2話目

「え。」

椿は思わず声を出した。

向こうは椿に気づいたのか手を振ってきた。

乗り換えの駅で改札を出ると、仏頂面と胡散臭い笑顔の二人の兄がいた。

「知り合い?」

唯華が少し心配したように聞く。

「うん……ちょっと待ってて。」

そう言って、兄に駆け寄る。

「なんでいるの?」

答えたのは胡散臭い笑顔の憂兄。

「嫌だった?」

椿は首を横に振った。

憂兄は満足げに笑う。もう一人の兄、今日ないは黙っている。

「昼飯。」

あぁ、と椿は納得する。

たしかに午後の予定は兄と昼食を取ることだったが、集合場所までは決めていなかった。今朝、結局時間がなくなった椿が駆け足で家を出てきたからだ。

「ちょっと待ってて。」

今度は兄にそう言い、唯華に駆け寄る。

「誰?」

唯華は更に心配そうに聞く。

「お兄ちゃん。」

あっさり答えた椿に唯華は驚いたのか、少し大きな声を出した。

「あんたお兄ちゃんいたの!?弟がいるのは知ってたけど」

脇にいた人が驚いて肩をすくめたので、唯華は小さく謝った。

「実はね。」

「イケメンじゃん。」

でしょ?と椿は言ってみせる。

「家族サービスって、そういうことだったのね。」

椿が頷くと、唯華は早く行け、とうながした。

「私との時間なんていくらでもあるでしょ。」

そう言うと、唯華の方から踵を返す。

「じゃあね。」

唯華の後ろ姿に手を振ると、椿は兄の元へ戻った。


兄たちが案内したのは、料亭らしい雰囲気の漂う寿司屋だった。

堅い雰囲気とは反対に、ラフな服装の人が多くて椿は安心した。

メニューも、単品よりセットのものが多い。

気軽に楽しめる高級寿司、といったコンセプトだろう。

二人の会話から、店を選んだのは興兄だとわかったが、なかなか良いセンスだ。

注文した後、何を話したら良いのか分からず、気まずい雰囲気が流れかけた。

「学校どうだった?」

案の定、空気を変えたのは憂兄だ。

「楽しかったよ。仲良い子とクラス一緒になれたし。」

「それはいいことだ。」

弾まないよなぁ、と思いながら、良さそうなコップに入った水を飲む。

「椿は部活入ってるんだっけ?運動部?」

「なんで。」

椿は少し笑う。

「なんとなくだよ。髪の毛結ばないでいく女子は大体そうだろ。」

「偏見すぎ。」

椿は呆れたようにいった。

「私は帰宅部所属です。」

「まじか。」

「そんなにびっくりする?」

憂兄は瞬きを繰り返しながら言う。

「時代の違いを感じてさ。」

どう言うこと?と首を傾げる椿。

「俺らの時代は、部活強制だったから。」

7歳しか違わないのに。

今度は椿が驚いた。

「お前、帰宅部だっただろ。」

初めて興兄が口を開く。

「でも、帰りに毎日のように生活指導のゴリラに待ち伏せされてた。」

ゴリラみたいな先生を思い浮かべて椿は笑う。

確かに椿の学校もゴリラみたいな先生が生活指導を担当している。

「興兄は?」

興兄は、切れ長の目で椿を見た。

「部活、なんだったの?」

「……剣道部。」

椿は思わず言う。

「ぽいなぁ。」

「だよな?」

憂兄も、どこか前のめりになって言った。

「しかもこいつ、全国大会まで行ってんの。」

「え、すごいじゃん!!」

興兄が顔を背ける。

なんだか、照れているような気がした。

「椿はさ、なんで部活やんないの?」

憂兄に聞かれて椿は考える。

「なんとなく?」

憂兄は椿の言葉を繰り返す。

「なんとなく、面倒だったのかなぁ。」

ふうん、と納得のいかなそうな返事が返ってくる。

「憂兄は、なんで部活やんなかったの?」

憂兄は椿を揶揄うような目をする。

「なんとなくかなぁ。」

興兄が遠慮なしに憂兄をこづいた。

遠慮のない笑顔が椿の顔に広がる。

「バイトしてたんだよ。」

憂兄の代わりに興兄が言った。

「禁止だったんだけどな。」

そう言いたかったのは、たぶんゴリラみたいな生活指導の先生だよ。

苦笑いながら言う憂兄に、椿は心の中でツッコむ。

「社会を知るのも大事じゃん。」

「言い訳下手だな。」

興兄は無表情のまま言う。

さっき照れてたのは気のせいだったかもしれない。

「どこでバイトしてたの?」

憂兄は少し考えているようだった。

んー、と曖昧な言葉だけが発せられる。

「ホストクラブだよ。」

なかなか言わない憂兄に痺れを切らしたのか、興兄がまた代わりに言った。

高校生って大丈夫なのかな、椿は純粋にそう思った。

「語弊があるって。」

憂兄は焦りながら言う。

「雑用だから。」

「でも、クラブで働いてたことは事実なんだ?」

椿は思わず言う。

「まあ、な。あ、でもホストやったことはないから。」

そうなんだ、と椿は言う。

「ぽいけどね。」

いい意味で。椿は付け足した。

「いい意味なんてあるかよ。」

少し不貞腐れた様子の憂兄。

「あるよー。コミュ力高いとか。」

「それはどうも。」

満更でもなさそうだ。

「今は店長してるしな。」

興兄が言う。

さっきから重要なことだけ言ってくる。

「クラブの?」 

憂兄は気まずそうに、そして興兄を睨みながら頷く。

「そうだった」

知ってはいたけど、どこか絶妙な距離感。

23歳、ホスト未経験で得られる地位なんだろうか。

「じゃあ、やっぱりマフィアは副業?」

おもしろい言い方するな、と憂兄は笑う。

「そういうことになるけどさ。いや、やっぱりマフィアを本業にしとこう。」

「マフィア副業の方が面白いよ。」

「いやでも、クラブの店長って信用ないじゃん。」

椿は首を傾げた。

「そう?すごい仕事だと思うけど。」

椿の純粋な思いに、憂は少し驚いていた。

感動に近い驚愕。

椿はそんなことも知らず、興兄の方に顔を向ける。

「興兄はなんの仕事してるんだっけ?」

聞いたことはないけど、椿はそんな言い方をしていた。

兄のことは知らないことばかりだった。特に自分から話したりしない興兄のことは。

「IT系。」

短い返事が返ってきた。

本当に大事なことを端的に伝えてくる。

「こいつ社長だぞ。」

仕返しのつもりか、勢いよく憂兄は言った。

椿は絶句して言葉を失った。

二人揃って優秀すぎる。

「全く、学生の頃は俺の方が信用あったのにさ。」

興兄は何も言わない。

「そうなの?」

規則破りの定石みたいな憂兄が信頼されていたなんてそれこそ信用できない。

「俺は、部活に入ってないことだけが問題だったけど、こいつはガチの不良だったからな。」

どういうこと?と椿は少し不安になりつつ聞いた。

聞いていいんだろうか。

興兄が何も言わないことも相まって不安が膨らむ。

だって、たぶん、だ。

「喧嘩しては、ボコボコにして帰してたからな。」

昭和のヤンキーみたいなことが、果たして7年前にもあったのだろうか。

「向こうからふっかけてきたんだよ。」

俺は悪くないとでもいうかのような口調だ。

私の兄、やっぱり強烈だ。


長い昼食を終え、兄二人は仕事があるからと言って駅で別れた。

外はもうすっかり暗くなっている。

兄は進級祝いだ、とか言って、ちょっと高いパスケースを買ってくれた。

なんだかんだ言って楽しかったな。

口の端に浮かびそうな笑みをなんとか堪える。

家族と離れて二人の兄で三人暮らしを始めてから一年がたつが、いまだに兄との距離感は測りきれない。

そこには、歳の差もあるけれど、今まで過ごしてきた時間の短さもある。椿を取り囲む複雑な状況を受け入れるのにはまだ時間がかかる。

窓の外はビルの灯りで昼間のように明るい。

それが途切れると、自分と向き合う形になる。

ねえ、マフィアってなんだろう。

椿は窓に映る至って普通の自分に聞く。


「お姉さん暇〜?」

まだ7時なんだけど。

椿は少しイラッとして酔っ払っている相手を睨む。

大学生くらいだろうか。

こんな早い時間に酔っ払って、しかも制服の学生に絡むとかダサすぎる。

椿は不快感の滲む顔で足を速めた。

「暇でしょー、ねえー」

呂律も回っていないし、足元もおぼつかない。

反応しないのが1番だから。

椿は自分に言い聞かせて歩くが、グッと腕を掴まれて思わず足を止める。

「いいじゃん、一杯くらい付き合ってよー」

こっちは未成年だから!

振り払おうとした男の手は、椿が何もしないままに離れた。

「お兄さん酔いすぎ。困ってるじゃん。」

うわ、イケメン。

椿は思わず声に出しそうになった。

椿と同じくらいの男子が、間に割って入る。

酔っ払いの興味も椿から男子に移ったらしい。

今度は助けてくれた男子の方にダル絡みしている。

せっかく助けてくれたのに申し訳ないな、と思っているうちに、慣れた様子で酔っ払いは追い払われていた。

普段は助けてくれる人はあまりいないのだけれど。

今日はいい日だ、と思ってルンルンで歩く椿。

足取りはいつもより軽い。

ただ、椿を囲む夜の闇は暗い。ところどころある電灯が寂しく照らしている。

ふと、椿が足を止める。

——誰かいる……?

椿は瞳だけを動かして、背後を見る。

姿は見えないが、誰かがいることはわかる。

先ほどまでの浮かれた気持ちは消え去り、警戒心で満ちる。

「誰ですか?」

心の奥の震えを必死に抑えて椿は聞く。

相手は答えない。

椿は顔を顰めて、睨みつける。

そして、一歩進めた。

マフィア、極道?正しい呼び方はわからないけれど、椿の家は普通じゃない。

椿はほとんど何も知らないけれど、実家の家業がアウトローなものだということは知っている。

そこに手を出したことのない椿でも、組織のボスの孫娘である限り無関係ではいられない。誰かにつけられたり、命を狙われたりは珍しいことではない。椿はずっと知らなかったけれど、影で椿を見守る護衛がいる。

でも、それに頼りきりではいけない。

だんだんと狭くなる歩幅。

流れる景色は早く過ぎる。気づけば椿は小走りなっていた。

「おい!」

その声に、椿は思わず足を止める。

手首を掴む誰かの手。

椿は振り向く。

そして、振り向きざま、注射器のようななにかを、刺した。

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