第二章
第44話
一度完結した『貴族なんかなりたくない!』を今まで読んでいただき、ありがとうございます。この度、ありがたくも本作品が書籍化いたしました。そこで、続編を考え書いてみることにしました。
またしばらくお付き合いいただけたら幸いです。
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初夏の早朝、季節の草花が咲く庭園でミリアは花壇に水を撒いていた。水魔法を使い、押し出した両手の先から飛散する水が陽の光を浴びて踊るように輝く。
緩やかに蛇行するレンガの小路に沿って、ペチュニア、バーベナ、クレマチス。カスミソウ、スイートピー、カンパニュラ。奥の方にはオベリスクに絡みつくバラが咲き誇る。
ここは平民のミリアと貴族のジルベスターが住まう屋敷。恋人であるジルベスターがミリアと暮らすために建てられたものだった。
パーティーやお茶会など貴族らしい催しは一切できないが、ミリアとジルベスターが二人で暮らすには十分な広さがあり、家族が増えても大丈夫なように部屋数は多めに設えた。
平民のミリアの好みに合わせた屋敷は、装飾こそ華美ではないが、緑を適所に取り入れた居心地のよい住まいとなっていた。
「ミリア、おはよう。朝食の時間だよ。上がっておいで」
二階のベランダから、起きたばかりのジルベスターに声をかけられる。彼はまだ寝間着姿のままで、金色の髪は寝ぐせが付いて側頭部がぴよんぴよんと跳ねていた。
「おはよう、ジル! すぐに行くわ!」
二人はいつも朝食だけは一緒に摂っている。
ここヴェルサス領の領主をしているジルベスターは多忙で、夕食は領主城で済ますことが多い。ミリアも治癒士として働く診療所が忙しく、帰宅の時刻が不規則だった。それもあって、せめて朝食だけはと短い時間ではあるが顔を合わせていた。
ミリアが二階にある二人の寝室へ戻ると、窓際に設置されたダイニングテーブルに、朝食の用意がされている。調理も配膳も、ジルベスターが直接雇用した使用人らが用意してくれたものだ。ここでの生活は、使用人らのおかげで存分に仕事に集中することができる。ミリアが家事をするのは仕事の休みの日に、使用人に交じっておしゃべりしながら手伝う程度であった。
テーブルの中央に数種のバケットが入ったバスケットが置かれ、それぞれの目の前には白磁のお皿にソーセージ、マッシュポテト、人参の酢漬け、クレソンのサラダのワンプレートデッシュ。そしてエッグスタンドにちょこんと乗った半熟卵と新鮮なミルクが並ぶ。
いつも前日の残り物を食べていたミリアには贅沢すぎる朝食なのだが、ジルベスター曰く、庶民的なメニューなのだとか。
「ジル、昨夜も遅かったの? 無理して私に合わせて起きなくても大丈夫よ」
「無理はしていない。ミリアと朝食を摂ることが何より私の活力となる」
ジルベスターは時々、真顔でこのようなことを言う。ミリアとしては少々恥ずかしい気もしないでもないのだが、最近になって少し慣れてきた。
「……それはよかったわ。もしお疲れなら疲労回復をかけましょうか?」
「いや、まだ大丈夫だ」
「そう。いつでも言ってね」
「ああ、ありがとう」
二人が一緒に暮らすようになってから一カ月が経とうとしている。
今ではミリアは診療所だけでなく、ジルベスター専属の治癒士として彼の健康も気遣うようになっていた。
「ところでミリア、近々私は王都へ赴かなければならなくなった。ミリアも一緒に行かないか? いい機会でもあるしブルックナー夫妻に挨拶をしておきたい」
「ドリトン先生と奥様に?」
「ああ、君の両親のような存在だろう? 私たちは正式な結婚こそできないが離れるつもりはないんだ。きちんと挨拶は必要だろう」
ミリアはジルベスターのこういう誠実で律儀なところも好きだ。自分は大切にされていると感じられる。
「ありがとう。でも、そうなると……私もジルのご両親にご挨拶しないと……」
「それは……折を見て紹介しよう」
「そうね、いつかお会いできたら嬉しいわ」
ジルベスターの両親は現在、王都郊外の自然豊かな別邸で暮らしている。ここヴェルサス領から離れているとはいえ、ミリアという存在は知られているかもしれない。
国王の甥という高貴な血筋、辺境伯という高い地位にある息子の選んだ女性が平民では吊り合いが取れない。そんな彼の両親に紹介など現実的ではないし、それどころか反対され、別れさせられる未来さえ予想がついた。認めてもらおうなど都合のいい期待はしていないが、望まない結果に陥ることだけは避けたかった。
「予定では来月の初めにここを出発し、片道五日間、王都での滞在は一週間くらいだと思っていて欲しい」
「分かったわ。フェルナンド先生に相談してみるわね」
「いい機会だ。ついでに行ったことのない景勝地の観光をしよう。長めに休みをもらうといい」
「本当⁉ 楽しみにしてるわ!」
診療所の医師で、ミリアの上司でもあるフェルナンドとは年に一度は王都へ帰るための休暇がもらえる約束をしている。ミリアが不在の間は、フェルナンドの親が経営する病院に勤める治癒士が臨時で来てくれる話がついている。
フェルナンドと共同で診療所を開院してから十一カ月が経ち、そろそろ休暇を取る頃合いでもあった。
朝食を終えると、二人は身支度を整えて同時に出勤する。ミリアは紺色のワンピースに白いエプロン、黒縁のメガネをかけて頬にそばかすを描いた。
ジルベスターの寝ぐせはさすがに直されているが、領主としての貴族らしい服装は領主城で着替えるので、今はラフな服装である。
「ジル、行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる。ファイ、ミリアのことを頼んだぞ」
「はい、お任せくださいませ!」
玄関先にはそれぞれが乗る馬車が並び、ジルベスターが先に乗り込むのをミリアたちが見送る。
ジルベスターが『ファイ』と呼んだのはミリアに付けられた侍女兼護衛で、ブラウンのおかっぱ髪に、太い眉毛が特徴の元気な女の子だ。年齢は不詳だが、幼い顔立ちで十六歳くらいに見える。
彼女は元々暗部に所属し諜報活動をしていた。多少武術の心得があるのはもちろんだが、それよりもミリアの護衛に選ばれた理由として重要だったのは闇魔法の使い手であることだった。ミリアにもしものことがあった場合、敵と戦うことよりも、逃げ切ることを優先した人選である。
ジルベスターを乗せた馬車が門扉を抜けると、ミリアとファイも馬車に乗り込み、マリーゴールド診療所へと向かうのだった。
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