「二等辺」のコノ

「夏夜」

 声に振り向くと英太が体をこっちに向けている。目をらんらんとさせている。

「俺、ライヴって初めてだったじゃん。今日は来て本当によかった。特に『二等辺』がよかった。どっぷりハマった感じ。CDとか売ってないのかな。俺今日のこと絶対忘れないよ。はああ、世界が変わって見える。すごいな、音楽って」

「私も『二等辺』がよかった」

「だよね。受け付けで訊いてみようよ。CDあるか」

 英太は勢いよく立ち上がり、私もそれに続き会場を出る。出る直前に振り向くと、まだ熱気が飛んでいた。あれらもいずれは地面に落ちて、空気は静かになる。前を向いて英太に続く。

 受け付けにはまだ恭子が座っていた。もう一人は別の人に変わっていた。

「あの、すいません」

 英太が興奮を隠しもせずに声をかける。恭子が落ち着いて対応する。

「はい。どうしましたか?」

「『二等辺』のCDってありますか?」

「すいません、ありません」

 恭子は小さく頭を下げる。その口許が僅かに緩んでいた。

「そうですか」

「でも、ユーチューブに主な楽曲はアップしてますので、『二等辺』で検索してみて下さい」

 おー、と英太はのけぞる。

「ありがとうございます」

 私を向いて、「だってさ」と言う。私は頷く。英太は行こうとするから「ちょっと待ってて」と制して、恭子の前に立つ。

「誘ってくれて、ありがとう。すごいよかった」

「それは何より。また声かけるよ」

「じゃあ、またね」

「またね」

 エンジン全開の雄牛みたいな英太が、「あれ、あれ」と視線で示す方向に、コノ達三人が談笑している。コノはステージで見るより小さくて、さっきまでよりやさしそうに見える。英太が興奮を破裂させる。

「どうする?」

「どうするって?」

「直接、感想を伝えに行くかどうかだよ」

「え。それはさすがに」

 英太が遮る。

「いや、行くしかない。俺は行く」

 ずんずんと進むから、付いて行く。

「あの、すいません、コノさんですよね?」

 英太の声にコノは視線をよこす。

「そうですよ」

「俺、英太って言います。今日のライヴ、最高でした。何て言うか、世界観にどっぷり漬かって、新しいところに連れて行って貰いました。上手く言えないんですけど、ありがとうございます」

 コノは顔全部を使って笑う。胸の中に起きた喜びが顔から溢れたみたいに。

「ありがとう。とっても嬉しいです。届いたんだね、あなたに」

「応援します。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」

 英太は太陽になったみたいな顔で、でも満足したのか半歩退がる。私の顔を見て、ほら、夏夜、と促す。そんなつもりはなかったのだと思ってみてももう遅く、コノは私を見ている。

「夏夜って言います。とっても届く音楽でした。忘れられないと思います」

「ライヴ中に何度か目が合った、ですよね?」

「はい」

 急峻に音楽のことをちゃんと訊きたいと思った。……怒られるかも知れない。胸がぎゅっとする。怖い。だが私には勇気がある。この勇気は二等辺にもらったものだ。声を出す。

「人に届かせる音楽って、どうやったら出来るんですか?」

 急にコノがステージの上と同じ薄い笑いになる。

「それを訊くってことは、君は演る側だよね?」

 圧力。踏み締めて耐える。今は訊くべきときだ。隠すな。

「はい。一人でピアノとヴォーカルで曲を作ってます。まだ発表はしたことはありません」

「それじゃまだ土俵に上がってないよ。まずはどんな形でもいいから発表しよう。その上で、届かせ方は教えられない。自分で見付けないと意味がない」

 コノの視線が鋭く刺さる。

「どうして届かせたいと思うのですか?」

「秘密。そんな大事なこと誰にも言えない」

 ボディブローのような痛み。

「すいません。……でも、ありがとうございます。答えてくれて」

「玉砕覚悟で来た君の感じ、好きだよ。でも、もう少しやれることをやろう」

「はい」

 小さく息を吐くようにコノの気配が縮み、柔和な笑みに戻る。

「ごめんなさい、せっかく声をかけてもらったのに、キツイこと言って。でも本当にありがとう、来てくれて、観てくれて、こうやって会いに来てくれて。嬉しいです」

「いえ、ありがとうございました。応援してます」

 私は頭を下げて出口に向かって歩き出す。ことの成り行きを見ていた英太が興奮を忘れて視線をせわしなく動かしていた。

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