第8話 再放送
詩紋は掲示板の前に立っていた。貼られているのは『奨学金制度の変更』やら『全日本研究発表会優勝者インタビュー』などの真面目なもの。どれもこれも読んでて頭が痛くなるような記事ばかりだ。
「やっぱりこの写真はダメだな。よく分からん男より、もっと垣花さんを写せよ」
小春が全日本研究発表会で優勝した時の写真に詩紋はケチをつけている。
写真は確かに、小太りで偉そうな男の比率が大きく、優勝したはずの小春は三分の一程度しか写っていない。
──さて、詩紋がここへ来た目的は小春の写真を見ることじゃない。それもまぁ無きにしも非ずだが、本当の目的は『盗み聞き』だ。
「なんか殺人事件起きたらしいよー?」
「え、怖ァ……」
「今日のバスケなに懸ける?」
「ポカリ一本」
「それ昨日も同じじゃん。デカピタにしようぜ」
「あぁいいね。粉はなしだぞ」
「さっきそこに刑事いたよ」
「右にいたお姉さん美人じゃなかった?」
「マジそれ」
「ここ暑っついよな……図書室行こうぜ」
「えぇ……嫌だよ。あそこの図書委員うるさかったじゃん。水無月? だっけ? あいつ無駄に体デカくて怖いんだよ」
「それお前が図書室でブレイクダンスしてたからだろ。むしろ水無月に怒られるだけで済んだのに感謝しろよ」
殺人事件が起きたことにより教師は対応に追われている。本来は教室で自習しろとの命令だが、思春期の高校生が言うことを聞くわけない。
てなわけで、近くに椅子があり、職員室から漏れ出たクーラーを身に受けながらくつろげる場所に生徒は集まっていた。
この場合なら自然に話を盗み聞ける。詩紋はメモを片手に、小春の写真を眺めながら、周りの声に耳を傾けた。
「──ね、西条君ってさぁ」
聞こえた。西条の話だ。斜め後ろの女子四人組が話している。
「絶対痩せたらイケメンだよね」
「あー、ちょっと分かるかも。今の感じも好きなんだけどね」
「韓流っぽいよね。マッシュだし」
ちょっと分かる。──じゃない。こんな関係ないことを聞くのが目的じゃない。気を取り直して次へ。
「なぁ、水無月ってさ──」
来た。次こそはいい情報が聞けるはず。窓際にいる男子生徒二人に耳を集中させる。
「よく見たらイケメンだよな」
「見た目陰キャなのにな。すごい羨ましいわぁ。体もでかいし」
高校生の会話はイケメンに関することしかないのか。──違う。そうじゃない。こんなのが聞きたいのでは無いのだ。
「あれだよあれ。水無月──」
また水無月。今度こそ。今度こそいい情報があるはず。真後ろでジュース片手に話をしている二人に感覚を流す。
「──の家の前にあるブックオフにさ。すっごいレアなエロ本あんだよ」
「マジかよ……この『エロ本排除時代』にそんなもんが……今日買いに行こうぜ!」
「──くっだらな!? 紛らわしいわ!」
思わず心の叫びと共にメモを地面に叩きつけた。
「──おい」
低い声がした。後ろを振り向くと、そこに居たのは一組のカップル。片方は校則がなかったら確実に金髪にしてそうな、チャラそうな男子生徒。もう片方は校則がなかったら確実にピアスをしてそうな、ギャルな女子生徒だ。
「さっきから何コソコソしてんだよ」
「い、いや俺は何も……」
「ん? あ、そうじゃん。見てよコイツ。さっきから探偵ごっこしてる奴だよ」
「なるほどねぇ。それで? なにかいい情報は聞けたかな? 探偵くん?」
悪意を持って煽る男子生徒の後ろから無数の冷たい視線が突き刺さる。
コソコソと影口。ニヤニヤと嘲笑。汚物を見たかのようにに顔を逸らす女子生徒。笑いを堪えている男子生徒。
この場にいる全ての人間が詩紋を見ている。
「……っ」
あまりの悪意と嘲笑に耐えきれず、詩紋はその場を立ち去った。後ろから聞こえる煽りの言葉も無視して──。
* * *
階段の壁にもたれかかりながら、詩紋は外を眺めていた。踊り場の壁はガラスであり、四階からの景色は絶景の一言。特に夜景はイルミネーションが光ってるみたいであり、詩紋は小春と一緒に眺める妄想をしながら見るのが好きだ。
「……はぁ」
上手くいかない。何をやっても上手くいかない。
小春はできていた。小春ならできていた。そんな言葉を何度頭の中に思い浮かべただろうか。
笑われ、蔑まれ。カッコつけて小春を除けたのにも関わらず、この体たらく。自分が一人じゃ何も出来ない無能だということを再認識させられてしまった。
「……俺じゃダメ、か」
もう奮い立たせる心も残っていない。萎える思考を引きずりながら、詩紋は教室へ帰ろうとする──その時だった。
「──ありがとう! またスイーツの話聞かせてね!」
──小春の声が下の階から聞こえた。嫌な予感がして踊り場まで降りる。
そこに居たのは予想通り小春。そして──小春はメモを取っていた。さっきの声。話し相手が離れた瞬間にメモをとるという行動。
間違いない。──小春は聞き込みをしている。つまり事件の捜査をしているのだ。
「なんっ、もうっ……!」
小春に会えて嬉しくなってる自分に腹を立てながら、詩紋は叫んだ。
「垣花さん!」
怒りの混じった声にビクリと反応する小春だったが、詩紋を見た途端、小春側も怒りの混ざった声を放った。
「あ、神代! この! 私には泣きながら『手を引け』なんて、どういう了見だこのやろー!」
「それは……色々あんの! なんで聞き込みなんてやってんの!?」
「だって私だって気にな──」
──小春の瞳が広がる。顔が青ざめる。
「──神代!」
「あ──?」
──サクッ。と。詩紋の耳に、以前聞いたことのある音が入ってきた。
* * *
血が、流れる。鈍っていく思考が下を向けと命令し、詩紋の首はそれに従う。
「……は」
脇腹に見慣れないものがあった。銀色の、尖ったもの。赤黒い液体が金属を反射させないように覆われている。
「……は、あ」
出ている。……ちがう。──違う。貫通している。貫通していたのだ。
背中から、体内を通り過ぎ、腹に出ている。自分の体内を切り裂きながら、体に入り込んでいた。
「──が、ぁ!?」
痛い。『貫通』を認識した瞬間、耐えるということすら忘れるほどの激痛が頭に流れてきた。
感覚的にはついさっき経験した異物感。呼吸が数瞬止まり、世界が静かに遠のく。
異物の正体は包丁。これは前回も同じだった。なら、犯人も──同じはずだ。
広がる傷口。ぬるい液体を滴らせながら、詩紋は後ろを向いた。
「──」
「おま──え」
──見た、ことが、ある。こいつは──。
「平野……!?」
深々と被った紫のフードから覗く顔は、言い訳する余地もなく、平野そのものであった。
「……ごめんな。お前は殺すつもりなかったんだよ。でもうろちょろするからさ。邪魔でさ」
「ふざ……け──!」
──包丁が引き抜かれ、階段から蹴り落とされる。
下へ下へと半月の軌道を描きながら落下。血の線香花火を撒き散らしながら、下の階へと転がっていく。
ピンボールのように揺れる脳は液体のように崩れさり、重要な臓器を守るための骨は無意味というように砕けていった。
停止してもなお視界は転がっている。流れ出た暖かな血が皮膚にまとわりついた。
喉が、乾く。腹の痛みがどこかへ行ってしまった。嬉しいことのはずだが、詩紋にはそれが恐怖でしか無かった。
「ぉ、ぁ……」
鈍る思考。歪む視界。灰となって消えてゆく精神。
やってきた『死』に首根っこを掴まれながら、詩紋が最後に見た景色は──。
「や、やめて、来ないで! やだっ、やぁ──!」
最愛の少女が、腹を、突き刺されている瞬間で、あっ、た。
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