第9話
寝袋の中で車の走る音を聞いている間、このまま永遠に目的地に着かない事を願っていた。着けば最後、今以上の地獄が用意されていると、そう予想していたからだ。
もしくは、警察に捕まり、荷物を取り調べられる、という風な事は起きないものかと。
しかし無残にも、車は目的地に無事辿り着いた。そこで高井は、今度は船に乗せられたようだった。寝袋ごしにも潮の匂いが感じられ、波の音が聞こえる。
船に乗せられしばらくして、寝袋の封が解かれた。心地良い潮風が頬を撫で、高井は新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。
仰向けに寝かされた状態で拘束された高井の目には、夜空しか見えない。満天の星空だった。
こんな状態でなければ、最高のロケーションだ。
背中に触れる、板の様なものが揺れ動く感触から、ここがボートの上だと分かった。
「久しぶりだな、高井さん。」
グエンの声が聞こえた。首を巡らすと、彼が視界の端で座っているのが見えた。
「この世界…この国には、八百万神様がいるらしいな。あんたはもちろん知っているだろう?」
「あ、ああ…」
グエンがなぜ急に、そんな話を始めたのか高井には分からなかった。しかし何でも良いから話を引き延ばし、地獄が始まるまでの時間稼ぎをしたかった。
「じゃあ、俺たち異世界人の肩を持ってくれる、そんな神様だっているはずだ。そう考え、俺たちはその神様に祈り、これからやる事を見守っていてほしいと願ったんだ。」
「それで…窃盗をし、逃亡したのか。」
グエンは頷いた。
「上手くいった。警察は血眼になって捜査しているだろうに、俺たちは未だ捕まらずにいる。
やがて、同じ地域にいる異世界人実習生にも同じ事をするよう助言し、彼らも上手くやれた。
盗んだ物は、異世界人や外国人マフィアが正業としてやっている料理店に買い取ってもらったりしているよ。」
「監視カメラの存在には、どうやって気付いたんだ?」
「監視カメラ?そんなもの設置していたのか?」
グエンが驚いたような声になる。本当に知らない様子だ。
「監視カメラの映像は…被害のあった日はいつも、加害者が映っているはずの部分だけがすっぽり抜けていたんだ。」
グエンはしばらく黙っていた。暗くて表情は分からないが、何かを考えているように見える。
「なるほど…神様は、本当に俺たちに協力してくれていたんだな。」
グエンは興奮し、感動しているようだった。その声は感謝に満ちている。
高井も神に祈った、この世界の、この国の人間の肩を持つ神に。
「さて、そろそろお別れだ。」
グエンが腰を上げ、言った言葉が高井の耳に死刑宣告のように聞こえた。
「た…助けてくれ…頼む…」
高井が涙を流しながら、必死に懇願する姿を見て、グエンは吹き出した。
「助けてくれ、か。今のは切実なやつだな。あの頃よくやってた誤魔化しと違って。」
気付かれていた。丸め込めていたと思っていたのに、見抜かれていたのだ。
「あんたらはいつも、俺たち異世界人を馬鹿にしていた。俺たちはそれでもずっと、耐えてきたんだ。」
冷たく言い放つグエンに、高井はなおも懇願する。
「す、すまなかった!すまなかった!頼む、助けてくれ!殺さないでくれ、お願いします!」
「悪いが、これが一番面倒が無くて良いんだ。死体が見つからなければ、警察は行方不明者と判断し、ろくに捜査をしない。
警察は、あんたが金を持って自主的に姿を消したとしか考えないだろう。」
グエンは寝袋の封を閉じながら、喋り続けた。
「自分よりも権力の無い者が相手なら、一方的に自分の都合を押し付け、相手の言い分は押さえつけても構わない。そう教えてくれたのが、あんたたちこの世界の人間だった。
技能実習の名目である、技術・技能なんかは何も学べなかったが、それだけは勉強になったよ。」
寝袋の封が完全に閉ざされ、高井の視界は再び真っ暗になる。すぐ側で、岩のような固いものが転がる音がした。寝袋に重しを付けている音だ。
グエンは、重しを付けた高井の寝袋を持ち上げ、海に放り込んだ。
ドボンと大きな音をたてた後、寝袋は海の底へ沈んでいく。
後には、波の音だけが辺りに響いた。グエンはしばらくの間、そこに佇み俯いていたが、間もなくボートのスイッチを入れて、陸へ向かって船を走らせた。
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