第8話 進まぬ評定、荒れる海
天文16年(1547年) 12月 志摩国 田城城
滝川 彦九郎(一益)
九鬼
”出る杭は打たれる”――という言葉があるように、志摩で少しずつ勢力を伸ばしていた九鬼家は
普段は田畑の境界や、海賊稼業の
そこまで分かっているのだから、九鬼家はそれにどう対応するのか――戦うか、降伏するか、逃げるのか。
さっさと決めれてしまえばのに――とは思うのだが、そうはいかぬのがこの時代の武士の
「九鬼家が長年かけて得たこの所領を守るのが筋であろう」
「いや……。我らが強いとはいえ、地頭らを全て相手取るのは
「国府をなんとか味方にできぬか? 」
「あの
「では、どうする。滝川殿に頼んで尾張へ逃げるのか――」
田城城の評定の間ではこのように、九鬼の家老衆や譜代衆が永遠と終わらぬ議論を繰り広げている。
浄隆くんが戻ってから毎日のようにこんな感じの評定が開かれ、九鬼一族とその家臣団が集まっては、
この時代の武士にとって、土地や所領というのは何物にも代え難い財産であり、誇りである。
いまだ所領を持たない俺にはわからないが、九鬼家中のほとんどの武士が”土地を手放して尾張へ落ち延びる”――という提案に反対している。
「この滝川殿は、織田弾正忠家に縁戚がいる。仲介はすぐにでも可能だと仰っているが――」
「ですが、若様。ここ田城と波切の所領は熊野から落ち延びた御先祖様がやっとの思いで手に入れた大事な所領でございましょう。それをまた手放すのは――」
親族衆筆頭の席に座る九鬼
若くて柔軟な彼は、冷静に九鬼家が置かれた状況を判断して、御家を残すことを第一に考えている。
一方で、ほとんどの譜代衆や当主の九鬼
彼らは先祖代々の土地を守ることが、大事であり、報いる行為であると考えている。無論、彼らの考えは間違っていないのだが、それは彼らが完全敗北というのを想定していないからだ。
志摩の地頭がすべて敵に回る――九鬼家という存在を残すつもりがないというのを、事実として受け止め切れていないようだ。
「起請文を見るに、此度の同盟は本気で九鬼家を潰すつもりと思われる……。御家を残す選択肢も必要かと――」
九鬼家の人間でもないにもかかわらず、俺が評定に出れるのは九鬼浄隆くんのおかげだ。
今は客将として、浄隆の後ろに控えて議論を聞いていたのだが、思わず口を出してしまった。
「なに!? では滝川殿は我ら九鬼家に戦わずに逃げろとおっしゃるのかっ!! 」
「いやいや――なにも逃げろとは申しておらぬが……」
俺に向かって真っ赤な顔で怒鳴りつけてくる家老衆の方々に対して、思わず抗議の文句が出てしまった。
とはいえ、ここは俺にとってアウェイの場である。批判的な視線が一斉に俺に注がれれた。
「そのような弱腰な提案は受け入れられんなぁ」
「小浜や安楽を相手に尻尾を巻いて逃げるなど……」
「我らが所領を捨てるなど言語道断である。部外者は黙っておれ――」
嫡男の
当主の
この評定で俺や
「なにも戦いの最中に逃げろとは申しておりませぬ。一部の者だけでもよいのです。九鬼の血筋を逃し、再起を謀るべきだと申し上げているのです」
俺も一生懸命、説得に当たるのだが、これがなかなかに厳しい状況だ。
ここにいるほとんどの武将が一般から凡将と呼ぶようなステータスの持ち主なのだが、ステータスさんによる”舌戦”も、こうした複数人物が相手だと発動できないようだしなぁ……。
かと言って、一人一人に”舌戦”を挑もうにも、一対一で話せるような機会もないし。
「我ら九鬼の者は元々熊野水軍のからの流れ者。志摩にそこまで執着する必要はないと思いますが? それに我らは船を生業とする海賊衆、海があれば再起はできましょう!! 」
「若様の申すことはたしかに……。しかし、若様は船に乗れるようなお身体ではないしな――」
「たしかに――九鬼の仕事が務まりましょうか……」
「身体が丈夫であればなぁ――」
なんとか浄隆くんも家中を説得しようとはするのだが――如何せん、彼は身体が弱いため、嫡男として家中で認められていない雰囲気がある。
特に一部の家臣などは、あからさまに彼を軽視する風潮が見えるしなぁ。
浄隆くんには弟の
評定の議題が”志摩地頭衆の話題”から、いつの間にか”九鬼家の跡取り問題”という不穏なものに変わり始めていたところで、上座に黙って座していた当主の九鬼
「儂の目の黒いうちはこの志摩を離れるつもりはないっ!! 国府は九鬼と共に的矢を攻めた仲間ぞ。俺が生きているうちは敵にはなるまい――ゴホゴホ」
やはり体調が優れないのだろうか――。
九鬼
苦し気な呼吸音を立てる
「ち、父上っ!! 大丈夫ですか――」
「ゴホゴホ……。だ、大丈夫だ。儂はまだ、家督をお前に譲るまでは死ねん」
「父上、無理をしないでください――
「「ははぁっ――」」
そうして倒れそうになる父親を、肩でなんとか支えた浄隆くんは、諸将へ解散を宣言した。
「殿は大丈夫であろうか――」
「戦場に殿が出られないとなると、波切の石見守様に来ていただかねば――」
「若様に大将を務めていただくのはどうじゃ――」
先ほどまで、やいのやいの――っと話していた家臣達は、各々が小声で相談し合いながら、評定の間を出てゆく。
後に残されたのは、九鬼
「さぁ父上、奥に戻りましょう――」
「あぁ――。すまんな……」
「滝川殿は、少々ここでお待ちを。某は父を部屋まで連れてゆきます」
「かしこまりました――」
小柄な浄隆くんと側仕えの小姓に肩で支えられた九鬼定隆――。
その背中は、初めて会った六月に比べて、幾分か小さく萎んだようにも見えた。
**********
天文17年(1548年) 2月 志摩国 波切城
鈴木 孫六郎(重秀)
ズダァッッッン!!
「ほうれっ!! お前ら乗り込めぇぇ!! 」
「「うおぉーー!! 」」
俺の狙撃音を合図に、九鬼水軍衆の野郎共が鉤縄を使って商船に次々と乗り込んでゆく――。
「海賊衆に金も払わず逃げようとは――。馬鹿な商人も居るもんだ」
商船の舵
この商船は海賊衆の治める
俺は日々の手入れによって磨かれ、黒光りする滝川狙撃銃に次弾の弾込めをしながら、そんなことを思っていた。
ズダァッッッン!!
俺の横で滝川狙撃銃の凄まじい轟音が轟いた。
「だめだ。あたりゃしねぇ……。どうやったら孫六郎様のように揺れる船上でも当たるんだ? 」
俺の横――轟音を上げた滝川狙撃銃を持つ雑賀郷の武士で、俺のように彦九郎に弟子入りした奴が首を傾げていた。
「そう簡単に
「そりゃちげぇねぇですなぁ。しっかし、さすがは孫一の子だぁ」
感心してねぇで、次弾の弾込めしろよ――っと思いつつ、俺は俺で次の標的を狙う――。
ズダァッッッン!!
「ほえぇぇ……。また当てやがったよ、この
今のところ――彦九郎に弟子入りした奴で、俺を除いて最も筋が良いのは根来の津田照算だ。
親父の津田監物殿からは津田流を相伝されていないようだが、鉄砲の才能がありそうだ。
あの坊主――津田監物は長男に津田流を継がせるつもりらしいが、本当に
俺の勘だが、
まぁ、あとの弟子は悪くはねぇが、大成するような奴はいないな。
彦九郎には悪いが、此奴らは”並の鉄砲衆”として使うしかないだろう。
彦九郎が仕官すれば、
「オロロロロォォォ――」
狙撃銃の煤を払いながら、しばらく先の事を考えていると、聞き慣れた嗚咽が耳に入った。
「こらっ!! 照算っ!! 吐くなら私のいない方へ向かって吐きなさいと言ってるでしょう――」
例の如く――彦九郎の御方様に怒鳴りつけられているのは、津田照算だった。
無理して船に乗る必要はないと言っているのだが、頑固者の此奴は聞き入れない。
田城から戻って船に乗り、九鬼の海賊働きを手伝い始めた俺も、もういい加減この光景は見飽きているのだが――。
「
何度船に乗っても毎回船酔いを克服できない照算は、今日も彦九郎の
俺が彦九郎の護衛で田城に居た頃からこの調子なのだそうだ。流石にそろそろ慣れてもよい頃だと思っていたのだが――この調子では、一生無理なのかもしれないな。
いい加減諦めたらどうかと思うのだが、此奴の頭の固さも一生ものらしい。
「まったく――孫六様。私はこのようなところに居れません。向こうで権八さんの助太刀に行って参ります」
「へい、かしこまりました。御方様もお気を付けて――」
「えぇ。あとは、弟子達の面倒もよろしくお願いしますね? あぁ、いつまでもここに居たら私も吐いてしまいそう――」
そういうと、お方様はサッと合羽を外し、忍び装束になると商船の横っ腹を飛ぶように登って消えた。
「御方様は甲賀の忍だったよな――。彦九郎に仕える忍衆の奴らもあんな化け物揃いだろうか……」
御方様は甲賀でも一、二を争う凄腕忍びだったそうだが――あれと戦って勝てるだろうか。
一対一の力の勝負なら負けぬだろうが、夜に忍ばれれでもすれば、
俺はまだ会ったことがないが、彦九郎が抱えている滝川忍衆とやらの実力も未知数だ。
彦九郎には「いずれ忍衆とは会わせるから――」とは言われているが、その実力は謎のまま……。
尾張で正式に奴に仕えることになるのが楽しみだ――。
「ほれ、照算。ここにうつ伏せになって銃架の台になっておけ。そのまま吐きたきゃ、好きなだけ海に吐いていいからよ」
「あ、扱いが酷いぃぃ――」
今だに吐きそうな照算を船のへりにうつ伏せにさせ、その背中に銃架を立てて滝川狙撃銃を構えた。
「動くなよ、照算。御方様の援護射撃といこうや」
ズダァッッッン!!
銃架を付けた滝川狙撃銃は、標的をとても狙いやすい。
常の火縄に比べて長く重い銃身は乱戦には向かないが、一方的に撃てる状況ではその威力を遺憾無く発揮する。
ズダァッッッン!!
戦が始まってしばらく経てば、海賊衆のほとんどが相手の船に乗り込んでしまう。そうなると誤射の可能性が一気に高まるため、俺以外の鉄砲衆は撃てなくなる。
今、この瞬間――海上に高らかと響く轟音は、百発百中を誇る俺の滝川狙撃銃だけの音だ。
「いやぁ、鈴木殿の火縄の腕は絶品ですなぁ……」
「俺の腕前で驚いていてはいけませんな、
「ほぉ、滝川鉄砲衆は棟梁も凄腕か。雑賀も船に火縄銃を載せておるというし、当家もそうしたほうがよいかもな」
波切で九鬼海賊衆の
なんでも――嫡男の浄隆が身体が弱い為に、代わりの大将を務めているそうだ。
彦九郎は、甲賀に居た時の自分――御家を継げなかった自分とその嫡男の姿を重ねて見ているようだ。
家臣でもないのに、浄隆の相談事に付き合い、今も田城城で共に家臣達の説得を行っている。
彦九郎自身は尾張で仕官をしなければいけないというのに、奴はお人好しと言うべきか――。
「孫六郎殿。そ、某も、もう吐くものが腹にありませぬ。体勢を戻してよろしいでしょうか……」
「おう、すまんな。船の制圧も粗方終わったようだ」
「何度乗ってもそこの兄さんは船酔いしちまうなぁ。こればっかりは仕方ないがな。はっはっは」
「面目ない――」
照算には可哀想だが、志摩から尾張までも、引き続き海路で行く予定なんだ。今後もこの船酔いはしばらく続くだろうな。
とはいえ、これ以上、
御方さまとは離れたとこに座らせておくとするか――。
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