第42話

 乙女の朝は時間がかかる。

 綾小路相談所の2人にとってもそれは例外ではない。

 最も、大型の時間は彼女達の場合は服の下に携行する武器選びに費やされていた。

「うーん、やっぱりドラグーンが名残惜しい……」

 机の上に置かれた大型回転拳銃を愛おしそうに撫でる花蓮に、綾女はため息を付いた。

「これからは金属薬莢時代だよ!

 なんて興奮してたのはどこの誰でしたでしょうね。

 良い加減諦めて、S&WのNo.3に乗り換えなさいな」

「うぅ……、ごめんねドラグーン。

 やっぱり装弾速度は魅力なの……」

 花蓮は泣く泣くといった様子で、コルト・ドラグーンの隣に並べてあったS&W No.3を服の下に装着したホルスターにねじりこむ。

 紙薬莢の時代は、金属薬莢の流入、特にセンターファイアの普及により、終りを迎えつつあった。

 撃発の確実性もパーカッション式を上回る程の弾薬が出始めた以上、ガンスリンガー達はこぞって新技術を取り込み始めている。

 大口径に拘る所のある花蓮も、44口径、素早い相談を可能にする中折れ式のS&W No.3の登場により遂に折れたのだった。

「口径はドラグーンと同じなんですから」

「ちょっと威力がドラグーンより低い気もするし……」

「樫の板三枚も貫ければ人は死にますわよ」

 綾女は花蓮をいなすと、アダムスリボルバーをホルスターに仕舞った。

「そんな顔をしていると美人が台無しですわ。折角の休みなんですから、楽しまないと」

「はーい」

 綾女の言葉に漸く踏ん切りが付いたらしい花蓮は、ナイフを服の下に差し込み、玄関に向かう綾女の元に駆け寄った。


 綾女達が向かったのは、街のバス停である。

 近頃日本では、トランクション・エンジンの普及に伴う蒸気自動車の運用が盛んに行われている。

 きっかけは、英国や仏国の中で馬車協会との利権争いに敗れた蒸気自動車発明家達が日本に売り込みをかけた事からであった。

 開国するまで馬車による移動が一般的ではなかった日本には、彼らの商売敵がいなかった事が理由である。

 欧米の技術を追って数十年、欧米との差を埋めるために異なるアプローチを考え始めた政府は発明家たちの提案を受け入れた。

 馬より維持費が安いこと、税金の控除などもあり、蒸気自動車を扱う民間企業は珍しくなくなった。

 今では蒸気バイクも発売されており、一部の金持ちには道楽半分で支持を集めている。

 バスを持つ2人に、機関車の頭に四輪と車体をくっつけたような蒸気バスの陰が差した。

 車掌から番号札を受け取って、2人が席につくと蒸気バスは動き出す。

「やっぱり、むずむずしますわね」

 流れる景色を見つめながら、窓際の綾女は呟いた。

「その心は?」

 訪ねた花蓮に、綾女は少し考える。

 無意識の発言だったらしい。

「……忘れてはくれませんわよね」

「忘れてあげてもいいけど、うっかりあのタブロイド紙に綾女の秘密をリークしちゃうかも」

「思いっきり脅迫してきましたわね!?」

 溜息を付いて、綾女は再び外を見た。

「忘れられるのが怖くって、私一人では遊びに行くなんて気持ちにはなれませんもの」

 綾女が戦う理由は、誰かに心の居場所を分けてもらいたいからである。

 高貴を貫くことで彼女は孤独ではなくなると信じている。

 裏返せば、彼女は戦い続けなければ孤独に負けてしまうと考えているのだ。

「でも、貴女が連れ出してくれるでしょう?」

 綾女が花蓮を流し見た。

「えっ?」

「なんでもありませんわ」

「聞こえなかったんだよ~!ねぇ、もう一回!」

「聞こえないように言ったんですもの」

「何その余裕たっぷりな態度!

 ……綾女って女性にモテるからこういう時慣れてるよね、嫌~」

「あら、今は花蓮一筋ですのよ」

「もうすべてが怪しく聞こえちゃうよ。

私は何番目の女なのかな、およよ……」

 二人は軽口を叩き合い、笑った。

 二人が張りつめていた数か月前には、思いもよらぬような光景だった。

 

 弾む会話の前では、バスの時間もすぐに過ぎ去る。

 市立劇場の最寄り駅はもうすぐだった。

「それで、今日の主演はここ最近の演劇界じゃトップスタアの矢沢八重子さんなの」

 弾んだ声で綾女を見上げた花蓮は、綾女が空を見つめている事に気が付いた。

「綾女?」

「今何か……天井から音がしましたわよね?」

 何かが、落ちたような鈍い音。

 話に夢中になっている花蓮にも届くような音量だった。

「あ、確かに」

「気になりますわね」

「鳥じゃないかな」

「……それにしては大きすぎますわ」

「……人とか」

 蒸気バスがバス停に到着した。

 二人は慌ててバスの外に駆け出す。

「ちょっとお嬢さんたち!お金払って!」

 車掌の静止も効かずに飛び出した二人の目には、誰もいないバスの屋根が映っている。

「……なんだったのかな」

「かなり大きなものが落ちないと、あんな音はならないと思いますわ。

 でも、辺りには何も落ちてませんわね」

 二人はそろって首を傾げる。

 背後には怒りの形相を浮かべた車掌が近づいていた。

 

 市立劇場は、数年前にできたばかりの真新しい建物である。

 洋風の3階建て、中にはシャンデリアが備え付けられている本格的な劇場だった。

 外交が盛んになるにつれ、大使を接待するための娯楽が少ないことは新政府のむず痒い所になって行った。結果、数多くの文化的輸入が行われる。

 この市立劇場も、そのような経緯で欧米で親しみ深い娯楽として整備されたものの一つであった。

「何もあんなに怒らなくったっていいじゃありませんの」

「久しぶりにげんこつなんてされたかも、無賃乗車じゃないのに理不尽だ」

 頭を摩りながら、綾女と花蓮は劇の受付に向かう。

「はい、チケットを確認しました、それでは……」

 受付嬢に案内され、劇場の扉を開けた綾女は驚きの声を上げた。

 薄暗い劇場内に一斉に並ぶ席は広壮で、格調高さを演出する内装のデザインがそれを引き立てている。

 演劇のための計算された空間だった。

「いいよね、劇場って」

「ちょっと子供っぽかったですわね」

 綾女の反応に喜ぶ花蓮に、綾女は赤面した。

 

 今回上映されるのは、巷で話題になった名家の相続問題を題材にしたヒット劇であった。

 当主の軟禁事件が相続問題と精神医学の未発達により二転三転していく狂騒を描いているこの作品の中でも、ひときわ輝いているのは矢沢八重子の演技であった。

 今日は主役ではないにもかかわらず、その異様な迫力は彼女がトップスタァであることを雄弁に示している。

 幕が下りると、割れんばかりの声援と拍手が劇場にこだました。

「ひゅ~!ブラボーですわぁ~!」

 年頃の女の子のようにはしゃぐ綾女を見て、花蓮の顔がほころぶ。

 近頃の綾女は随分丸くなった。

 当初は可能な限り押し隠していた心の隙を、花蓮の前だけでは見せてくれるようになった。

 その親愛の情が、花蓮には何よりもうれしい。

 あぁ、あなたの心をもっと奥深くまで見せて欲しい。

 私があなたを抱きしめたら、あなたに抱きしめ返して欲しい。

 花蓮は、綾女への気持ちが日々大きくなっていく様子を目の当たりにしていた。

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