第42話 背徳の聖騎士と二度目の口づけ
赤々と燃える炎をじっと見つめ、薪のはぜる音を聞いていると、今まで気にとめなかった雨音が耳に届いた。風の吹き荒れる音も聞こえる。外は相変わらずの嵐だ。ボロボロの小屋なので、隙間から風は吹きすさぶし、雨だって滴ってくる。
(あれ、私どうしてここにいるんだっけ)
毛布に包まれながら、頭を整理する。
突然訪問してきたアンナに連れられ、西の森へ行き、そして沼に辿り着いた。
そのあと、アンナに——
(そうだ。突き落とされて、溺れて)
死を覚悟したとき、誰かの腕に助けられた。
(壮介くん……)
あのとき、姿形は見えなかったのに、リアはそれを壮介の手だと思った。
この世界にいるはずのない人。
前世の初恋で、片想いの相手。
きっと、前世と記憶と重なったのだろう。
壮介は響子の腕を引き、抱き込んで、共に車に跳ね飛ばされたのだ。
だから、壮介だと思ったに違いない。
リアはちらりとゲルトを見た。
何やら考え込んだゲルトは口元に曲げた指を当てている。
助けてくれたのはゲルトなのだ。壮介ではない。
「ゲルト、助けてくれてありがとう」
前世の響子にはそんなことを伝えることすらできなかったが、リアは生きている。ゲルトに命を救われたのだ。
礼を言われ、ゲルトは口元から手を下ろし、リアを見つめた。
そして、首を横にする。
「ごめん、リア。もっと早ければ、苦しい思いをしなくて済んだのに」
悔やむように眉を寄せるゲルトに、リアは首を振って見せる。
「そんなことない。だって、私は生きているもの。問題ないわ。けど、よくわかったね?」
「物音がしたから廊下に出たら、リアの髪紐があって。急いで足音を追ったんだ。けど、一旦見失って……だから、遅れた。ごめんな」
「アンナ様は?」
「知らない。俺が飛び込む前はいたけど、上がった時にはいなかった」
吐き捨てるように言うゲルトに、リアは少し近づいた。
「あの……アンナ様が言っていたの。生命の水が澱んでるって。この嵐はそれが原因——」
「リア」
咎めるような声でゲルトは言って、おもむろに片腕を伸ばし毛布ごとリアを抱き寄せる。
体勢を崩したリアは、こてんとゲルトの肩に頭をぶつけた。
「今は体を温めることに気を向けてくれ。身体を壊されたら堪らない。俺にとってはリアが一番大事だと言ったはずだ。世界の危機だろうが、何だろうが今はどうだっていいんだよ」
ゲルトはもう片方の腕もリアの背に回し、正面から抱き寄せた。
リアは毛布を放さないようしっかり握り締めながら、ゲルトの肩の上に顎を乗せていた。
毛布越しとはいえ、隙間のないほど密着している。
「聖女なんてどうだっていい。聖女なんて捨ててしまえよ」
ゲルトは腕に力を込め更にリアを抱き寄せた。
毛布を掴む手が緩むが、ゲルトが毛布ごと抱き締めてくれているので、落ちることはなかった。
薪がパチパチと小気味良い音を立てる。
嵐で小屋が軋む音よりも、自分の心臓の音が近くに聞こえた。
耳元に感じるのは、ゲルトの呼吸音で、首筋に温かい息がかかると、ぞわりとして心臓が跳ねる。
「リアはリアだ。聖女でなくたって、俺の大事なリアだ」
ゲルトは頭をわずかに逸らし、リアの首筋に顔を埋める。そして、冷えた柔らかい唇をその白い肌にそっと寄せた。
リアはびくりと体を揺らし、思わず体を捩る。ゲルトは顔を上げ、リアの顔を見ようとするように少し身を起こし、柔らかく微笑んだ。少し細められた深緑色の瞳が宝石のように煌めいた。
「リア、聖女であることに固執しないでくれ」
懇願するように、それと同時に言い含めるように、ゲルトは言って、リアが身構えるより早く、その唇をリアの唇に重ねていた。
冷えた唇同士が触れ、リアは目を閉じた。
駄目だと思う。
遠ざけねばと思う。
そう思うのに、ゲルトを拒めなかった。
唇を重ねる度、リアは聖女から、聖女という役割から遠ざかる気がした。
穢れなき、清らかな乙女から離れ、普通の、何の変哲もない女の子になってしまう。
けれど、体から力が抜け、ゲルトの腕に支えられながら、彼の肌に触れていると、ふわりと心地良い気持ちになった。
本当はずっと、ゲルトにこうしてほしかったのではないかと、思ってしまうほどに。
惜しむように離れては、再び交わされる口づけに、リアの頭はしびれてきた。
重ね続ければ、次第に体は火照り、いつの間にか熱いほどだった。
「好きだよ、リア。愛している、ずっと、ずっと前から」
ゲルトは甘く囁くようにそう言って、ぎゅうとリアを抱き締めた。
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