バーコード

「う……く……。」

「皆大丈夫? って訊きたいところだけど、とりあえずここから出ないとね」

 チャカたちは、体にダメージを負っても精神的な動揺なく通常通りに動けるフィスタにより、車から脱出することに成功した。

 煙を上げる車から距離を取ると、フィスタは「怪我のある人いる?」と確認する。

 その後方では、チャカが銃を装填しなおしていた。

「あんたは大丈夫なの?」

「分からん、だが自分の体の心配の前に、不安材料を消しておく」

 そう言うと、チャカは銃で横転した車を撃ち始めた。

 狙いは燃料タンクのど真ん中。一撃ではわずかな凹みしかできない。

 チャカは完全に同じ場所を立て続けに当て続ける。

 やがて銃弾の凹みは穴となり、燃料タンクに銃弾が届く。

 銃弾で燃料タンクに引火し、車は炎を巻き上げながら爆発した。

「ごめんねメリー……あなたと一緒にもっと冒険したかったぁ!」

 燃え続ける車を見ながら、フィスタは涙を流してドンっと叫んだ。

「名前つけてたのかよ、てかそんな思い入れないだろ……。」

「あ……う……体が……。」

 フィスタの足元で、メンデルが体をのけ反らしてうめいていた。

「上着を脱いで」

 フィスタはメンデルのワイシャツを脱がせると、ノースリーブの白いシャツの上から手を当てた。

 頸部、背中、腰、用心深く当てると、

「大丈夫、折れてたらマズイところの骨は無事だよ。こりゃ打ち身だね」

 フィスタはメンデルの背中を軽くたたいた。

「……触っただけでですか?」

「一応、柔道整体師くらいの触診はできるよ……ルーシーちゃんは平気?」

 メンデルの側に寄り添うルーシー、フィスタがプロテクターを外すと、心配そうな表情で少女はメンデルを見ていた。

「ほら、お手て上げて万歳して」

 ルーシーの上着を脱がせると、フィスタはメンデルのように体に異常が無いか調べようとする。

「……ん?」

 フィスタはルーシーの左腕にバーコードがあるのを発見した。それを見た途端、フィスタの体が時間を止めたように動かなくなった。

 チャカが異変に気付く。

「どうしたフィスタ。……フィスタ?」

 少女の腕のバーコード型のタトゥー、それだけでも普通ではなかったが、それを見るフィスタの様子もおかしかった。驚いているというより、まるで機能が停止したようだった。

「フィス……。」

 チャカは、フィスタと初めて出会った時のことを思い出していた。

「あの……?」

 ルーシーが声をかけると、フィスタは突然意識を取り戻したようにぴくりと動いた。そしてルーシーの顔に触れると、フィスタは彼女を慈しむようにしばらく眺めていた。

「お、おい、フィスタ、その子に何かあったのか? ……おい?」

 チャカが話しかけるも反応がない。様子のおかしいフィスタは、ついに目から大粒の涙を流し始めた。

「あなたは……。」

 そしてフィスタはルーシーを抱きしめ、「ごめんなさい……。」と呟いた。

 きょとんとするルーシー、チャカもメンデルも顔を合せ、「分からないな」と首を振るばかりだった。

 フィスタはすくっと立ち上がると、メンデルに力強い足取りで迫った。あまりにも感情があらわだったので、チャカは「お、おい……。」とフィスタを止めに入ろうとする。

 フィスタはメンデルの襟を掴むと、顔を近づけて言った。

「あんた……この子たちに何したのさ?」

「え……あの……え?」

「よくもあんな真似が……!」

 フィスタが両手でメンデルの襟を交差させ、締め上げるようにして持ち上げる。

「おい、フィスタ!」

 チャカがフィスタをメンデルから引き離そうとする。

「どうしたんだ急に! らしくないぞ!?」

「信じられない……こんな子供に」フィスタが言う。

「何だと?」

「ご、誤解だ……私は……。」

 突然、フィスタたちの後方で炎を上げていた車が大きな音をたてた。それは爆発音とは違うものだった。

「まさか……。」

 炎上している車が大きく傾く。

 すると、炎の奥から人型のシルエットが現れた。

 フィスタはメンデルの襟から手を離した。メンデルが尻もちをつく。

「チャカは援護射撃をお願い」

 チャカは二丁拳銃に弾丸を装填しなおす。

 フィスタは「返してね」と、ルーシーからフェイスガードを受け取り、顔に装着した。

 フィスタの手には二対のカランビットナイフ、しかしこれでどうにかなるとは考えづらかった。

 炎の中からマステマが現れた。白いチャイナドレスは炎上し、マステマが歩くたびにボディからはだけていく。

 フィスタの頭脳は高速でマステマのデータを算出する。

 車の屋根を引き裂く手刀、車を押し返すパワー、何より車と同じ速度で走れる脚力……。

 つまりは、対人戦用のすべてのセオリーが通用しない相手だった。

 自分の体が車の屋根よりも頑丈という想定はありえない。ならば、パリング(腕や手のひらを使って相手の攻撃を弾いていなす技術)やブロッキング(腕や手のひらで攻撃を受け止める頭部、胴体を守る技術)は使えない。

 フィスタは状況を計算しオンガードポジション※で構えた。

(オンガードポジション:ジークンドーの技法。右手を前に、右足を前に出し、左拳は顎の前に置き、下げた左足はつま先がやや外を向く。攻撃重視の構えで、中長距離での格闘に向く。)

 間合いに入った刹那、ストレートリードでマステマの顔面を打つフィスタ。鋭い音が響いた。

 たかが人間の拳での攻撃、避ける必要もないと判断したマステマは異変に気づく。

 フィスタの手に装着されているプロテクターは強化プラスティック製であり、またフィスタの完全なボディコントロールを使用した体術から繰り出される一撃も相まって、マステマの想定していた以上の衝撃が頭部に走っていた。

 さらに意識を散らした上での、フィスタはマステマの脛への爪先蹴りを打つ。蹴るとすぐに体勢を戻し、反撃を受けない距離を取るフィスタ。

 マステマが手刀を突き出して攻撃してくるが、フィスタはそれをスウェーバックでかわした。

 自分の攻撃を受けられないフィスタにはこのままゴリ押しで封じ込められる、そう判断したマステマは連続して攻撃を繰り出そうとする。

 しかし、そんなマステマの膝関節を弾丸がとらえた。

 マステマの斜め後ろに立っているチャカが、足を行動不能にしようと再び膝を狙って攻撃していた。

 マステマはチャカの方が厄介だと判断し、フィスタを無視してチャカの方へ向かう。

「よそ見してんなよ!」

 フィスタはマステマの後頭部へ飛び蹴りを見舞う。蹴りが当たり、がきりと鈍い音がするが、それでもマステマはチャカの方へ向かう。

「カッチーンっ、あたし自分にスポットライトが当たってないと気が済まないたちなんだよねっ」

 フィスタは背後からカランビットナイフでマステマを攻撃する。狙いは首の接続部にある、ワイヤー状の部品。そこを切断すれば行動に制限がかかるはず。

 しかし、襲い掛かった瞬間、フィスタの腹部に尋常では無い衝撃が走った。

「ぐぶっ!?」

 マステマの真後ろに伸ばした脚部での攻撃。人間では可動不能な、もしくは出来たとしても威力などでない状態からの蹴り技だった。だが、相手はそもそも生物ですらなかった。

 マステマの足がフィスタの腹部にめり込み動けなくなった。ダメージのショックというよりも、怪我の状況を分析し終わるまで次の行動に制限がかかるため、痛みを恐れないフィスタでもその場にうずくまらざるをえなかった。

「か……は……。」

「フィスタ! ……くそっ」

 チャカはマステマに向けて発砲する。

 狙いは変わらず脚部、燃料タンクを引火させたようにチャカは正確にマステマの膝関節の同じところを狙撃し続ける。

 すると、目の前でマステマが消えた。

「なっ!?」

「……チャカ、上だょ……。」

 フィスタに言われ、直感で身をかわすチャカ。

 間一髪で避けたが、背中に深い切り傷を負った。

「く……そ……。」

 やはり機械だった。まったく溜めのない動作からの異常な跳躍。目の前で動かれては反応が出来ない。

 致命的な攻撃を避けたとはいえ、背中に痛烈な一撃を喰らっていた。動けなくなっているチャカの前に、一歩一歩マステマが近づいてくる。

「こ……の……。」

 しかし、その手前でマステマの動きが止まった。

「ひ……ひぃ!」

 メンデルがルーシーを連れて逃げようとしていた。

「お、おい……おっさん!」

 だが、マステマは一瞬でメンデルに追いつき、左のアームで後襟をつかむと、右の手刀を掲げた。

『貴方に関しては……生かせとも言われてないの。余計なお荷物だから、ここで下ろすわね』

 マステマはメンデルに手刀を突き立てる。

 しかし、メンデルは体をよじって寸前でそれをかわした。

『ふんっ』

 マステマはメンデルを後方に投げ捨てた。砂ぼこりを上げながらメンデルが転がっていく。

「が……ぶ……。」

 マステマはルーシーの目の前に立つ。

「ルーシー……逃げるんだ」

 マステマは首を傾けてルーシーを見る。

『逃げても無駄なことは子供でも分かるでしょ、お嬢ちゃん? 下手に逃げると、あのおじさんみたいなっちゃうわよ。子供の体だからうっかり壊しちゃうかも』

 ルーシーに迫るマステマ、少女は目いっぱいに涙をためて立ち尽くしていた。

『人間の大人だったら、その涙で精神状態がちょっとは左右されるかもしれないけれど、おねえさんには効かないのよ。だからおねえさんの言うことを大人しく聞くことね。それとも、私があなたにどれくらいのことをできるか教えてあげたら、もっと大人しくなるのかしら?』

 マステマは鋼鉄の鋭い爪のある手でルーシーの顔をなぞり、涙を指ですくった。

「提案がありまーす」

 フィスタが手を上げる。

「もう依頼人も殺されちゃいそうだし、その子は連れて行かれるみたいだから、あたしたちはこれでイーブンの恨みっこなしってことで解散にしませんか?」

「フィスタ、お前、何を……。」

 倒れているチャカが言う。

「だって仕方ないでしょ? もうこうなったらあたしたちの負けだよ? だったら、命だけでも助けてもらわないとっ」

『彼女の言う通りだわ。もう貴方たちの負け。これ以上争っても無意味よね。でも許す分けねぇだろこのスベタが』

「ちょっと待ってよ! そもそも、あたしたちはあんたがこの件に絡んでるなんて知らなかったんだからさ、勘弁してよぉ!」

『知らなかった? 何も知らないのよ貴方は。私の子供たちを殺したこともちっぽけなぶよぶよした肉塊が私に歯向かう意味もきっと人生を生きる意味だって知らないし自分がどんな死に様さらすかさえ知らない! このままここで惨めったらしくくたばりやがれこの売女がぁ!』

「おうおうおう、交渉決裂だね。そんじゃあ……これでもくらえ!」

 フィスタは石を拾って投げた。石はマステマの頭部に当たったが、あまりにも弱々しい音が響くだけだった。

「もういっちょ!」

 再びフィスタは石を拾って投げた……かのように見えた。

『アァ!?』

 マステマの顔面が黄色く染まった。フィスタが投げたのは、拾うふりをして隠しておいた、昼間に市場で買った卵だった。マステマは同じ程度の衝撃しかないと予測し投擲物を避けることをしなかったので、もろに卵の中身を頭部に被ることになった。

『ア……ア……。』

 マステマの剥き出しのサーチアイ、また器用に物を拭うことに適さない、剥き出しの骨のような手先の構造を見越しての攻撃だった。

「よくもスベタだの売女だの言ってくれたねぇ! 夫以外男は知らないってぇのに!」

 フィスタはジャケットの懐から縄鏢※を取り出す。

(縄鏢:中国の武器。棒状の手裏剣に3~5mの縄がついている。鏢を投げたり、遠心力をつけた鏢で攻撃したり、縄の部分で相手を絡めたりする)

 そして縄鏢を振り回して勢いをつけると、薙ぐようにしてマステマの脚部に縄を当てた。

 先端の棒が遠心力でマステマの両脚の周りを回転し、縄が脚部に巻き付いた。

『ア……ア……ア……。』

 視界を塞がれて状況が分からないマステマは、突然の脚部の不具合に混乱しながらうつぶせに倒れた。

「チャカ! 今だよ!」

 フィスタが再びマステマの頭部に卵を投げつける。

「お、おう……!」

 チャカは銃を構える。狙いはマステマの脚部。両膝を今のうちに破壊してしまえば、まずこのヒューマノイドは自分たちを追ってこれない。

 一発、二発とマステマの足関節に銃弾が当たる。その度に火花が散っていた。

『ウ……ア……。』

 止まらないチャカの銃撃。マステマの足の関節のジョイントが歪み始めていた。

「よっしゃあ、いけそうじゃん?」

 マステマを追い詰めていたと思っていた二人だった。しかし、マステマは急に地面の上で体を転がし始めた。

「何だ? 狙いを外そうってのか? だが無駄な努力だぜっ」

 弾が切れたのでチャカは弾倉に弾丸を補充しようとする。

「ん?」

 二人は異変に気付いた。マステマが炎上する車に向かって地面の上を転がっていっていた。

「なに?」

 そして、マステマは転がりながら炎の中に身を投じていった。

「もしかして壊れておかしくなっちゃった?」

「どうなんだろうな……。」

 炎の中でもがくマステマ、しかしその姿は何か不吉なものを感じさせた。

「……あ」

 フィスタは気づいた。

 のたうち回るように転がっていた炎の中のシルエットは、やがて立ち姿になった。

「やっべぇ……。」

 炎の中からマステマが出てきた。顔の卵も足の縄も消えていた。マステマは炎の熱でそれらを焼き落としていた。

「今度こそ本当の降参ってのはあり?」

 と、フィスタが訊く。

「無理だろ……。」

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