第15話


 昭和六十二年……私は十七歳になった。


 ガソリンスタンドでのバイトを続けていると、いつしか、年上の友人や「悪友」が増えていく……。夜間高校にも通い続けているが、この頃からまともに家に居た記憶がない。朝からバイトに出掛け、夕方から高校。終業時には家の近所に誰かが迎えに来ていて……の繰り返し。明け方近くまで遊び呆け、飲酒は体に合わなかったのか、ビールだけは嫌いだった。女性との関係もこの頃は派手だったと思う。なぜだかは知らないが、私の名前だけが独り歩きしていた。


 ――只々、そんな自分が何故か好きにはなれなかった。多分、まだ彼女のことを引きずっていたのだと思うから……。


 そんな自堕落な生活を続けていると、学校での授業が辛くなってきた。……特に体育がキツかった。座学の時間はある程度のお目溢しが有り、授業中の居眠りは見過ごされていた。が、体育はそうは行かない。故に何かと理由をつけてはサボるようになり、遂には体育教師と口喧嘩をするほどにまで発展していた。


 そうして、その瞬間はやって来た。夏休みを目前にした、期末テストの頃。面倒だと思いながらも座学だけは受けておこうと、教室で机に突っ伏し時間を潰していると、チャイムとともに彼が入室する。


「……なんや〇〇、座学だけは受けるんか? まぁ、お前には保健体育の単位やる気ないけどな」


 教室に入った途端、彼は俺の顔を見てそう言い切った。それまでグダグダと駄弁っていた教室が、静まり返るほどの大きな声で。


「……教師がそんな言葉吐くんか?」


 言ったのと体が動いたのは同時。そのまま真っすぐ私は彼の目の前まで向かい、彼の胸ぐらをつかみ、その勢いのまま、体を捻る。


 ――がしゃあぁん!


 相手は体育教師で。いい歳した大人。ただ、身長は当時の私とほぼ変わらず、170ちょい。私は喧嘩が強いわけでは無かったが、ガタイだけは良かった。そうして不意を突かれた彼は教室の窓に身体ごと突っ込み……窓の外へ落ちた。落ちたと言っても、外はベランダが有り、そこへ転がり込んだだけだ。……が、ガラスの破片と転んだせいでそこらじゅうを怪我したのだろう。ぎゃあぎゃあと何かを喚いて叫び声を上げ、授業が始まった他の教室に響き渡る。


 ――その日の授業はすべて中止となり、椅子を掴んで体育教師に追い打ちをかけようとしていた私は、数人がかりの教師やクラスメイトに羽交い締めされ、別室へ移送。そのまま沙汰が下るまで通学禁止となり、母と共に学校からの呼び出しに向かったのは、それから一週間後の事だった。



「……じゃぁ、ここに判を押して」


 言われるがまま、母と校長室で書類に判を押していく。「自主退学届」と書かれた紙や「示談書」の類。対面には担任教師が座り、校長は奥の机で難しい表情のまま。


「……お母さん、流石に事件にするという事までは致しませんが、教師を放り投げるなんて、まして大怪我まで――」

「そこは反省させますが、その前にあの先生が言った言葉を忘れてもらっては困ります。もし、今後この件で何かがあれば、クラスメイトの証言もありますので、出るとこ出ても――」

「まぁまぁ。ですから、この件は自主退学と言う事で『話はついた』んですから。……ね、蒸し返すのはやめましょう」


 校長の言葉に激しく反応する母親に、なんとか丸く収めたい担任が割って入る。「此の親にして此の子ありか」と言う侮蔑の視線を周りの教師たちが見つめる中、私は何故か、安堵と言うのか、静寂感というのか、心の中は凪いでいた。校長室から退出し、職員室を通り過ぎ、階段を降り始める頃、それまで気丈に振る舞っていた母が突然、涙声で私に話しかけてきた。


「アンタ……これからはもう、社会人として生きていかなあかんねんで。……もう学生とは違うねんで」


 目にいっぱいの涙を湛え、まっすぐ私の顔を見つめた母の言葉を聞いた瞬間。無性に悔しさと自分に対する腹立たしさに気付いてしまい、私はただ俯いて「……ごめん」と一言絞り出した。




「〇〇、体育教師シバキ倒したんやって?」


 バイト先のガソリンスタンドで、店舗内でお客待ちをしていると、常連さんの先輩客が嬉しそうな声でそんな言葉を言ってくる。勿論そんな話を言いふらした覚えはない。ただ会社には「学校を辞めたのでバイトのシフトを増やせる」とだけ……。まぁ、どこの世界にも噂好きはいるようで、気がつけば私の知らない所で私の知らない出来事が、私の名前と一緒にばら撒かれていた。



 そんな噂が勝手に独り歩きすればどうなるか。答えは日々スタンドに現れる『五月蝿い客』であらわになった。


「……すいません、近隣の商店と住民での話し合いの結果なんですけど」


 それは所謂自治会の会長と呼ばれる方。確か去年の夏祭りにも屋上の集まりに居た「お偉いさん」の一人。彼が少し真面目な表情で、昼休み時間に所長に話しかけた言葉。彼らはそのまま連れ立って「休憩行ってくる」と店を後にして、夕方頃に所長だけが戻ってくる。そうして私が事務所に呼ばれて一言告げられる。



 ――スマンな。流石に庇いきれんかった。


 次のだんじり祭を前にして、私の二度目の退職が決まった。



 さすがの私も今回のことには少なからず異を唱えたかったが、なにせ昼夜を問わず直管マフラーの爆音を轟かせるバイクが往来し、違法改造された「走り屋」仕様の車がガソリンを入れに来る。そんな車で渋滞が起き、オイル交換や、洗車など、そんなお客が来たりすると、神社前にあった私の居た小さな店は、その待ち客だけで満杯になってしまった。元々国道沿いに所在し、そんな客が来なくても、元々繁盛店だった。その為、多少の騒音程度では、周りの住民も気にしては居なかったのだが。最も懸念したのは恐らく……集まる人種とそいつ等が夜中になるとたむろして喚き散らすことの方だったのだろう。


 ――そんな人間の興味を集める男が、その店舗にいるとなれば……。


 そう言うものだと自分でをつけ、私は「申し訳ないな」と頭を下げる所長に「とんでもないです。僕みたいなやつを母の子どもと言うだけで無条件に雇ってくれた、所長には感謝しています」と一礼し、私はそのまま帰宅した。

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