張孔堂異聞6 無明を断つ



 その日の夜だった。

 七郎は実家の庭にいた。

 彼の実家は江戸城にほど近い場所にある。

 将軍家剣術指南役の七郎の父が、江戸城から離れた場所に屋敷を持つわけがない。

(また再び荒れるのか)

 七郎は庭に立ったまま隻眼を閉じ瞑想していた。左手には鞘に納まったままの愛刀、三池典太があった。

(江戸の平和はどうなる?)

 七郎は天下大乱の兆しあるところに立ってきた。

 将軍家光による女ばかりを狙った辻斬り。これは秘中の秘として歴史の闇に葬られたが、もしも明るみに出れば、いかなる事態を招いた事か。

 大納言忠長の狂気。その狂気は西国大名らと手を結び、幕府転覆の大災禍になりかねなかった。

 京の内裏で月ノ輪なる少女を守り、島原の乱でも秘密裏に活躍した七郎。

 七郎は命懸けで大乱を防いできた。

 だが今はどうか。

 参勤交代で江戸に集まった全国諸大名。

 その名代が張孔堂を訪れ、密議を重ねている……

 何のためか。それは幕府転覆の秘事に他ならない。

 天下泰平の江戸が炎に包まれる。七郎はそんな想像をしてしまう。自分が死ぬならばまだ良いが、女や子どもまで死んでいくのか。

 先の見えぬ不安と恐怖。しかも、その感情の出発点は、兄のように思った由比正雪なのだ。

(そうはさせん!)

 七郎は目を見開き、踏みこんだ。

 抜き放った三池典太の刃は、七郎の眼前にある石灯籠へ打ち下ろされた。

 ふつ、と一瞬の甲高い音色と共に、石灯籠は真っ二つになって左右に分かれて、庭の大地に倒れた。

「無明を…… 断つ!」

 つぶやく七郎の隻眼は強く輝いていた。

 手にした三池典太の刃は魔をも斬るという。

 江戸の守護者である七郎には相応しい。たとえ視力に不安があろうとも。

「正雪……」

 七郎は夜空を見上げた。満月が美しかった。

 正雪を斬るのではない。

 無明を断つのだ。

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