魔女歴1509年 魔法学園より


 ヤハル魔法学園。大陸で最も大きな魔法使い専門の学校で、300年の歴史を誇る超名門校だ。

 卒業生の中で大魔法使いになった者は数多く居り、毎年受験の時期には学生たちがその狭き門をくぐろうと躍起になった。


 そんなヤハル魔法学園の中には、エリート中のエリートが集まる特進コースがある。そんな特進コースで、成績トップの座に着くのはラルフ・ヤハル。学園設立者であるヤハル一族の末裔だ。



 ◆◆◆◆◆



 ヤハル魔法学園の校舎裏は、在校生の管理する花壇や卒業生の功績を称えた像、そういった華々しい物が並ぶ正面とは大きく様相を違える。

 あるのは魔法薬の材料となる生物を育てるための飼育室と、薬草のための畑とビニールハウス。裏門からは少し遠く、ほとんどの生徒には用が無い。


 ラルフは一人の女子生徒に声をかける。自分と同じ特進コースの生徒ながら、めったに教室に現れない彼女へと。

「ケイト」

「ぁ、ら、ラルフくん」

 オドオドとしながら、ケイトは長く伸びた前髪の隙間からギョロリとした目をラルフへと向けた。


 ケイトに出会ったのは去年の入学式。一つだけ空いた席を不思議に思ったラルフは、渋る教師からケイトのことを聞き出した。

 特進コースへの入学テストをトップで通過した、彼女のことを。


「昨日のテスト、どうだった?」

「ま、満点だった、よ?」

「む。最終問題はどうやって解いたんだ?」

「あ、あれは、召喚術の、お、応用で…」

 ヤハル魔法学園では、なによりも実力を重視している。

 ケイトは普段から授業に参加していないが、定期的なテストの結果で常に上位を取ることで、それを許されていた。放置されている、とも言えるが。

 彼女自身、他者との交流に不慣れなことがあり、その境遇を受け入れているが、友人や青春にあこがれる普通の女の子でもある。


「(私が間に入れば、クレアならケイトの友だちになれるんだろうな)」

 ラルフはテストの問題について解説をするケイトを見ながら、特進コースのクラスメイトたちのことを考える。

 一癖も二癖もある彼らだが、クレアは穏やかな性格でケイトの得意な召喚魔法への造形が深い。話も合うだろう。


 でも、ラルフはそうしない。


 なぜならラルフはこの時間が終わることを望んでいない。

 ケイトが孤独である限り、ケイトの目にはラルフしか映らない。

 ラルフは自分のこの恋心が歪んでいるのを理解している。

 それでも、この時間を手放す気は無かった。




 ◆◆◆◆◆




「ら、ラルフ!あ、あのねあのね!私、あたらしい友だちができたかも、しれないの」

「は?」


 ケイトにそう告げられたのは、2年生の夏のことだ。

 欠落しかけた表情をどうにか取り繕って喜ぶケイトに聞けば、相手は一年生の特待性だと言う。

「エリック、くん。魔法が使えない子なの」

「あぁ、私も耳にしたよ。お祖父様…いや、校長が入学を許可したんだろう」


 魔法が使えない。それは手足を失うより異常な事だ。

 なぜなら、この世界に魔法を持たない者は存在しない。魔力は瞳や髪が暗い色をしていればしているほど強く、そうでなければ明るくなる。

 入学式で見かけた魔力を全く持たないという特待生・エリックは、遠目に見ても輝くような金髪碧眼の美少年だった。


「わ、私。魔法道具、作っているでしょ?あ、あれをエリックくんが使えたら、ま、魔力が少ない人もちゃんと使えるってこ、ことになるよね?」

 いつもながらに明るいケイト。会話を続けながらもラルフの心はどうにもざわつく。自分が大事に大事に隠してきた宝物を汚されたような、どうしようもない不快感に襲われた。


 それから、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日。ケイトの話はエリックの事ばかりだ。

 エリックは受けられる授業が少ないからと、ラルフが授業を受けている間にケイトに会っているらしい。

 ラルフが調べた限り、エリックに悪い噂は無い。クラスでも極めて善人として知られており、教師らの評判まで良いときた。


 エリックと会うようになって、ケイトは前向きになりつつある。このままでは、自らクラスメイトに会おうとし始めるかもしれない。

「駄目だ、許さない。私の、私のケイトだ」

 ラルフしかいないと言わんばかりの、あの縋るようなあの暗い目が消えてしまう。

 家に決められた人生を、なんの疑問も無く歩んできた。ケイトに最初に声をかけたのも、そうすることで自分の評価を上げるためだった。

 ラルフにとって、初めて欲しいと思ったのがケイトだった。


「渡さない、誰にも、」




 ◆◆◆◆◆




 陣を描く。


「ラルフ、や、やっぱり、あぶないよ」

「大丈夫さケイト。」


 描くの陣はこの世界の裏に存在すると言われる悪魔を呼び出す邪法。禁忌とされている魔法だ。

「それに、成功するわけないだろ?どんな大魔法使いにもできなかったんだから」


 家の奥で悪魔召喚の書を見つけた。どうしても試してみたい。上手く行かなかったらそれで諦める。でもアドバイスが欲しい。友だちだろう?。お願いだケイト、今回だけだから────。

 嫌がるケイトをそうして説き伏せた。

 ラルフ自身、これが成功するとは微塵も思っていない。かつて実験のためにラルフの祖父である校長が使ったときも、上手く行かなかったことをラルフは知っていたから。

 ただ、ひっそりと混ぜた魔法により、自分がひどい怪我を負えればそれだけで良かった。


 ケイトはきっと強く止めなかったことを後悔するだろう。傷跡を見る度、不自由そうにする度、罪悪感からケイトはラルフから離れていかない。ラルフにあるのはそんな後ろ暗い下心だ。


 生贄は肉屋で買ってきた肉の塊。本来は生きた羊らしいが、真面目にやる気もないから肉だけ用意した。

 それでもケイトを騙せるだけのパフォーマンスはしなければならない。彼女の罪悪感に、少しの疑念も残らないように。


「■■■■■」


 呪文を唱える。書に触れたとたん、およそ使ったことのない声帯から歌うように声が勝手に発せられた。

「(な、んだ、これは)」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 口が止まらない。次から次へと勝手に口が呪文を紡ぎ、魔力が魔法陣へと流れ出す。

 ケイトが異変に気づき、小さな手でラルフの口を塞いだり、書から手を離させようとするが、止まらない。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」

「ラルフ、やめて、ラルフっ」

 喉は裂け、口から血を吐きながらなおもラルフの口は止まらない。黒い髪と黒い瞳。この世界でトップクラスの魔力を持っているはずなのに、それすら魔法陣に吸い尽くされてしまいそうな勢いだった。


 ラルフを止めようとするケイトは気づいていないが、生贄として置かれていた肉に異変が起こり始めていた。

 カタカタと肉の入ったトレーが揺れ、小さな穴が空いたかと思うとそこから蛆が溢れ始めたのだ。穴は肉の塊のあちこちに飽き、同じように蛆が溢れてくる。

「■■■■■」

「どうしよう、どうしよう、今陣を崩したらを暴走しちゃう…!」

 半ば泣きながらも必死に頭を働かせるケイト。ラルフはどうにか逃げろと伝えることもできない。


「かはっ」

「ラルフ!」

 唐突に詠唱が止まる。体から力が抜け、その場に座り込む。すぐに横へと来たケイトを、なんとか抱き寄せた。

「ケイト、動くな」

 枯れた喉でどうにかそう告げる。止まったのでは無く言い終えたのだとラルフは理解していた。


 召喚魔法は成功している。

 つまり、これからなにかが来る。


 蛆まみれの肉が唐突に腐り始める。酷い匂いと共に溶け始めた肉は煙を吹きながら黒い液体と化した。

 魔法陣が輝き、黒い穴へと変わる。そこから蝿を伴って細い手足が生えてきた。


 骨ばった手。触覚の生えた頭。虫のような半透明な乾いた羽。ピエロのような奇抜な色のシャツと反対に真っ白な白衣をまとい、それは全身を今世に晒した。


「アハ、どうも。我が王」

 そいつはラルフを見て、ニマリと笑うと仰々しく頭を下げた。




 ◆◆◆◆◆





 悪魔はツェツィーリアと名乗った。


 本当に悪魔を呼んでしまったことに、良心が痛まない訳ではない。ただ、それを越える愉悦がラルフの中に湧いていた。

 呼んだ悪魔に操られていると、ラルフはケイトに嘘をついた。嘘をついて、殺戮を始めたのだ。


 その才能とツェツィーリアがこの世界に持ち込んだ悪魔たちを使い、ヤハル魔法学園を制圧し、自分の祖父の首を晒した。

 逃げ惑う学友や教師に魔法を放つその姿を見て、ケイトは泣き崩れてしまった。


「ケイト、ケイト、私はなんて、なんてことを」

「ら、ラルフのせいじゃ、ない。あの悪魔が、悪いの。だから、だから………」

 ケイトの暗い瞳は絶望と闇を宿すようになった。それでも悪魔に操られたラルフの唯一の支えだからと逃げることもできず、ただ毎晩ラルフを慰めた。


「はは、はははははは!!」

「ラルフ様、楽しそうですネ」

 玉座で笑うラルフに、ツェツィーリアは薄ら笑いを浮かべたまま声をかけた。ラルフは魔法の鏡に映るケイトを見てから、心底幸せそうに笑い返す。

「今、世界はどうなってる?ツェツィーリア」

「エエ。小生の配下たちが十二分に腹を満たせる程度デスね」

「なら、これ以上の侵攻は必要ないな。私はお前との契約を果たせている。」

「マア、そうデスね」


 ツェツィーリアを呼び出したラルフは、ケイトを手早く気絶させると悪魔に交渉を持ちかけた。

 悪魔のその腹を満たす代わりに、ラルフは国を差し出したのだ。

「マア、貴方様がそうお望みなら構いまセンよ」

 心底残念そうなツェツィーリアにラルフは確かな手応えを感じた。書によれば悪魔には契約が絶対だと記されていた。なら、契約さえしてしまえばその力を思うがままに使えるはずだから。


「そう言えバ。勇者はどうしたんデス?」

「勇者?なんだ、それは」

「アレ。…まあ、お気になさらズ」

 気になるところではあったが、ツェツィーリアがよく分からないことを言うのは、これが初めてではない。

 聞いたところでまともに答える気はないだろう。

 だが、我が王という呼び名も辞めるように言えばすぐに辞めた。その従順さがあればラルフは良かった。


「ツェツィーリア。『追加』が必要なら呼べ。私はしばらく、ケイトの部屋に篭もるから」

 空腹はあるのに満腹が無い悪魔たち。放っておけば飽きるまで貪るから、ツェツィーリアに食べる量を調整させている。

 追加が必要なら侵攻し、まだ豊富にいる人間を狩れば良い。今の所悪魔たちは優勢で、人間たちには成すすべもない。

「ハィ、ごゆっくり」



 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆




 魔力を持たない男が剣を振るい仲間と共にラルフの城と成った魔法学園に攻め込んできたのは、半年後の事だった。


「マア、悪魔減ったので食糧は足りておりマシタので」

 あっけからんとしたツェツィーリアからそう言われた時には、もう悪魔の軍勢は壊滅状態だった。

 そこからどうにか建て直したが、人間の軍勢に押し負け、だんたんと追い詰められていた。

 そして今日、エリックと仲間たちはラルフという悪を倒すべく魔法学園へと勇敢にも乗り込んできたのだ。


「ツェツィーリア、どこだ!貴様!どこへ行った!」

 エリックたちが学園へと入ると同時にツェツィーリアは忽然と姿を消した。あの気まぐれな悪魔は劣勢と分かると早々にラルフを見捨てたのだと理解する。

 それでもツェツィーリアの呼んだ悪魔は残っていたし、命令も聞くから少しでも学園内の敵を食い止めるように言い、ラルフはケイトと玉座の間に入る。


「ら、ラルフ?ど、どうして、逃げるの?だ、だって。ラルフはわるく、ない。助けてもらおう?え、エリックならきっとわかってくれる、よ?」

「うるさいっ!そいつの名前を出すな!」

 ラルフはケイトに怒鳴ったが、すぐにハッとしてケイトの体を抱きしめる。

「ケイト、驚かせてごめん。

 でも悪魔に操られていたとしても、私がしたことが許されるわけが無いだろ?」

「…ラルフ……うん、ごめん、ごめんなさい」


 兎に角逃げなければ。その一心でラルフは転送の魔法陣を描く。

 堕落していた脳みそをフル稼働させ、必死になって手を動かす。

「(失えない。失いたくない。この地位はどうでも良い。だが、ケイトだけは失いたくない。私は、私はもう二度と………?二度と…………前は、前は、なんだ?)」


「ァ────ゥァ?」


 酷い、酷い頭痛がした。



 ◆◆◆◆◆




 びちゃ、ぐちゃべちゃ


 嗚咽と共にラルフは吐く。驚いて背中を擦るケイトの声が痛む頭にひどく響いた。

 蘇るのは記憶。信仰と友情。楽しかった日々をかき消すような茨の旅路。


「ぁ、俺は、俺は…」

 ラルフは自分の両手を見つめる。もう、何度目かも分からない転生をしたのだと、自分を思い出した。





 ◆◆◆◆◆




「ラルフ、ら、ラルフ?大丈夫?へいき?いたいところは?」

 不安げにラルフの顔を覗き込むケイト。

(そうか、俺は、彼女と…彼女を…)

 ケイトにしてきた所業がラルフの頭を駆け巡り、押しつぶされるような罪悪感にまたこらえ切れずに吐いた。

 痩せた手が背中を撫でる感触に、ひどく胸が傷んだ。


「…ケイト。ここに隠れていてくれ」

 口元を拭い、ラルフはケイトを柱の影へ魔法で隠す。玉座の方へと向かい、魔法で生み出した剣を持った。

(…魔法。これが不自由に感じるのは、エリックの魔法を見ていたからか)

 手を振るい、僅かな呪文だけで魔法を行使していたエリックの才が、本当に凄まじいものだったのだと魔法を使える身になってラルフは気づく。

 空を飛ぶにも、敵を倒すにも、どんな魔法使いでもあんなに簡単にはできない。


(お許しください、とは言わない。

 だが、彼女に、ケイトにせめてもの加護を)

 醜い独占欲で汚してしまったケイトのためにラルフはわずかに祈る。罰は必ず降る。何度も繰り返した転生で、ラルフはそれを理解していた。



 扉が開かれる。ほら、来ただろうと笑ってやりたくなる。

 もう何度も、何十回何百回とラルフはエリックと殺し合いをしてきた。

 最初はその運命に抗おうとした。何度敵として生まれ変わっても、きっとどうにかできるはずだと。和解できる道があるはずだと。

 それでも、それでもうまく行かないのだ。偶発的に、必然的に。ラルフはエリックと殺し合わざるを得なくなる。

 他のことなら誘導し、ある程度は思うがままにできるのに、これだけは上手く行かない。


「ラルフ、どうして…」

 剣を手に来たエリックに、ラルフは無言で斬りかかる。もう手遅れなら、せめて敵として死にたい。


 ラルフにはエリックと戦う理由が無かったし、本当に心底戦いたくない。何度繰り返してもラルフにとってエリックは友人のままで、正義の象徴のように在ってくれていたから。

 ラルフを赦すエリックを、憎く思うこともあった。だが、それも自分への罰だと思うことにした。エリックに罵倒され、憎まれ、嫌われるのはただ楽がしたいだけだからと。

 赦されてしまうなら、この罪悪感を抱えて生きるのが自分への罰なのだと。


 本当に、ラルフにはエリックへ向ける怒りが無かった。



 ラルフを庇おうとしたケイトが、エリックに斬られるまでは、本当に、無かった。


「あ、あああああああ!!!!」


 倒れゆくケイトの体を抱きとめる。

「ケイト、ケイトだめだ。逝くな。だってお前は、お前はなにも悪くないだろう?!俺に、俺に巻き込まれただけだ。俺のせいだ。おれが」

 即死だったのだろう。死体になってしまったケイトを、ラルフは必死に抱きしめた。まだ温かいその体を抱きしめて、ラルフはエリックを見上げて怒鳴る。


「なぜ斬った!ケイトは、お前の、お前の友人でもあったんだろう?!お前なら、お前ならもっと上手く…!!」

 ケイトが飛び出したとはいえ、エリックならそれに気づき、峰打ちにすることだってできたはずだ。そう身勝手に怒鳴り、理不尽な殺意をエリックに向けた。



「…」



 エリックは何も言わなかった。

 変わりに、黙ったままラルフの首を跳ねた。



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