむ。


「精霊族は礼儀というものを知らないんだな。まぁいいさ、徐々に覚えていけばいい」


バルコニーにいるままの二人にステラが戻ってきて声を掛ける。


「晩餐の用意ができたようですので、グアン皇子はもう自室にお戻りになられては?」


それを聞いて、グアンはずかずかと広間に戻りどかっと椅子に座った。


「僕も食べる」


「はい?」


「シェフから聞いてないのか?僕の分もあるだろう。僕もここで一緒に食べるんだ」


「な…」


きっとシーマスだ、とステラは唇を噛んだ。

情報を聞き出したいのか、邪魔をしたいのか、真意はさておき、神の力を目の当たりにしたシーマスが、このまま黙っているはずもないとは思っていた。


シーマスは精霊族の力を欲しがっている。


皇子を使って何がしたいのか、ステラは考えた。

もしかしてシーマス皇帝は、皇子を次期皇帝にするつもりなんじゃないだろうか?

ステラよりも扱いやすい皇子を次期皇帝にした上で、精霊族の力も自分の思い通りにしようなどと考えているんじゃないだろうか…ステラは焦りと不安で言葉を失った。


(せっかくこの晩餐の席で、ジェラルジズとの距離を近づけようと思ってたのに…)


「グアンも一緒に食べるの?」


遅れてバルコニーから出てきたジェラルジズが、グアンに聞いた。


「ああ、親睦を深めないとな」


「そっか。俺はステラと話すから、グアンとの親睦が深まるかわからないけど…ご飯、美味しいといいね」


ジェラルジズはそう言ってにこっと笑い、席に着いた。

そのままにこにことステラを見つめる。


「な、な…」


言葉を返せないでいるグアンに気が付き、ジェラルジズはグラスをすすめた。


「そうだ、せめて乾杯は一緒にしよう」


「ちょっと待て!!」


グアンは堪らず叫ぶ。


「待て!まてまて!晩餐というのは一緒に食事をする者が親睦を深める大事な機会だ。

ただ同じ場所にいるというだけじゃない!

晩餐をともにする、というのは…そう!

その場に参加している全員で!仲良くするのだ!」


目の前で展開される噛みあわない二人の会話に、ステラはふふっと思わず笑ってしまい、不安が少し和らぐのを感じた。


(悩んでいても仕方ない。これが唯一の機会というわけでもない。落ち着いて、ゆっくり、お互いを知っていくのよ…。

大丈夫、あいつよりは、スタート地点はいいところにいるはず)


ふー、と一呼吸つき、ジェラルジズに声を掛けた。


「そういうものなのよ、みんなで食べましょう。

二人きりで話すのは、また今度にしよう?時間はあるから…大丈夫、ね?」


「そうなんだ…。

楽しみにしてたけど、残念だな。

でもわかった、グアンとも話すよ」


「よ、よかった…」


グアンはよろよろと着席した。


「そ、それと、今この場では僕が一番地位が高いからな。僕が挨拶をする」


「何に乾杯するの?」


ステラは聞いた。

すかさずジェラルジズが


「桃水晶の乙女に!」


と言ったが、グアンは却下だ!と叫び、エヘン、とわざとらしく咳をした後言った。


「新しい家族の到着に、乾杯!」


家族、と聞いて、ぱっとジェラルジズは笑顔になり、

グアンにしてはいいこと言うなぁ、とステラは思いながら、


「乾杯!」

「乾杯!」


と二人ともグラスを持ち上げた。

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