29.レオナルド

「私なんかより、謝らなきゃいけない人がいるでしょ?」


 アレンの土下座を制止したルナが指を差した先には、フェネッカがいた。


「フェネッカに謝れだと……?」


 困惑気味にアレンが呟く。ルナの発言には俺も驚いていた。自分だって婚約破棄されて傷付いてるはずなのに――。


 汗だくの俺が到着した時に見たルナの表情は、かなり疲れきっていた。この殺伐とした修羅場で相当精神的に参っていたはずなのに、本当によく耐えた。


 その上、さらに悪魔じみたビアンカの登場で現場が混乱しているのに、何で今更フェネッカなんて庇うんだ、ルナ――。


「……何でフェネッカなんかに俺が頭下げなきゃならねぇんだよ」


 アレンは皆に囲まれて正座させられるという状況に陥っても、まだその闘志を消していなかった。


 ここまでしぶとい男は初めて見た。不屈といえば聞こえはいいが、明らかに異常なメンタルだ。こんな奴、俺一人では到底敵わなかったはず。


 そんなアレンに、ルナが真剣な眼で立ち向かっている。


「不貞やらかしてんだから当然じゃない。この中で一番傷付いてるのは彼女だわ」

「断るね。大体フェネッカはお前から俺を奪った張本人だろが。俺とお前が婚約してたのにも関わらずよ」

「だから何? 当時フェネッカが貴方に好意を持ってたのを知ってて、誘ったのは貴方からでしょ。私に何度頼んでも抱かせてくれないからって、我慢できない性欲をフェネッカに仕向けたんじゃない」


 腕組みをして反論するルナに対して、アレンは正座の姿勢からゆっくりと立ち上がり、おもむろにフェネッカを蔑むような目つきで見た。


「そんなもん関係ねぇ。俺からの誘いだろうがなんだろうが、結局それに便乗したフェネッカの腐りっぷりは俺と大差ねぇんだよ。そいつはバストーニ家の家督とお前に対する嫉妬心を晴らすことが目的で俺と結婚したんだ。そんなカス女に頭下げる義理なんか微塵もねぇな」


 アレンの白状を聞いたみんなの視線がフェネッカに集まると、壁に寄りかかって寂しげな表情をしていたフェネッカが、静かに袖で涙を拭った。


 その時――パーンッという破裂音を上げて、ルナがアレンの頬を平手打ちした。


「……つッ……何だよ?」

「貴方って本当、可哀想な人」

「どういう意味だ?」

「だって、人の温かさを感じることが出来ないんだもの」

「は?」

「フェネッカの怪我した指を見て何も感じないの? フェネッカは貴方の喜ぶ顔が見たくて、料理の勉強ずっと頑張ってたんじゃないの?」

「そんなこと知るかよ。だから何だってんだ? 俺に取り入ろうとして、ただゴマすりたいだけだろ?」


 ルナは再度、さっきよりも力強くアレンの頬を平手打ちした。


「ッチ……いってなぁ! 何すんだよさっきから!」


 深く息を吸ったルナが、とても寂しそうな顔でアレンを見つめた。


「どうしてそんなこと言うの? 毎朝、貴方のネクタイを締めてくれたのは誰? 毎晩、貴方の疲れを癒すために添い寝してくれたのは誰? ずっと愛する貴方を家で待っててくれたのは、フェネッカなんじゃないの?」


 アレンは俯くフェネッカを見つめ、ルナが蒼い瞳で涙ぐんだまま続ける。


「倒れたヴェロン様から代理人の話があった時、先に貴方が退室して残った私を呼び止めてきたヴェロン様が何て言ったか知らないでしょ?


『儂はこの有様だが、アレンはまだまだ未熟者だ。だからルナに支えて貰いたい。あいつと互いに手を取り合って、幸せになってくれ。儂も早く孫の顔が見たいしな。いや、まだ気が早いか……はははは!』


私に向かってそう言ったの。貴方にだけは、弱気なところを見せたくなかったんだと思うけどね」

「……は? ……う、嘘つくな……親父が、そんなこと言うわけねぇ」

「嘘じゃない。ヴェロン様が貴方を会長代理にしたのは、決して会長の座にしがみつきたかったんじゃないの。貴方が仮に粗相を起こしても『全責任は自分が取る』ってつもりだったのよ。貴方のことを心から大切に思ってたから。執事のカストロさんから聞いた話だけど、貴方がバストーニ家の長男として産まれた時、ヴェロン様がどれほど喜んだか。赤ん坊だった貴方を抱っこして、頬擦りしながら……ずっと色んなことと闘って守ってくれてたのよ?


あとね、アレン。


女は命懸けで子供を産むの。妊娠してからすごく辛くて大変な思いをして赤ちゃん産んでも、そのまま死んじゃうお母さんだっているのよ? だから、簡単にそういう行為をしちゃいけないの。

女性の胸だって、貴方が弄ぶために付いてるんじゃない。新たに産まれた大切な赤ちゃんに、命を分け与えるためにあるの。病死した貴方のお母様だって、赤ちゃんでご飯を食べれない大切な貴方に、夜も寝ないで母乳を上げながら必死に育ててくれたの。

貴方には、そういう“みんなの想い”が分からないから、人を裏切っても自分で辛さを感じられないんじゃない?


お願いだからもう目を覚まして、アレン。


ヴェロン様も、フェネッカも、そして私も……ずっと貴方を信じてたのに。貴方は他の誰よりも“裏切ってはいけない人達”を裏切ってしまったのよ?」


 ルナが話し終えると、気付けばリビングはしんとした静寂に包まれており、彼女の言葉を聞いた全員が神妙な面持ちで黙り込んでいた。


 そんな静まり返ったリビング内に、フェネッカの啜り泣く声が聞こえてくる。


 ソファに座るサイファーも沈黙し、ビアンカの指に挟まれた煙草の灰が、ほろりと床へ落ちる。


 そして、呆然と無表情で立っていたアレンの瞳からは、小さな雫が溢れ落ちた――。

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