パメラ・エウリカの永劫
うめくらげさん
プロローグ 不幸せな幸せ
「――さて。覚悟はいいかしら」
黒き少女は舌なめずりを交え、幼い見た目にそぐわない妖艶な微笑みを浮かべる。
「パメラ……と言ったかしら。貴女たちは数多いる人間の中で一番マシではあったわ。あくまで、このあたしに三手も使わせて全滅しなかった、という意味でね」
そんな称賛にも値しない言葉を、パメラは床に這いつくばりながら聞いていた。
風前の灯火という表現が全く良く似合う様子で。
酸化が始まった赤黒い視界の向こう、たったひとりの魔族たる黒き少女が立っていて、自分の背丈ほどもある長大な鎌を携えている。そいつは真性で、魔王に連なる眷属の一員なのだそうだ。
(こんな……差が、あるもの……?)
仲間は五人いた。パメラを含め、六人のパーティ。
不意の遭遇戦だった。
突如現れた少女によって、まず前衛に立つ戦士ニコライが鎌で刺し貫かれ、その一撃で絶命した。
浮足立ったパーティの中衛、槍使いのジンと弓使いのアンヌは一瞬にして灰にされ、パメラを含む残り三人は魂さえ凍えるような吹雪の魔法に晒された。
それでも一矢報いようとした瞬間、吹雪からの派生だろうか。床からせり上がってきた円錐の氷柱が司祭のライカと魔法使いのナターシャを串刺しにした。氷柱はパメラにも向けられていて、無理くりに身体を捻り回避しようとしたものの、辛うじて即死を免れただけだった。鋭利な切っ先によって脇腹を食い破られ、無防備に頭から落下、着地に失敗。
短時間、意識が飛んでいたものと思われるが、気が付けば、パメラは仁王立ちする黒き少女と仲間五人の死体に囲まれていた。
「みんな……」
それなりに名が売れて、それなりに実績があって。
でも、気ままにその日暮らしをする素敵な仲間たちだった。
ライカとナターシャは一ヵ月前、大樹の巫女様の前で挙式を上げたところだった。
それを受けて、煮え切らないジンとアンヌの関係を冷やかすのが日課だった。
ニコライは同郷の幼馴染で、そんな様子をにこにこと柔和に眺めているお父さんのような存在だった。
そんな、みんなを――
「お前、は……ッ!」
起き上がろうとして、下半身が追い付かないことを知った。
もはや存在しないものと思ったが、そうではなかった。脇腹の深手からだくだくと流れ出る血のせいだった。脳の命令が足にまで行き届かない。
でも、もう。
そんなのは、些末なこと。
「オマエェアアアァァァァァァァァァァァ――ッ!」
残った最後の力で、というべきか。
紅蓮の炎を解き放つ。
だが、オレンジ色をした渾身の炎熱の帯は黒き少女の横顔と髪をチリチリと掠め、彼方へと飛び去って行くに留まった。
その魔法が直撃していれば、また結果が異なったのかもしれないが――
それでも、それは当たらなかったのだ。
だから、それまでの話。
「面白いわ」
たった、その一言。
黒き少女は妖艶な笑みの上に壮絶に映るものを交ぜ、呟く。
それは、ただの感想というには感じ入るものがあり、興味というにはやや軽薄で。
「……ッ!」
パメラの喉に小さな手が差し込まれ、次の瞬間、信じられない力で持ち上げられた。彼女の指先が皮膚を破り、肉に食い込む。
痛みなど、とうに感じなくなっていたが、視界が明滅して、徐々に暗さを帯びていく。
「パメラ・エウリカ――勇者フルブライトの末裔たる者よ。楽しかったわ」
などと言われて。
(あぁ……)
自分が普通だったなら。
普通の町娘の人生だったなら。
みんなはこんなにも無惨な最期を迎えずに済んだのだろうか。
みんな、私に巻き込まれたようなものだ。私の、勇者の末裔という肩書きに。
私を受け入れてくれた、素敵な人たちだったのに。
「あたしの名は、リリィ・ベルゼビュート。かつて、フルブライトが討ち倒した暴食を司る原初の魔王ベルゼブブの娘。覚えておいてね? 無駄かもしれないけれど」
「……う、が……ひゅ……」
声にならない呻きが、空気となって喉から漏れた。
「では、さようなら」
さようなら。
別れを告げるその五文字に、眠りかけた脳が加速する。
いとも簡単に、そんなにも容易く吐き捨てられたそれに、視界が沸騰した。
覚えておいて、だと。
言われずとも、忘れてなどやるものか。
許さない。ニコライを。
許さない。ライカを。
許さない。ナターシャを。
許さない。ジンを。
許さない。アンヌを。
みんなを――
みんなを、こんなにも惨たらしい死に追いやった貴様だけは殺す。
絶対に、殺す。
間違いなく、殺してやる。
どれだけ時を重ねても、世界の最果てまで、きっと追い詰めてやる。
「――またいつか、お会いしましょ」
喉は何らかの果実のように握り潰されて――
とうとう迎えた終焉。
残るは、無。
つまりは、何も残らないこと。何も残らないことが残るということ。
こうして、勇者の末裔パメラ・エウリカは十六年という短い生涯を閉じることとなった。
◆◇◆◇◆
星暦百九十五年三月。
セントヘレナ大陸、その北部。
薄く延ばされた雲に覆われて大陸終端まで続くレジーン山脈と、隣の大陸との間に横たわるイリア・ウロボロス海に囲まれた街。
改めて、その街並み、この大通りの景観に感嘆の溜め息が出そう。
アーチを描く赤煉瓦の屋根で統一された白塗りの家が立ち並び、その全てに例外なく花窓があって華やかさを演出していた。緩やかにカーブを描く石畳の街路は赤煉瓦の隙間から覗く、この街のシンボル、時計塔に続いている。
この時代、最も人間社会が栄えたとされる城郭都市エウリュメテス――
「えぇと……?」
それは、呟きではあった。
誰に対してのものでもない。意味すらあったのかどうかも不明だ。
独り言の癖は、まあ、無いと言えば嘘になるだろうが、過度のものではないと自覚はしている。何もかもが懐かしい感覚だった。見ること。声にすること。手を動かすこと。瞬きすること。考えてみること。今、この街角に立っていること――
それら全てをまとめた『生きる』という行為自体が、ひどく懐かしい。と感じた。
そんなことを、懐かしいだなんて感じることがあるのだろうか。
なんて。
パメラ・エウリカはそれをどこか俯瞰的なところから見ていた。
そんな、ちぐはぐな感覚を。
「――パメラ?」
可愛らしい声に、往来を振り返る。
黒のエプロンドレスに、ブロンドの髪を飾る白のヘッドドレスがとても愛らしい少女がいた。
彼女の名は、リリィ・ベルゼビュート。
とある成り行きで今はパーティを組んでいるパメラの仲間だ。
「どうしたの? 急に道のど真ん中でぼーっと」
人の邪魔になるよーと、のんびりした口調。
「いや。なんか、変な、夢が……?」
「ふぅん。歩いてる最中に寝惚けるなんてさすがパメラ」
さして関心を示してもらえず、気のない返事のリリィを見て、どうしてか心の奥が締め付けられた。
つう――っと。
意識せず、自然と零れ出た涙が自分の両の頬を伝ったのが分かる。
「な、なに。泣くようなこと。ちょっと……」
目を見開いて、さすがに狼狽えるリリィ。
奇妙な夢だった。
自分とこの少女が殺し合っていただなんて。
しかも、あんなにも激しく憎悪を抱いて。
何をさておいてもあり得ないだろう。なんで、どうして、あんな夢――
「もう! そっけないじゃないのさ、リリィ」
手の甲で強引に涙を拭い、一足飛びで彼女に飛び付いて力の限り抱き締める。これがパメラの至福の瞬間。この娘。小柄なくせして肉付きはいいので、ふかふかなのがとても気持ちいい。
あと、程良く甘くていい匂いがするのだ。
「えぇい、鬱陶しい。往来の邪魔って言ってんじゃん」
「えぇー」
「まったく。離れてってば。暑い」
かつて、世界に光をもたらした光の勇者フルブライト。
その末裔と称されるパメラ・エウリカは、幼馴染みの親友リリィ・ベルゼビュートと共に悠々自適の冒険者生活を送っていた。
「ケチ。私は寒い。まだ三月だよ」
「知らないから」
一番嫌なのは。
己の大切な人にとって、自身がその程度の扱いだという温度差を思い知る瞬間。
無償の愛などどこにも存在せず、優しさと気遣いは偏在し、自身には向けられていないと知った時。
壊れた心は同じ重さを求め、世界はめぐる――
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