第9話




 昭和五十七年。


 この年、私は小学校最高学年に上がった。……が、正直に話すとあまり、良い記憶という物がない。というのもこの年、私は二度目の引っ越しを経験しており、越境登校していたのもある。まぁ、理由としては『修学旅行』が関係していたからなのだが。


 この年代のご同輩ならば分かると思うのだが、当時の学校行事として大きなイベントとも言える『林間学校』は小学五年時『修学旅行』は六年時が一般的だった。故に私の通う小学校もそれに倣い、修学旅行は六年時の秋に予定されていた。……ただ、この実施時期が学区単位で違っていることに両親は気が付かなかったらしい。引っ越しが決まったのはその年の春から初夏にかけてだった。その時期に越してしまえば、秋の修学旅行までには幾人かくらいは友人も出来ると踏んでいたのだが……。転校先の修学旅行は春先に既に終わっていたのだ。


 流石にこれには両親も私を不憫に思ってくれたのか、両学校に相談。結果、妹は夏休み前から転校し、私だけは修学旅行へ行くまでは前の学校へ通うことになった。


 

 ――そもそも、この引っ越し自体が私、いや、私達家族の分水嶺になってしまったが。



 まだそんな事もわからなかった私は、当時大層悩んでいたものである。小学生と言ってももう六年生、当然それなりに付き合いの長い友人や、初恋とまで言わなくとも気になるような女子は居た。自己形成はかなり進んでいるし、自分の思いも口に出来るようになっていた。好き嫌いもはっきりしてきていたし、何しろ友人と離れる事が一番辛かった。


 だが、自立できる訳でもなく、既に引越し先には幾つかの荷物も運び終わっている。……何より、引越し先は当時住んでいた団地のある地域より、かなり都会的になっており、また自分の個室が与えられると決まっていた。それは当時団地暮らしの子供にとって最高の夢であり、憧れだったのだから。


 そんな複雑な胸中のまま、始まる越境登校。朝は父が出社する車に乗せてもらい、集団登校していた場所まで送ってもらう。帰りはバスと電車を乗り継ぎ、小一時間掛けて自宅へ戻っていた。友人達はその事を大層羨ましがったが、当の本人は全く楽しくなかった。


 学校帰りに友人達と連れ立って寄り道することもなく、ただ時間に追われてバス乗り場へ急ぐ毎日……。そして少しずつズレていく友人達との価値観と時間……。とうに忘れていたと思っていた、幼少期の淋しい思いが何時しか心の底で澱のように溜まり始め、既に転校を済ませた妹の新しく出来た友達の話を聞くのが嫌味に聞こえて、眼の前が少しずつ霞んで行く。まるで自分だけが周りから取り残され、置いていかれる様な、漠然とした不安がいつも頭の隅にこびりつき、やがて八つ当たりのように妹としょっちゅう喧嘩になり……。友人達との会話に入りにくくなって、少し浮いた状態になったまま迎えた夏休みはその年の豪雨災害も相まって、非常に嫌な予感がした。



 ……父の朝帰りが多くなった。



元々父は家に居着く様な性格ではなかった事は知っている。だが、そんな父でも私達兄妹が産まれてからは毎日帰宅していた。……午前様の比率は高かったが。そんな父を母は何も言わず、ただ私達の面倒を見るため、日々家事と育児に格闘してくれていたが、父の行動を黙認していた訳ではなかったのだ。



「……お父さん、女の人と遊んでる」


 唐突に。


 小学生の子供達の目の前で。


 夕食時に。


 私達が食事を始めて暫く、母は堰を切ったように話し始めた。


 ――一滴の涙を見せること無く。


 父と母の馴れ初めは先述のとおりだが、母は恋愛感情を私達子供の前で見せたことなど無い。父母二人共に、戦後間もない昭和二十年代の生まれではあるが、戦前のような主従関係然とした三歩下がって歩むなどの観念の持ち主ではない。……後に判明するのだが、彼女は元々、地元の地主の娘であり、また末の娘と言うことも在ってかなり自由に育てられていた。そのために恋愛については現代のそれに近しい観念を持っており、また嫉妬の面についてもそれなりに持っていたのだろう。……性格として、表に出してこなかっただけで。



 ――可愛さ余って憎さ百倍。


 そこからの母の行動は凄まじかった。何をどう調べたのかは検討もつかないが、何しろ翌週には父が通い詰めると言うスナックを見つけ、そこの店の女性と逢引している証拠を一月ひとつきのうちに揃えてしまっていたのだ。


 ……父は九州、博多の少し田舎で産まれ、十五まで育った。両親は当然戦前の人達で、田舎独特の集落意識が強く、また男尊女卑の世界を目の当たりにして生きてきた。(語弊の無いよう言っておくが、当時の日本はその傾向が強かっただけで、田舎がどうこうと言う訳ではない)それが、大阪に出て所謂ジェネレーション・ギャップを受けた。……何もかもが違う。まず、人の多さ。そしてその人同士のつながりは勿論、男女関係の軽薄さ。そんな見るもの感じるものが全て違う価値観の中、父は母と出逢い、恋仲になったが、父の中では女性に対して『奔放』だった結果、誘惑には勝てなかった。



 ――悶着は色々あったが、我が家の哀しい事実をこれ以上あけすけにするのは忍びない為割愛するが、結果として我が『家族』はそうして父が家を出ていくという形で、母子家庭となった。



 *留意してほしいのだが、この頃の記憶はかなり曖昧になっている。何しろ、当時は私自身もかなりショックを受けたし、妹がどの様な表情をしていたのかすら覚えていない。父が居なくなってからの登校は、確かにバス通学はしたのだが、母が誰かに頼み、その人に送ってもらった時もある。……ただ、唯、あの告白をする母の毅然とした表情だけは、今もはっきり憶えているが。


 

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