神代詩紋は探偵じゃない
アタラクシア
ファイル1 遊蘭高校殺人事件
第1話 始まりの悲鳴
──人が、死んでいる。
女子生徒の悲鳴を聞き、理科準備室まで駆けつけた詩紋は、目の前の光景に言葉を失った。
「おいおい、マジかよ……」
木製の床に倒れていたのは、同い年くらいの青年。体格はやや大きめで、筋肉質な体つきから運動部だと一目でわかる。
名前は知らないが、顔には見覚えがあった。バスケ部の生徒だったような気がする。ただ、接点がなかったため記憶は曖昧だ。
鼻を突き刺す鉄の匂い。頭の下からじわじわと広がる鮮血。たとえ見知らぬ相手であっても、同じ人間の死を目にするのは堪えるものがある。
「うわ、マジで死体?」
「つ、作り物じゃないの……?」
「死体だよな? これ……ガチで……」
「しゃ、写真! 写真撮ろうぜ!」
周りの生徒たちも似たような反応だ。廊下に悲鳴を響かせ、血溜まりから逃げるように距離を取っていく。
こういう場面で人間は本性をさらけ出すのだろう。では、詩紋はどんな人間なのか。
ただ突っ立ち、口を閉ざしたまま死体を見つめるだけ。手も出さず、声も上げず。結局のところ、詩紋はただの一般人だ。
面倒事には首を突っ込まない。危ないことには関わらない。何より、目立ちたくない。
──それが詩紋という人間だった。
だがこれは多くの人にも当てはまる。喜んで「死体」などという面倒事に関わる者はいない。
今回もそうなるはずだった。教師が到着し、生徒たちは解散し、ニュースで取り上げられ、しばらく話題にされて、やがて忘れ去られていく。
そんな展開になる──はずだった。
「──ほむほむ」
突然、あまりにも場違いな声が死体のすぐそばから響いた。
一人の少女が頭元にしゃがみ込み、真剣な顔で観察している。
傷口を縦から見たり横から見たり。死体の周囲をメモしたり。まるで刑事ごっこのように現場を動き回っていた。
おかしい。どう見てもおかしい。凄惨な現場には似つかわしくない少女だった。
綺麗な灰色のセミロングヘア。整った顔立ちは世間的に見ても美人の部類だろう。体は小柄で、胸や腰回りも未発達に見えるせいか、周囲より幼く映る。
「これは……これは──」
一通り死体や現場を見回した少女は、その場で立ち止まり──。
「──探偵の出番だね」
そう、口を開いたのだった。
* * *
詩紋はこの少女が誰かをよく知っていた。そして少女も詩紋が誰かを知っている。
「お、神代! ちょうどいいところに!」
「……
小春は倒れている死体を飛び越え、野次馬の中にいた詩紋へと近寄ってきた。
「だって事件だよ事件! しかも殺人事件! 人生で殺人事件に出会うことなんて滅多にないんだよ!?」
「落ち着いて。そこ死体あるからね。あんまりにテンション高いと不謹慎だから」
あまりのテンションに、周囲が少し引いているのが見えた。小春に向けられる視線が自分にも刺さって痛い。
「あ、そうだよね。まずは黙祷。南無」
両手を合わせて目を閉じ、数秒。
本気なのか茶化しているのか分からないその姿に、詩紋は脱力しかける。
が、黙祷を終えるやいなや、小春は再びスイッチを入れたように目を輝かせた。
「さーて、じゃあ始めよっか! ワトソン君!」
「いや、ワトソンて……」
「現場は語る! 目撃者は語らなくても、痕跡は嘘をつかない!」
「それは誰の受け売り?」
「『名探偵黙示録』のリューズ博士だよ! まぁそれは置いておいて……まず前提を話そっか!」
小春は詩紋に体を向け、両手を広げた。必然的に詩紋の視線は部屋全体に向けられる。
「第一発見者がこの部屋に来た時、鍵は内側から閉められてた。内側から鍵を閉められるのは、内側にいる人間だけ。それじゃあ閉めたのは被害者? そうなるとこれは『事故』になるの?」
「……普通に考えたらそうなるな」
「ふふーん。それが違うんだよね。ここには『殺人』をほのめかす証拠がある」
得意げな表情を浮かべながらグルりと回転。
「ワトソン君は何かこの現場を見て疑問に思ったこととか、気がついたこととかある?」
その姿はまるでドラマの探偵そのもの。死体が目の前にあるとは思えないほど楽しそうだ。こうも楽しそうにされてしまっては、自然とこちらも乗ってきてしまう。
詩紋も煌めいている小春の顔をチラッと流し見て、事件現場を眺めることにした。
床に転がった死体、わずかに散らばった実験器具。右端の黒板の下には、粉々になったチョークが落ちていた。
決して激しく荒らされた様子ではない。だが、いくつか引っかかる点もある。
「……すっ転んで頭を打った──って感じ?」
「うん。だいたいそんな感じだね。もしくは、誰かに押し倒されて、偶然にも机の角に頭を打った、とか」
二人は棚へと視線を移す。
扉が開きっぱなしで、中には刃物や道具類が几帳面に並んでいた。
危険物を開けっ放しにしておくとは考えにくい。誰かが持っていったと考えるのが自然だろう。
「ここから何かを取っていった?」
「じゃあ何を持ってったか分かる?」
「来たことない場所だし、元の状態が分かんねぇ……」
「じゃあ、観察だね。さあ見てごらん、ワトソン君」
詩紋の肩をそっと押して、小春が一歩近づいてくる。彼女の髪が少し触れ、詩紋は一瞬だけ鼓動が跳ねた。
「ほら、右端の包丁。刃のところをよく見てみて」
煩悩を捨てながら詩紋が目を凝らすと、確かに他の包丁と違って、その一本だけ錆びのパターンが途切れていた。
「……これ、誰かが無理やり引っぺがした?」
「正解。長年放置されてた包丁を無理やり剥がした跡だね。つまり、事件前に誰かがこれを持ち出した」
「……で、その誰かが、今も持ってるってわけか」
「だろうね。被害者は刃物持ってないし、体にも刺された形跡はなし。必然的に包丁は犯人が持ってることになる。となると、こう推理することができるんじゃない?」
部屋を右往左往し、指をクイクイと曲げながら、小春は推理を披露する。
「犯人は最初、他の人物を殺すつもりだった。そのために包丁を盗んでいた場面を偶然、被害者が発見。思わず殺害してしまう……ってね」
「……もし、それが本当なら──」
小春の口元がふっと笑う。その顔はこの凄惨な状況を頼んでいるようにも見えた──。
「──殺人はまだ続く可能性が高い」
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