第6話 RE.スタート

「ほむほむ」


 ──ありえない声が耳に届いた。


「これは……これは──」


 周りには野次馬がいる。目の前には死体がある。死体の傍には──小春がいた。

 傷口を縦から見たり、横から見たり。死体の周りにある物をメモしたり。刑事の真似事をしているかのように事件現場をウロチョロとしている。


 小春はあの時と何も変わらぬまま。詩紋や野次馬たちに体を向け、宣言するようにこう言った。


「──探偵の出番だね」


 ──と。



* * *



 詩紋はポカンと口を開いて小春を見つめていた。指も動かさず。足も動かさず。ただアホ面で小春を見つめている。


「お、神代! ちょうどいいところに!」


 小春は倒れている死体を飛び越え、野次馬の中にいた詩紋へと近寄ってきた。


「学校で起きた不可思議な殺人事件。それを解決する美少女探偵! こんなのミステリー好きには堪らないシチュエーションだと思わない?」


 明るく。楽しそうに。近くに死体があるとは思えないほど生き生きとしながら詩紋に話しかける。周りの野次馬が引いてることも見えてないようだ。


「異名は『現代のシャーロック・ホームズ』! 可愛さと頭脳を兼ね備えた名探偵! 神代には私の助手、ワトソン役を任せたいと思うんだけど。どう?」


 自分で言うだけはあるようで。小春は可愛い顔を最大限に活用しながら、詩紋に『お願い』という名の『命令』をした。

 そのお願いに詩紋は──沈黙で返していた。


 口を開けたまま、自分の背中をまさぐる。……特に異変はない。怪我もないし、血も出ていない。高校生らしい健康的な背中なのが見なくても分かる。

 背中を刺された。錆びた包丁で刺された……はず。


「……? どうしたの神代?」


 ──刺されたのは詩紋だけではない。小春も刺されていた。刺された瞬間は見ていないが、絶対に刺されていた。まだこの目に焼き付いて離れない。


 確認を──しなくては。

 詩紋は目を開けたまま。口を開けたまま。小春にゆっくりと手を伸ばし──。



 ──服を、捲った。


「……へ?」


 華奢な腹部だ。小柄ながらもいい体をしている。ガリガリと言うほど痩せていないが、ムチムチと言うほど肉はない。まさしく『スレンダー』と言うのに相応しい体をしている。

 白い柔肌には傷一つ付いていない。傷が付いていないなら、血も付いていない。あるのは綺麗なおへそと縦に一本だけ入ってる腹筋だけ──。


 ──詩紋の顔面に拳が飛んでくる。


「ぐぶ!?」


「──へ、変態!」


 予想外……まぁ普通の反応だが、今の詩紋にとっては予想外の攻撃に思わず仰け反る。


「な、なな、何すんの!? 変態! えっち!」


「あ、ぇあ……あれ……?」


 顔を真っ赤にして叫ぶ小春。その姿を見て、詩紋はようやく正気を取り戻したようだ。戻ってくる思考回路を繋げながら、詩紋は混乱する頭を整える。


「……どう……なってんだ?」


 死体……ある。さっきまで警察が来て、現場を封じてたはずだ。ブルーシートもかけられてたはず。だが今は封鎖もされてないし、ブルーシートもない。野次馬も顔ぶれが変わらないような気がする。

 あと何より──小春が生きている。腹に傷はなかった。触れた時にも体温を感じた。だから絶対に生きている。


 ……なんで、生きてる。死んだはずだ。──そうだ、死んだはずだ。なぜ生きているのだ。小春も、自分も。


「もうっ! ほんっとに信じらんない! せっかくワトソン役を頼もうって思ってたのに! 変態に助手は勤まらないよ!」


 小春は顔を赤くしながら怒っている。顔が赤くなってるということは、血が顔に溜まっているということ。……うん、やっぱり生きてる。

 顔を殴られた時は痛かった。つまりこれは現実だ。となると、必然的にさっきまでの出来事が夢ということになるはずなのだが……。


「……」


 あの背中の痛み。絶対に本当だった。

 全てを塗りつぶす『痛み』を頭が覚えている。神経が動かなくなる『痛み』を体が覚えている。

 そして身体中が消え、魂すら消滅するような、あの喪失感──あれは忘れるはずがない。


「夢じゃないなら、さっきまでのは……」


 ──ふと、思い出した。小春と一緒に見た、あの戸棚のことを。


 驚きで固まっていた体を動かし、包丁の入っている戸棚へと移動する。


「え、神代?」


 いきなり動いた詩紋に驚きながら、一緒に戸棚へと移動する。


「……ない」


「どうしたの?」


 戸棚には──包丁はなかった。しかも無理やり引き剥がされた跡がある。

 見た。この映像は見た。小春によって気付かされた『連続殺人への示唆』だ。


「む、変態なのに、いい所に目を付けたね。神代はこれを見て何か気がついたことは──」


「包丁が引き剥がされてる」


「……よ、よく気がついたね」


 「ぐぬぬ」と悔しがる小春を他所に、次に詩紋が向かったのは、窓の手すり。詩紋の予想が正しければ──。


「──へこんでる」


 ──手すりはへこんでいた。そのへこみの周りには白いポツポツとした粉も付いている。


「あれ? ほんとだ……へこんでる。よく気がついたね」


「……あぁ」


 ここまでお膳立てされれば、いくら馬鹿な詩紋でも分かる。これは、この状況は──。


「──戻っ、てる。のか……?」


 ──時間が戻っている。詩紋はそう決定づけた。



* * *



 タイムリープ、というのは創作でよくある話だ。自分の意識を過去へと戻して未来を改変するといったもの。

 しかし、いざ自分が体験するとなると、かなり混乱してしまう。それも自分の意思でしたものではないのなら尚更だ。


「夢じゃない……よな」


 小春に殴られた鼻の痛みが現実の証明。つまり詩紋は事件を発見した直後まで巻き戻ってきたのだ。


「……なんで?」


 当然の疑問が頭に思い浮かぶ。なぜ戻った。どうやって戻った。この現象の理由は。

 残念ながら、詩紋の足りない頭では、どうやっても思いつかない。


「──神代?」


 小春が詩紋の視界に入り込んだ。


「どうしたのさっきから? ボーっとしてるし、私に……セクハラもするし」


「あ、それはごめん」


「ゴメンで済む問題じゃないよ! 私じゃなかったらセクハラで訴えられてるからね!」


「悪かったって。また何か奢るからさ」


「私は金でなびく女じゃないよ! だからハーゲンダッツで許してあげる!」


 ……なかなか痛い出費。だがまぁ好きな人の体を見られたなら安すぎるくらいの代償だ。


「分かった。一個だけね」


「ふふん。それとね──」


「だから一個だけだって。俺も金がないんだよ。許してくれよ」


「いやいや、ハーゲンダッツじゃなくてね。──神代には私の助手、ワトソン役をしてもらうからね!」


 助手。ワトソン役か──待て。待て待て。タイムリープをしてるとすれば、小春はこの後に事件に首を突っ込む。そうなると──。


「神代は結構洞察力があるらしいからね! これから私の助手となり、推理の手助けを──」


「──ダメだ!」


 ──詩紋は小春の両肩を掴みにかかる。


「ダメだ! 絶対にダメ! 絶対にダメだ!」


「ぅえ……ど、どうしたの?」


 自分より大きい男に体を揺すられる。無邪気で天真爛漫な小春であっても恐怖は感じるようだ。詩紋の必死な言葉も相まって、小動物のように怯えて震えている。


「ダメ、ダメなんだ! 垣花さんだけは絶対に……ダメだ」


 ──あの末路は辿らせない。

 ──あの末路は見たくない。


 だから叫んだ。必死になって説得した。理由……は話そうにも、『タイムリープして君の死んだ姿を見た』なんて言えやしないし、言っても信じちゃくれない。

 でも過去に戻ってるのなら、このまま小春の捜査を許せば、また必ず小春は殺されてしまう。それだけは阻止しなくてはならない。


「頼むよ。な? お願いだから……手を引いてくれ……」


「神代……」


 必死に叫ぶうちに詩紋の目からは涙が流れていた。その姿があまりにも痛々しく。あまりにも迫真だったから──。


「……分かった。神代がそんなに言うなら、何もしないよ」


 小春も素直に手を引いたのだった。

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