track #39 - The Post

⚠ 過去に被害にあった人が登場します。そのものの描写はありませんが想起させてしまう可能性があります。ご注意ください。


◆◆◆


 幸せなクリスマスを過ごし、年が変わる間際に懐かしい人から連絡が来た。

その人は週刊誌の編集長で、アタシが注目のシンガーとして名前が広まり始めた頃、その雑誌で3か月の短い連載をしていたのは、彼女がアタシの作品や発言に共感してくれたのがきっかけだった。

働く女性など多様性を重視した内容の雑誌で、アタシのように執筆するイメージがないが、いわゆる“意識高い系”の有名人などが短い連載をしたりと面白い試みもあった。雑誌の特性と自分の考え方とが共通する部分も多く、その連載を楽しんでいた。

当時の編集長、浜野は今はフリーランスのジャーナリストとなっていた。

アタシよりも一回り以上年上の彼女の書く記事は、女性活躍・ジェンダー問題などなかなか改善されない社会問題を多く扱っていて、見かけるたびに興味深く読んではいたが話をするのは数年ぶりだった。

「どうしたんですか、急に。驚いたぁ」

電話に出たアタシが懐かしさに声を弾ませると

『突然ごめんね、ちょっと耳に入れておいた方がいいかなって思って……』

と、アタシとは反対に重い声色で答えたので、パスタを茹でるためにお湯をわかしていたがそれを辞めて、イスに腰かけた。

『小野瀬 直樹くんと付き合ってるよね、知ってるの』

浜野は話し始めた。ジャーナリストのつながりで、アタシ達が交際をしてニューヨークで一緒に暮らしているという情報は少し前から耳にしていたという。現在は一般人となって何の活動もしていない小野瀬のことをメディアには載せられずにいるが、情報だけは回っていたようだ。

Kashykキャッシークのスキャンダルがね、今週でるのよ……』

Kashyk Entertainmentキャッシーク エンターテイメントという小野瀬が子供の頃から所属していた事務所のことだが、彼女の様子は重々しくてなかなか話がすすまない。

Kashykキャッシーク? 小野瀬くんはもう関係ないし」

と、アタシがせかすように言うと

『関係ないといいけど……でもきっと……そっちに取材にいく人もいると思うんだ……』

なかなか彼女は確信に触れずに言い淀んでいる様子を察するに、たいそうなスキャンダルなのだと心構えをした。

 浜野は言葉を選びながらゆっくり語りだした。

今週発売されるとある雑誌に、数年前までKashykキャッシークに所属していた人物が在籍中に性的被害ににあったと顔を出し、本名を名乗り、告発するというのだ。加害者はKashykキャッシークのタレント養成所で長年演技の指導している男性だという。

話はどんどんセンシティブなことになっていく。アタシは「うん、うん」と小さく相槌を打つだけで、呆然と浜野の話を聴いていた。

 その講師は事務所内で社長の次のポジションにいて絶大な権力をもっている人物だそうだ。創設者で社長である元アイドルの勝矢が最終的にレッスンに来ている子供達の中から誰をデビューさせるかは決めるのだが、勝矢は事務所が繁盛するように営業など政治的な部分に尽力しているので、養成所にはほとんど関わっていない。

実質、ナンバー2である演技の講師がデビュー候補を選び出し勝矢に助言する。先生に気にいられるかどうかで、未来のスターになれるかが決まると言っても過言ではない。そんな権力勾配の中で悲劇は起きた。

 そんなあってはならないことがKashykキャッシーク創設以来ずっと続く───ある種の伝統なのだと、告発者は語っているそうだ。

Kashykキャッシークに関するその手のウワサは昔からあったが、証拠もなければ告発者もいないので、ウワサにすぎないとマスコミは取り合ってこなかったが、何年もしぶとく地道に取材を重ねてきたその雑誌がついに告発者と出逢い、記事になったという経緯だろうと浜野は言った。

『大きな問題になると思うから、心の準備必要かなって思って……』

彼女はアタシを案じて前もって知らせてくれたのだった。

「小野瀬くん、いたとき、その人もいたんだよね……」

アタシが尋ねると

『告発した子はだいぶ若い子みたい。後輩だけど交流があったかどうかは……。でも講師の人はね……』

浜野は言葉を濁した。

知らせてくれてありがとうと告げて電話を切ったが、心の準備などできそうにない。

まだ情報の整理すらできていない。アタシは今どんな顔をしているのだろうか。

たまたま小野瀬が出かけている時でよかったとしか思えなかった。


 あの頃を思い出した。

DEAR STARディア スターというレコード会社の社長のスキャンダルが報じられたときのことだ。

スキャンダルは瞬くまいに大きな炎となって燃え盛り、いろいろなところに飛び火して、たくさんの犠牲者を出した。渦中の人物は何故か生き残り、息を吹き返して今も安穏と暮らしている。

混沌としたあの数か月、アタシは自分の非力さを痛感して途方に暮れていた。

またあれが繰り返されるのかと思うと、息苦しくなる。

しかしその時とは事情が違う、最悪な状況だ。

渦中に自分の愛する人が放り込まれてしまう危険があるからだ。


 そのうちに彼が帰ってきてしまう。

アタシはまた鍋を火にかけてパスタを茹でることにした。沸騰し始めた鍋の中のお湯がグラグラと揺れ始めたのを見つめ、今もまた、途方に暮れている。

もしかしたら小野瀬にも取材がくるかもしれない、今日知ったことを前もって知らせるべきなのか。

でももし小野瀬にも言えない何かがあったとしたら、アタシは彼を傷つけてしまいかねない。何もなかったとしても、自分が信頼してきた古巣にそんなことがあったなんて知ったら傷ついてしまう。

アタシの1番大切な彼を傷つけずに済む方法はないのだろうか。

結局答えは出ない。


 小野瀬が帰宅した。

アタシよりも先にNekoを抱きしめ「ただいま」と言う。

そして、「アイちゃんがヤキモチ焼いちゃうからまたね」と言って、Nekoを手放し、今度はキッチンでパスタを作るアタシに「ただいま」と言って軽く抱きしめる。

完成した魚介類の入ったトマト味のパスタを2人で食す。

「ニューヨークはムール貝うまいよな」

「東京で買うより安いしね」

そんな普通の会話をする。

アタシは普通をよそおっているだけで、平常心ではいられなかった。

こんな平穏な日々を2人で送りたいだけなのに、アタシはこの日常を守りたいだけなのに、なぜ問題がふりかかるのだろう。

小野瀬には関係ないことだと、この残酷な報道がアタシ達の前から過ぎ去っていくことを願った。


◆◆◆


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