track #24 - Fish
『今日あたり、梅雨入りが発表されるかもしれませんね』
と、テレビの中のお天気キャスターが言うように、ここ数日雨が降り続いていて気分も晴れない。
ジョージが地方の仕事で留守の日曜の朝、ママとテレビを見ながら朝食をとっていた。
「雨ばっかり、憂鬱だなぁ」
と、アタシが言うと
「そうね、でもそのうち止むから。梅雨が終われば夏じゃない」
ママは明るい声でとくに夏が好きなわけでもないのにそう言った。夏は夏で猛暑が続いてうんざりするのだが、雨続きよりはマシかとぼんやり思っていた。
「乗り越えたの?」
ママが唐突に聞いた。
「うん、気がついてた?」
アタシが聞き返すと
「まぁ、なんとなく、一緒に住んでればね……」
少し前、アタシとジョージに何かかがあったことを察して心配していた。
「ずっと一緒にいれば愛し合ってても何か起きるし、それをどう乗り越えるかだよ。起きたことじゃなくて、そこが重要なの」
人間として先輩のママは優しく冷静な口調で付け足した。
「そうだよね、そう思う」
アタシも静かに返した。
あそこで別れを選ばなかったのは、愛しているからで、ジョージがアタシを愛しているのも充分にわかっていたからだ。だからきっとジョージの間違いをいつか許せるような気がして、別れたらそのチャンスさえ失ってしまう。
ママが言うように雨は降っても必ず晴れる。
あの出来事がなかったかのようにアタシとジョージは変わらぬ日常を一緒に過ごしている。
その前にほぼ完成しているトラックのデータがケイから送られてきて、電話で打ち合わせを進めていた。
『何かある? アイデアあったら試すけど』
と、電話ごしにトラックについて聞いたケイに
「いや、アタシは特には……」
と、アタシは返答して、ケイがどんなテーマを持ってリリックを考え始めているかの説明を受けた。せっかくアタシとの初めてのコラボレーションなので、アタシがずっとケイに期待していた社会的メッセージを彼は盛り込んでいた。
ケイがラップしてフックとブリッジはアタシが担当する。ケイのテーマに沿ったリリックを書かないとならない。
アタシは自分のシングルもリリースしなくてはならなくてトラックを模索している最中でもあり、同時並行で取り組んでいたが何も浮かばないし、テーマも決まっていない。まずはケイの曲に集中することにした。
でも、何も浮かばない。一文字も書けない。
やることが詰まっていて落ち着いて曲作りに集中できないからだろうか、アタシはどうやらスランプに陥ったようだ。
ケイのリリックは絶対にアタシに何かを感じさせてくれるはず。一緒にスタジオに入る日に、ケイのラップを聞けば、自然とアタシが歌うべきことが沸き上がるはずだ。ほぼ1日スタジオに籠れるので、それだけあればフックとブリッジくらい書き上げて歌入れできる実力がアタシにはある。
考えすぎて煮詰まって自分に落胆したりして悪循環に捕らわれないように、ケイの曲のリリックを無理やり書くのをやめてその日に望みを託した。
しかし、何も思い浮かばなかった。
ケイのラップを聴いても、さらに深いメッセージを伝えられても、アタシは何も書けないでいた。
スタジオの中のスタッフが作業を辞めてアタシがリリックを書き上げるのを待っているのがわかる。アタシの邪魔はしないようにか、時間をつぶすためか、数人のスタッフはスタジオから出て行った。
手書きでリリックを書くアタシはソファーに座ったままペンを片手にノートの白いページをただ見つめていた。
横に座ったケイが
「今日じゃなくてもいいよ? 落ち着いて考えたら?」
気を使って言った。
「ケイ……アタシ、多分、才能使い果たした」
ノートを膝に置いて彼を見て言うと、ケイは笑った。
「そんなはずないし。忙しくて本調子じゃないだけだよ、オレもそういう時あるし」
フォローしてくれたが、アタシの音楽の才能はもう1滴も残っていないように感じていた。
「メシ食おう、メシ。腹減ってたら脳みそ回んないじゃん」
ケイはそう言ってスタッフと出前を取る準備を始めた。同行しているサクラがスタジオの端から心配そうにアタシを見ている。
たくさんのお弁当が届き、スタッフとみんなで思い思いの場所で食事を始めた。アタシは変わらずソファーの上で焼き魚が中心でいろいろなおかずが綺麗に並んだ高級そうなお弁当を膝の上で広げた。
ケイが言った通りお腹が空いていたようで、次々と口に運んだ。
隣でケイも同じようにお弁当を頬張っている。
箸で魚をつついていると
*<It's okay to eat fish
'Cause they don't have any feelings>
と、いうフレーズが浮かんで口ずさんだ。
ケイが不思議そうにコチラを見た。
「ベジタリアンの曲かなぁ、反動物実験の曲かなぁ……
アタシがつぶやくと、ケイは心配そうな表情でアタシの頭の左側に手を充てて髪をぐしゃっとさせて、アタシの頭を自分の方を向かせて
「何かあった?」
と、聞いた。
アタシはそう聞かれて気がついた。
さっきから食べている魚の味はしていない。
色とりどりのはずの高級なお弁当に色はない。
そういえば、いつからだろうか景色はモノクロで、音楽は耳に届いていても心に響いていない。
ケイの作ったトラックにもラップにも、感情は動いていなかった。
さらに恐ろしいことに、ジョージと一緒にいても、キスしても、セックスしても何も感じていなかった。
忙しさのせいにしていたが、ジョージとのあの一件からアタシは心を失っていた。
何も感じていない人間に何かを表現できるはずがない。
そのことに気がついてケイに打ち明けると、彼は今回の曲を白紙に戻し1から作業を始めた。そして、裏切りと裏切りの代償に後悔を嘆く男と愛情と葛藤に惑う女をドラマチックに表現した楽曲を2人で作った。
「オレにも反省すべき恋愛はあるから、今でも後悔してるヤツ……」
ケイはそう言っていた。アタシ達2人は似たような境遇にいて、それを吐きだすことでイイ曲が仕上がった。
アタシとジョージは別れた。
愛していないとは言えない。
だけど、今まで通り愛しているとは言えなくなってしまったから。
◆◆◆
It's okay to eat fish
'Cause they don't have any feelings
訳)魚は食べてもいい、魚には感情がないから。
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