第5話 津田照算の決意


天文16年(1547年) 3月 紀伊国 根来寺 杉坊

  津田 照算


 滝川彦九郎殿に弟子入りしてしばらく時が過ぎた――。


 滝川殿に頂いた火縄銃――滝川狙撃銃の扱いもようやく慣れてきたこの頃である。


 だがしかし、今宵は父上が畿内より戻るという事で、久方ひさかたぶりに杉坊へと帰ってきたのだ。


 普段のそれがしは根来衆出身で、滝川殿に仕えて尾張へ向かうことを決心した者達と共に、雑賀の十ケ郷で生活をしている。


 雑賀郷とここ杉坊はそこまで離れているわけではないのだが、某は家を出る覚悟を持って滝川殿の下で学ぶ日々を過ごしている。


 一番弟子は雑賀の孫六郎殿だが、私は二番弟子である。師に恥をかかさぬように、毎日修練に明け暮れなければならない。


 今はまだ、二人には到底及ばないのだが、いずれ孫六郎殿や滝川殿の腕前に追いつきたいものだ。


 また、師である滝川彦九郎殿は大変優しい御方で、自身も甲賀の出自ゆえ、慣れない土地で不安だろうに私達の心配もしてくださる良いあるじだ。


 奥方のお涼様も、我々――若い衆を気を遣っていただき、食事などを振る舞ってくださる。


 ただ――奥方様は決して”怒らせてはならない”というのが我々滝川殿に仕える者の共通認識だ。


 というのも時々、奥方様が工房にやってきてはその散らかったさまを見て、「何度言ったら使った物を元あった場所に戻せるのですか!! 人様から借りているこの家を、貴方様は壊して返すおつもりですか? 」と言って、滝川殿の腕を捻り上げているのだ。


 無論、滝川殿も「悪かった。すぐに片づけるからその腕を離して……。武力ステータス(ステータスとは甲賀の国言葉であろうか?)の差が如実に出てるから――」などと言って謝っているのだが――彦九郎殿は奥方様には頭が上がらぬ様子であった。


 それに、奥方様に腕を掴まれた滝川殿の痛がり様は大げさではなさそうであったし、お涼様は相当力がお強く、腕も立つご婦人のようである。


 我々弟子達は決してお涼様に怒られてはならぬと、気配を消してその場から離れるしか出来なかった。


 触らぬ神になんとやら……。


 なんでもそつなくこなす器用な孫六郎殿でさえ、「お涼殿を怒らせちゃぁいけねぇぜ――」と言うほどだ。


 あの怒りの矛先が我々に向くことがないように――と我等、家臣一同は常に願っている……。




「おう、照算。今宵は戻って居ったのか――」

「これは兄上。もう少し暖かくなればこの根来を出て志摩に向かうことになります。その前に一度、根来寺にも挨拶をしようと思いまして」


 色々と考えながら一人で囲炉裏にあたっていると、根来寺の役目を終えた兄・津田算正かずまさが帰ってきた。


「そうかそうか。お前も津田流を継ぐものだと思っておったが――いやぁ、まさか他流を学ぶことになるとはなぁ……。外に出てもお前が杉ノ坊であることは変わらん。何かあればこの兄を頼れよ」

「ははっ!! ありがとうございます。必ず滝川流を会得し、津田流のお役に立とうと思っております」

「良い心意気だ。だが――あまり杉ノ坊の為だと気負わずとも良いぞ。お前は自分のことをまず第一に考えなさい」

「しかし……」

「よいのだ。お前は尾張で津田の別家を立てるのだぞ? 我が家はまだ父上がご健在故、俺より早く一家の長としておぬしは一人立ち。きっと大変だろうが、身体に気を付けろよ」


 兄上の優しい笑顔に、色々と考えて重くなった心が少し軽くなった気がする。


 滝川殿はいずれ尾張に向かうと言っていたが、その尾張の織田弾正忠家とは尾張半国を治める守護代の奉行家の家柄だとか――。


 滝川忍衆を持つ彦九郎殿から話を聞くに、尾張国内は織田家同士でいがみ合っている状態だそうだ。


 そもそも尾張守護代は織田伊勢守と大和守の二家。その大和守家奉行が因幡守家、藤左衛門家、そして弾正忠家の三家だ。


 弾正忠家は奉行家ながら主家の大和守家より金と領土を持っていて、主家の大和守家と仲が悪いそうだ。大和守家の方は、威勢のいい弾正忠家を目障りに思っているとも言う。


 守護と御家人の争い――そして地頭達の争いというのはどの国でも絶えることはないのだろうが、果たして某はその中でやっていけるだろうか。


 根来衆や高野山の宿坊でずっと修行をしてきた私が、そのような中に身を投げ入れることになろうとは、思いもしていなかったことである。


「……まだまだ未熟なれどしっかり励みます」


 私は不安な心持ちを隠すように兄上へ笑みを返した。


「おぉ照算よ、帰っておったか。久しぶりじゃなぁ。最近はお主も兄上津田算長や算正のように火縄銃の修練を始めたそうじゃな? 」


 その後も兄上と話し込んでいると、叔父の杉ノ坊妙算みょうさんが酒を手土産に当家にやってきた。妙算殿は父上の弟で、反り上げた頭の型がそっくりだ。


 叔父上は子どもが出来ず、常々未熟な私を養子としたいと言ってくれる優しい方であるが、此度の尾張行きが決まり、その話も無くなってしまった。


 叔父上には申し訳ないと思うと同時に、某も”自分の力を尾張で試してみたい”という気持ちがあって複雑な心境だ――。


「はい。堺からきた滝川様に弟子入りして、津田流とは異なる砲術を学んでおります」

「そうか。兄上(算長)も算正も火縄銃に熱心だが、薙刀術などもおろそかにするでないぞ。その滝川様とやらは御武家様であろう? 必ず鉄砲だけでなく、槍刀でやり合う戦場いくさばにも出るはずじゃ。そんな時、お主は鉄砲を薙刀に持ち替えて生き抜かねばならぬぞ」

「ははっ!! 肝に銘じます」


 たしかに叔父上(妙算)の言う通り。戦場に出ることになれば、槍刀で打ち合うこともあるだろう。


 根来衆は宝蔵院のような槍は扱わぬが、それでも薙刀術を鍛えている。某も薙刀には多少の心得がある故、尾張へはそれを持ち出す予定だ。


 共にゆく孫六郎殿は雑賀の武士であるから槍刀には慣れておろう。滝川殿も甲賀忍びらしく、腕には自信があるようだった。


 某も、鉄砲衆であろうとも、敵に近づかれれば何もできないでは済まされぬからな。


「杉坊の薙刀術を尾張でも広めるくらいの気概を持つようにな。はっはっは」

「火縄のみならず、杉坊で鍛えたこの薙刀術で必ず活躍してみせましょう」


 私と共に根来寺から滝川殿についてゆく者らの代表としても、故郷で応援してくださる兄上や叔父達の期待に応えて尾張津田家と活躍して見せようぞ――。

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