第39話

 ジルベスターに連れられて入った店は、魚介が美味しいと評判の店だった。

店舗の二階、窓際の席からは領都の中心を流れる水路が見え、川沿いや橋の欄干、ゴンドラの船首に吊るされたランタンが水面に映り、幻想的な景色を作り出していた。


「綺麗…」


「喜んでもらえてよかった。

一度来てみたいと思っていたんだが、クリスとじゃ味気ないだろ?」


周囲を見渡すと夫婦や恋人同士などカップルが多く、確かに男性だけでは入りづらい雰囲気だった。


テーブルの上にはぶつ切りの魚や海老、イカ、貝をピリ辛ソースで炒めたものが大皿で山盛りに出される。


メニューはこれと野菜スティックとパンだけで、どのテーブルも同じメニューが出されていた。

海老や貝は殻が付いたままで、指を使っても洗えるようにフィンガーボールも用意されていた。


景色は綺麗で、店は庶民的で安くて早くて旨い。さすが人気店だけあって多くの客で賑わっていた。


「閣下もこのような店に来られるのですね」


木のコップで出されたエールをぐいっと煽り、ぷはっと息を吐くジルベスター。普段の王子様のような彼とは違い、どこか親しみの湧く彼の姿にこんな一面があったのかとミリアは驚いた。


「こんな旨くて、眺めもよくて、楽しい店、平民だけ楽しむなんて勿体ない」


「貴族は貴族のお店も平民のお店もどちらも楽しめるんですね。それだけは羨ましく思います」


「では、貴族に戻してあげるよ。手段ならいくらでもある」


ジルベスターの口調は冗談ぽいのに表情は真面目だ。

どこかで似たような会話をしたことがあったなとミリアは思った。

油断したら本当に貴族に戻されそうなので断固拒否をしておく。


「勘弁して下さい」


隠そうともせず嫌そうな顔をするミリア。そんな彼女を見てジルベスターは楽しそうに笑った。


「ミリア、私は君が好きだ。

君とこうしてとりとめのない会話をしながら過ごす時間がとても愛おしいと思っている。

しかし私は平民の君と結婚することができないし、君も貴族の私と結婚するつもりはないだろう。

私は誰とも結婚しないことを約束しよう。だから結婚という形に囚われず、ずっと私の側にいてくれないだろうか」


結婚はしてやれないがずっと側にいて欲しい──このような言葉を聞くと責任も取らずに一人の女性の人生を拘束する卑怯な男に聞こえるが、ミリアはジルベスターの精一杯の誠意を感じた。


ミリアに合わせて平民の格好をして、ミリアでも気兼ねなく入れる庶民的な店選び。

「結婚しよう」などと無責任に甘い言葉は口にせず最初から「結婚できない」と正直だ。

どこまで守り続けてくれるのか分からないが、ミリアのことをただの愛人にしない証明として誰とも結婚しないと約束してくれた。

それに何より、ジルベスターがミリアのことを心から求めているのが一番よく分かった。


───嬉しい。私もこの人と一緒に歩んで行きたい。この人が治癒魔法を必要としたとき、それをするのが私でありたい。


ミリアはそう思った。

しかし一つだけどうしても気になることがある。爵位のある貴族が誰とも結婚をしないとなると、後継者をどうするつもりなのか。


「閣下。閣下は次代へ継承していかなければならないものがあります。その責任はどうなさるつもりでしょうか」


「私に後継ぎが生まれればそれに越したことはないのだが、子供が生まれなかった場合や女児しか生まれなかった場合など、ここ辺境領は王家の血を引く者から領主が選ばれるようになっている。

今私が死んだとしても別の王族が辺境伯となるだけだから憂いは何もないよ」


そうジルベスターは何でもないように言った。


それでも不安はいろいろある。辺境伯という立場の人が結婚をせずに平民と付き合い続けるなんて許されるのだろうか。いつの日か自分の存在がジルベスターにとって障害になるのではないか。

そんなことを考えてしまう。


しかし今のミリアはジルベスターの気持ちに応えたい。そして自分の気持ちに正直にありたい。そんな思いが勝ってしまった。


「私も、閣下をお慕いしています。

閣下が治癒魔法を必要としたとき、他の誰かにそれを任せたくありません。貴方の側で貴方のために治癒魔法をかけるのが私であり続けたいと思います」


「………」


「閣下?」


「これは夢か」


「ふふ、現実です」


「断られると思った…」


「全ての貴族が横暴で強欲だと思っていたときがありました。

しかしそんな貴族ばかりではないと教えてくれたのは閣下です」


「はは、生きててよかった」


「大袈裟です」


それからジルベスターは終始ご機嫌で、食事を終えた後は二人で領都の夜の街を散策した。

もちろん、ジルベスターの闇魔法を使いながら二人手を繋いで。




 二人の付き合いは順調だった。ジルベスターは週に一、二度、ミリアの仕事終わりの時間に合わせて診療所へ赴く。

ジルベスターの目的はミリアであったが、一応フェルナンドが簡単な診察をして、その後にミリアが疲労回復をかける。


わざわざ疲労回復を診察料を払って診療所でやる必要はなく、二人で会っているときにかけてあげるとミリアは言ったのだか、ジルベスターは「サービスにはそれなりの対価を支払うべきである」と言ってそれを断わった。


そして疲労回復の後は片付けがあるためにジルベスターには待合室で少しだけ待ってもらう。


ミリアはデートのために片付けをフェルナンドとユリアに任せてしまうようなことはしなかった。

相手が領主様だからと言って特別扱いをしないのがミリアである。フェルナンドとユリアは「後はやっておくから」と言ってくれたが、その言葉に甘えたのは最初の一回だけだった。


業務が全て終わった後は、デートへ出かけることもあれば、ミリアの部屋へ上がり二人でのんびり過ごすこともあった。


ミリアの部屋で過ごす時は、ジルベスターは高級ワインと下町の屋台で買った庶民の料理を手土産に持ってやって来るのが定番だった。


ジルベスターは庶民の料理も好きで、見たことのない料理を見ると好奇心でよく買ってきた。

美味しいものばかりならそれでよかったのだが、ゴムのような食感でなかなか噛み切れないものや、臭みが強く食べられないものなど失敗も多く、その失敗も含めてミリアとジルベスターはヴェルサスの下町料理を楽しんでいた。


ジルベスターの手土産のワインと屋台料理、そしてミリアの簡単な手料理を食べながらその日あったことを話す。


たったそれだけの、特別なことは何もない普通の平民のカップルのような付き合いだった。


そんな付き合いに馴れてくると、ジルベスターはミリアに自分のことを「ジル」と呼ばせるようになっていた。

領主でも辺境伯でもない、ただの一人の男としてミリアの側に居続けたかったからだ。


付き合い始めて半年経つと、ミリアの部屋へ着替えや歯ブラシを置くようになり、泊まって行くこともしばしばだった。因みにベッドは大きなものへ買い換えた。というよりジルベスターが勝手に買い換えた。


おかげで庶民の一人暮らし用の寝室へふかふかの高級ベッドが鎮座することになった。

当然寝室はベッドだけでいっぱいになってしまい、扉が半分しか開かなくなってしまった。

ジルベスターはもっと広いところへ引っ越さないかと提案したが、ミリアはこのままでいいとジルベスターの申し出を断わった。



 深い仲になって分かるのは、今まで見えていなかったお互いの性格だった。


ミリアは大雑把で細かいことは気にしない。こうと決めたら譲らない頑固なところがあった。


そしてジルベスターの性格はおおらかで柔軟、意外にだらしないところがあった。寝癖が付いていても気にしなかったり、お腹を出したまま寝ていたりする。大きな子供みたいだと思いながらミリアが直してやるのもしばしばだった。


 幸せで平和な日々を過ごしていたある日のことだった。


ジルベスターは地方視察のため、二週間ほど領都を離れなければならなくなった。

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