松之助の悩み

 十日ほどが過ぎた頃の夕刻。

 清司郎せいしろう手拭てぬぐいを手に湯屋ゆやへ向かっていると、向こうから松之助まつのすけが歩いてくるのが見えた。

 先日出会った時とは違って、どこか暗い顔をしている。

「おい、松之助じゃないか」

 清司郎が思わず声をかけると、松之助はふと顔を上げた。

「あっ……清司郎さま。先日はどうも御無礼をいたしまして」

「いや、それはいいんだが……顔色が悪いぞ。どうかしたのか?」

 清司郎がたずねると、松之助はいえいえ、と首を振った。

「なに、どうということもありません。今日は暑いですからね」

 松之助は大げさに手拭いで額を拭いてみせた。

 たしかに今日は雲一つない晴天で、このお天道様てんとうさまの下で一日働けば疲れもするだろう。

「しかし、そればかりではないんじゃないか?」

「えっ? いや、そんなことはありません。平気の平左へいざでございますよ」

 松之助は笑ってそう答えるが、すぐにやや顔を伏せた。

「と、言いたかったのですが、やはりわかっちまいますか。実はこの頃、夢見が悪いんですよ」

「ほう? 夢見が悪いとはどうしたんだ?」

「ああ、いえね。嫁をもらうことになったのはいいんですが、夜、寝ていると隣で寝ている嫁の首がこう、すうっと抜けて、どこかへ飛んでいく……そんな夢を、三日ばかり続けて見るんですよ」

「ほう、そんな夢を?」

「夢だといえばそれまでなんですが、同じ夢を何度も見るってぇのも不気味なもんです。それも、あんな薄っ気味悪い夢ですから」

「それもそうだな」

 清司郎は勿怪もっけの仕業かとも思ったが、そもそもが松之助の夢である。

 とすれば、自分の出る幕でもないだろう、と思い直す。

「そんな夢を見るということは、嫁をもらうのに不安があるってことなんじゃないか? まあ、独り身のおれがこんなことを言うのもおかしな話だが」

「いえいえ、そんなところなんでしょう。近頃は舞首まいくびとかいう勿怪の噂もあるから、嫁の首が抜けるなんて夢を見たりしたのですよ」

 松之助はそう言っておっとり笑った。

「そうそう、その嫁なんですがね、おきちという名で本当によく働くんですよ。世話をしてくれた大店おおだなの下女なんですが、今でもあたしにはもったいないって思ってるんです」

「その引け目がおかしな夢に繋がっているのかもしれないな」

「案外、そうかもしれませんね」

 話し始めた時に比べると、松之助はいくぶんか元気になったようだった。

「そういえば、清司郎さまは勿怪退治も請け負っているのだとか?」

「ああ、もし本当に嫁さんが飛頭蛮だったら、その時はおれがなんとかしてやる」

 清司郎は腰に差した愛刀『荒正あらまさ』の柄をぽんと叩いてみせた。

「そうか、そうですね。では、本当に嫁が勿怪だったら、その時は改めて相談さしてもらいます」

 松之助はそう言うと、清司郎に頭を下げて雑踏ざっとうの中へ消えていった。

「しかし、奇妙な夢もあるものだな」

 清司郎は先ほどの松之助の話を思い出し、首を振った。

「あ、若先生。いまから湯屋か?」

 見れば、長次ちょうじが父親に連れられていた。

「おい長次、お師匠さんにそんな口を利くもんじゃねぇ」

 長次の父がたしなめるが、清司郎はそれを手で制した。

「まあまあ、子どものすることですから。ところで、お二人はこれからどこへ?」

「なに、先生と同じですよ。湯屋でひとっ風呂浴びて、夕涼みでもしようかってところでして」

「そうそう。今日は暑かったもんなー」

「そうだな」

長次親子と連れ立って歩きながらも、清司郎はなんとなく松之助の夢が気になっていた。

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