舞首避け

 湯屋を出た清司郎せいしろう長次ちょうじ親子と別れ、ぶらぶらと雑踏を歩いていた。

 すると、前の方から奇妙な男がやってくる。

「さあさあさあ、来たわいな、来たわいな~」

 特徴的な節回しをつけながら、天狗面を着けた男が踊るようにおどけて歩いている。いまの刻限こくげんからすると一日の仕事を終えて家へ帰る途中なのだろうが、それでもさらに客を呼ぼうと声を上げているのはたいしたものだ。

 背負っているのは翼ではなく、小さな籠で、籠の目に差し込まれた竹ひごが何本か、先にぶら下がる提灯の重みでゆらゆらと揺れていた。その提灯には中身が入っておらず、白い紙にはなんとか人の顔とわかる程度に、目と鼻、口が描かれている。

「なんだ、あれは?」

「若先生、知らないの? あれは近頃はやりの舞首まいくび避けってやつ」

 清司郎が思わずつぶやくと、すぐ近くから声がした。振り返ればおはるがつまらなそうに口をとがらせていた。とうに店じまいをしたのか、いつもの屋台はない。

「舞首避け? よくある、疱瘡ほうそう避けのお札みたいなものか」

 芸人の中には、変わった扮装で人を集め、お札を売る者たちがあった。大抵は偽物で、お札の御利益も怪しいものであったが、いわしの頭も信心からということか、なかなかどうしてその日の食い扶持ぶちくらいは稼げたようである。

 いま、そこを歩いている舞首避けもそのたぐいではないか、と清司郎は思った。

「お札じゃないのよ。舞首避けを頼むと、首の後ろにありがたい字を書いてくれるんですって。そうすれば夜中、舞首がやってきても襲われずにすむとか」

「舞首に襲われずにすむ呪い、か。そういえば松之助まつのすけもそんな話をしていたが、おれは聞いたことがないぞ」

「あらそうなの? この頃、夜な夜な空を飛んで獲物を探してるってもっぱらの噂よ?」

「舞首ってのは元来、死人の怨念が寄り集まって宙に浮く生首の形を成した勿怪もっけだろ。怨念の集まるような場所が、この江戸にあるもんか」

「そうね……あるとしたら刑場くらいなものかしら」

 お榛が言うように、刑場で御仕置おしおきを受けたむくろはろくな供養もされず、ぞんざいに埋葬されるのみであって、浮かばれぬ怨霊が多くたむろしていてもおかしくない。

「そんなに噂になっているなら、はらいを頼まれることもありそうなものだがな」

「ところが、噂ばっかりでまるで頼まれないのよね」

「まあ、しょせんただの噂ってことだ。火のないところに煙は立たぬと言うから、噂の元になったような何かはあったんだろうけどな。酔っ払いが猫でも見間違えた……とか」

 清司郎はそうは言うものの、内心では先程の松之助の話を思い出していた。

「……抜け首、飛頭蛮ひとうばんのたぐいだろうか。それなら人の多い江戸にいてもおかしくはないが」

 ぽつりとつぶやいた声は、お榛には聞こえなかったようだ。

「それにしても嫌んなっちゃう。あんな紛い物じゃなくて、あたしに頼んでくれればいいのに。こう見えてきちんと天狗の神通力を持ってるんだからさ」

 お榛はそう言ってさらに口をとがらせるが、その子供っぽい仕草は、山の神とも言われる天狗のようには見えなかった。

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清司郎斬妖帖 野崎昭彦 @nozaki_akihiko

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