第26話 俯瞰を知らぬコスプレは罪か、罰か

 “奴”はいつも全身、赤い服なのだが、今日は同じ赤でもいつもと雰囲気が違う。

 服が赤い軍服の様なデザインなのだ。しかも制服の袖が無く、髪はプラチナブロンドへ染められ、さらに“奴”のトレードマークとも言えるサングラス。

 露骨なまでにアレを意識している。

 某大尉だ。

 しかし某大尉と違う点があるのだが、まず全身から放たれる“奴”の細くて貧相な雰囲気。袖無しから露出している“奴”の二の腕は細く艶なく、生白く弛んでいる。

 決定的に違うのはズボンを含めた下半身だ。

 “奴”は膝から下にかけて極端に膨らんでいく、ベルボトムとかパンタロンってタイプのズボンを穿いているのだが、その膝から下の長さが極端に長いのである。膝下が足の長さの4分の3はあるのだ。

 爪先をズボンの裾で隠していることからして、かなりの高さがあるハイヒールシューズを履いているのだろう。

 とにかく、貧相な中年が無理に格好つけているみたいで滑稽なのだ。


 荒ぶる“奴”を眺めるのも悪くない。

 俺は近くの物陰に身を潜めた。



「私を年寄り扱いするのか!」


 “奴”は近くにいる大学生風の男へ突っかかっているようだ。


「いいえ、そんなつもりはありません」


 “奴”に突っかかられている男は額に汗を浮かべ、申し訳無いとでも言いたげな表情を浮かべている。


「じゃあ、何故だ⁉︎何故、私の歩行について口を出すのか⁉︎

 失礼じゃないか!」


 “奴”の歩行について?“奴”は何を怒っているのか。


「歩き難そうにされていたので」


「そんなことはないっ!」


 男が何か言おうとしていたところへ、“奴”は一際大きな怒号を被せた。


「見ろ!これのどこが歩き難いのかっ!」


 “奴”はそう叫びながら、その場で足踏みをしてみせた。

 “奴”の靴はズボンの裾で完全に隠れているのだが、足踏みをするにも靴の重さのせいか、膝が上がっていないし鈍重な動きだ。

 男の言う通り、充分歩き難そうだ。


「申し訳ございません!」


 男は土下座でもしそうな勢いで頭を何度も下げる。


「私は年寄りじゃないんだ!年寄り扱いするな!」


「すみません!」


 男が深々と頭を下げると、“奴”はそれで気が済んだのか、その場を離れようとしたその刹那、俺と視線が交錯する。

 これには思わず、失笑を禁じ得なかった。

 この失笑に“奴”のサングラスの奥の眼が光った。ように見えた。


「風間か。何がおかしい」


 “奴”の怒りの矛先が俺へと向けられたようだ。


「おかしいに決まっているだろうよ。

 大学生が大学生ぐらいの男に、年寄り扱いされているんだからな」


 と言いつつ、俺は流し目加減の視線を“奴”へ送る。


「黙れ、百貫デブめ」


 言うに事欠いて、俺を百貫デブと言ったか。

 それにしても百貫デブだなんて、久しぶりに聞くフレーズだ。


「お前、もしかしてその歩きっぷりを気遣われでもしたのか?」


「そうだ、あいつは私に“足元、お気をつけて下さい”などと手を差し出してきたんだ!こんな失礼なことあるか!」


「そうは言っても、あんたの歩き方は鈍重かつヨタヨタしている。

 年寄り扱いされても仕方なく見えるぞ」


「そう見えたとしても、何故年寄り扱いするのか!」


「その生白く、弛んだ二の腕は年寄りのそれだからな」


「だとしても余計なお世話だ!何故こいつらは一々世話焼こうとしてくるのか!」


 “奴”も俺や西松と同じような目に遭ったようだ。


「確かにな…、それには俺も同感だ」


「全く、この世界は狂っている!」


 “奴”の発した、“世界は狂っている”という言葉は、まさに言い得て妙だ。

 “奴”、こいつも俺や西松と同じく、世界の異変に気付いているのかもしれない。


「お前は今、“世界は狂っている”と言ったな。

 俺もそれには心当たりがある。

 もしかして、お前も何か見たのか?」


 “奴”は身動き一つせず、沈黙した。

 黒いサングラスの奥の“奴”の眼は俺を見据えている、ような気がする。

 俺と“奴”の間に沈黙が訪れた。


「あれは何日前のことだったか…」


 沈黙を破ったのは“奴”だった。

 さっきまでの激情を露わにしていたのとは打って変わって、慎重な口調だ。


「三日前だ。私は家庭教師のアルバイトへ行く為、家を出たところだった。

 ふと気がついたら、方角にすると東の方だったと思う。

 家から何から何まで、音もなく天地がひっくり返って、全てが飲み込まれていくのが見えたのだ。私はそれから逃れようと必死に逃げた。

 しかし飲み込むスピードは圧倒的な速さで、私は呆気なく飲み込まれてしまったのだよ」


「それで気がついたら、この状況だったってところだな?」


「そうだ。風間…、お前も飲み込まれたのか?」


「ああ、俺はちょうど所沢駅前で飲み込まれた。

 あの巨大な力と言うか、俺たちを飲み込んだものは何なんだったのか」


「それは私にもわからない」


「俺と同時に西松って奴と城本、糞平も飲み込まれた」


「城本か」


 “奴”は城本の名を口にした。


「城本を知っているのか?」


「顔見知り程度だ」


「そうか。さっきまで西松と一緒にいたんだが、城本と糞平とは連絡が取れなくてな」


 俺はここで流し目加減かつ、強い視線を“奴”へ送り、


「そうだ。俺は大事なことを忘れていた。

 俺が飲み込まれたその時、


 ペヤングも一緒に飲み込まれた」


 “奴”はペヤングの情夫だ。

 なのに“奴”は表情一つ変えない。何故だ。


「ペヤング?」


 “奴”にはペヤングで通じないのか?


「あれだ、いつもお前と一緒の女だ。名前は何だったか」

 

「安子のことか。焼きそばのことかと思った」


 “奴”はそう言った後、軽く笑みを浮かべた。


「そのペヤングは今、どうしている?」


「元気にしているんじゃないのか」


 情夫なのに、まるで他人事のような口ぶりだ。


「今日はペヤングと一緒じゃないのか?」


「いつも一緒にいるわけではない」


 と言った“奴”の声色はやはりどこか他人事のようだ。

 何かあったのだろうか。

 確か大学内でペヤングから俺を追えと命じられたものの、“奴”は豪快にコケて、ペヤングから平手打ちを喰らわされたことがあったからな。

 まぁ円満ってわけでもないのだろう。


「お前の情婦が俺たちと一緒に何ものかに飲み込まれた、という話を聞いて、気にならないのか?」


 “奴”は沈黙し、サングラス越しに俺を見据えている。ように見える。


「まぁ、いいさ。お前らの関係など俺の知ったことではない。

 それよりもだ、俺と西松はこの世界が狂ったことに関して、青梅財団が絡んでいると睨んでいる」


 “奴”は無言だ。


「明日、大学へ行ってペヤングの奴を詰める予定だ。

 お前もこの狂いっぷりが気になるんであれば、ついて来い。


 話はそれからだ…」

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