第5話

「ちょっと、まっとって」と桜子が部屋を出ていって、夏音は静かに息を吐き出した。

部屋をくるりと見回す。

桜子が出ていった反対側に、ミナカが座る机があり、椅子に座ったままミナカが椅子を揺らしていた。

さらに右側に顔を向けると、エリカが眉間にシワを寄せていた。


(どうしようかな)


エリカが機嫌が悪いままでも、夏音には影響はない。

しかし桜子がいなくなった部屋で、沈黙を重ねていくのは気まずい。

夏音はおずおずと口を開いた。


「すみれさんって、そんなに凄い人だったの?」


選ぶ話題はこれしかない。

桜子の姉であるすみれの話。桜子と友達になってから、姉妹の影を感じることはあった。

その疑問もさっきの会話で消えている。

夏音の言葉に一番表情を変えたのはエリカだ。


「そりゃ、そうよ!」


両手を握って振り回す。大人っぽい容姿と反対の子供らしい仕草。

どれだけ好きなんだか。

ミナカも同じように思ったのか、苦笑しながら口を開いた。


「アレの能力は強力だったもの」


夏音はミナカの言葉に首を傾げた。


「強力っていうのは?」


夏音すれば、桜子の力さえも強力だ。

普通ではありえない能力。

夏音の言葉にミナカは一度顎を引くと指をパチンと鳴らした。

机の上に置いてあった様々な文房具が一斉に宙に浮く。

まるで糸で釣ったような状態で、上がり下がりがを繰り返す。


「例えば、私のはこういう奴」

「動かす力ですか?」


見た目と合わさって迫力満天だ。

夏音の言葉にミナカは口の端を少し緩めた。

あわせたように文房具も机の上に戻る。


「そうね、こんなこともできるけど」

「わっ」


足元の床がそのまま持ち上がった。

しなし夏音が足元を見ても何もない。

浮いている。足を動かしても空を切る。だけど沈むことはない。

それはまさに未知の感覚だった。


「ちょっ、ちょっ……落とさないでくださいよ」

「そんなヘマしないー」


夏音の言葉にミナカが唇を尖らせる。

お手玉のように上下に動かされる。

絶叫マシンよりよほど怖い。

動きも未知、原理も不明。そんなものに命を預ける輩はいないだろう。


「桜子のは知ってるでしょ?」

「……中身だけは?」


そのままミナカが満足するまで遊ばれた。

最後は優しく下ろしてもらったが、まだ足元が浮ついている。

世界が揺れていた。

酔いそうになるのを堪え、ミナカに答える。


「あ、そっか。読めないんだもんね」


キョトンとし顔をしたミナカが、ぽんと上を向けた手のひらに右の拳を落とした。

そう、だからこそ、今日ここに来たのだが。

その心配は先程の検査で払拭された。


「エリカも見せてあげたら?」


顔を俯かせていた夏音の耳にミナカの声が飛び込む。

エリカは小さく首を横に振った。


「アタシのは、分かりやすい奴じゃないんで」

「いいから」


ミナカの言葉にエリカの眉間に再びシワが寄る。


「はぁ、強情……アン」


小さくつぶやいたあと、何やら夏音の知らない言葉を呟いた。

ぶわっとエリカの方に衣類が動く。

夏音は髪を抑えた。風に煽られて目に髪が入る。


「か、風ですか?」

「そう。使い勝手は良いのよ?」

「エリカは器用だから。風をうまく使うの」


ミナカが言い終わったくらいで風がピタリと止む。

あれほど吹き荒れていたものが一瞬でなくなった。


「どう思う?」

「え、凄いなって」

「わたしたちの能力は、使えば目に見えるでしょ?」


何を言いたいのかわからない。

夏音にすれば全部すごい力だ。

夏音はミナカに首を傾げた。


「確かに?」


夏音の様子にミナカも苦笑した。

揺らしていた椅子を止め、正面に向く。


「だけど、すみれのは見えないの」

「見えない?」

「すみれは、目をあわせて力を使うだけで、記憶とか感情を消せるの」


は、と勝手に口から吐息が漏れた。

記憶や感情を消せる。

ミナカやエリカとは、また違う。物理ではなく精神的なもの

姉妹だからなのか、桜子の能力とは似ている気はした。


「それって……ヤバくないですか?」


考えるまでもなく、恐ろしいことだ。

ミナカも苦笑を消して頷く。


「ヤバいよ」


対照的だったのはエリカの反応だ。


「すみれさんは、能力も底なしだったのよ!」


目をキラキラとさせて、さらに恐ろしいことを告げる。

桜子の言っていた通り、エリカはすみれのことになると盲目的になっている気はした。

底なし。底がない。つまり、いくらでもできる。


「え、永遠に人の記憶を消せるってこと……ですか?」

「理論上はね」


ミナカの言葉に夏音は身体を震わせた。


「こわ」


何を思ったか。何を感じたか。

人間はそういったものの集合体だ。

それを消されるということは、人を消しているのに近い。

何より怖いことではないだろうか。


「悪意に対しては、とっても有効なのよ」

「有効って?」


唇を尖らせたエリカが言葉をつけたした。

そう言われてと夏音にはピンとこない。

ミナカが肩肘をつきながら、ヒントをくれる。


「悪意のもとは感情だからね」

「あ、そっか」


悪意が感情ならば、感情を消せるエリカは無敵に近い。

夏音は顎の下に手をおいて確認するように呟く。


「感情がなくなれば」


バッチリとミナカと目が合う。

彼女も後をついで言葉を繋いでくれた。


「悪意もなくなるってわけ」

「アタシだったら、悪意を見えるようにして風を起こすの。でも、すみれさんだったら見るだけでいい」

「それは凄いですね」

「そうでしょ、他にも……」


一人ですみれの凄いところを話し始める。

最初こそ相槌を打っていたが、夢中な様子にそっとミナカとの距離を詰める。

エリカに気づかれないよう小声で囁いた。


「すみれさんは、悪用しなかったんですか?」

「よく気づいたわね」

「そんな便利な能力、犯罪し放題じゃないですか」


夏音は眉をひそめた。

気づかないわけがない。

何をしても消せるならば、都合の悪いことは消せば良くなってしまう。

誰だってそういう能力があったらそうなるだろう。

「んー」と間延びした声を出した後、ミナカは180度違う答えを返してきた。


「すみれってね、美少女なのよ」

「はい?」


夏音はきょとんとしてしまう。

今鏡で顔を見たら、よほども抜け面をしているに違いない。

ミナカは気にせず言葉を続ける。


「美少女で、関西弁で、物腰は柔らかいの」

「そりゃ、モテそうですね」


イメージとしては社交的な桜子だろうか。

頭の中で想像してみて、あまりしっくりこなかった。


「そう、モテるの。モテるってことは、悪感情も集めやすくてね」

「あー、僻みですか」


想像しやすい。

桜子だって表に出たら嫉妬を買いやすそうな女の子だ。


「そんなんだから、うまく生きるために使ってたみたい……たまにオイタもしたけどね」


ミナカが肩をすくめる。

うまく使う。自分に向けられる悪意をコントロールしていたということか。

聞くほど桜子とは正反対の人物だ。

夏音も肩をすくめてみせた。


「桜子ちゃんにも、その器用さがあれば」

「本当ね」


ミナカが頷いた。

桜子の姉。その存在が、少しハッキリしてきた。



夏音を見送りながら、桜子はため息を噛み殺した。

どうにも姉のことを思いだすと気分が暗くなる。

胸の奥に黒い渦が巻き、ぐるぐると同じ場所から動けなくされるようだ。

それを振り切るように桜子は持ってきたキーホルダーをぎゅっと握りしめる。


「つまらん話して悪かったわ」


まずは謝罪を。すみれの話をこれほどするとは、桜子自身思っていなかった。

勝手に早くなっていく心音を無視して、小さく頭を下げた。


「ううん、面白かったよ」


夏音はふんわり笑う。

その顔にほっとした。握りしめていた手の力を少し緩め、夏音の前に差し出す。


「これ、お詫びも兼ねて」

「ハーバリウムのキーホルダー?」


夏音が桜子の手からその二つをとり、目の前にかざす。

ハーバリウムとは言え、中に使われている植物は違う。

赤が多いものと青が多いものの二つだ。

夏音の瞳がその二つと桜子の顔を何度も往復する。


「魔除けや。うちの使ってる奴で悪いんやけど」


その瞳から放たれるキラキラが眩しく感じ、目を逸らす。

顔が徐々に熱くなってくる。

バレてないといい。夏音の察知能力の前では無理な気もしたが、桜子はそう願った。

声だけは上ずらないように、慎重にいつも通りを期す。


「あんさんの分と、馬場さんの分や」

「え、いいの?」


夏音からの問いかけに、桜子はこくりと頷いた。


「馬場さんは実害が出てるし、あんさんは念のためやから」

「ありがとー!」


ぱあっと花が咲いたように笑う。キーホルダーをつまんでいた指先が、ハーバリウムを大切に包む。

桜子は胸のあたりがむず痒くなった。

頬を指で掻く。


「のぞみちゃんも渡しておくから」

「よろしゅう頼みます」


どうにものぞみに会いに行く気にはなれなかった。

夏音が渡してくれるならそれが一番良い。

ぺこりと再び頭を下げる。


「パパ活、止めてるといいんやけど」

「うーん、どうだろうね」


苦笑いを浮かべる夏音は、その答えを知っている気がなんとなくした。

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