ソーハのあくまで個人的なおすすめ
ソーハの行きつけのお店は、妙に小さい所だった。
「ここなんですけど」
「個人店か。なんか入りにくい雰囲気だな」
「ボクも最初は入りづらかったです」
ソーハが今日乗ってきた自転車はスタンドが無い。サドルを持ち上げたソーハは、その裏を鉄棒にぶら下げた。自転車用ハンガーと言ったりするらしい。
「この柵みたいなやつ、こうやって使うのか」
「はい。なんか可愛いですよね」
「可愛い……か?」
「あ、入口はこっちですよ。階段あるので、足元に気を付けてください」
コトコトと独特な足音を鳴らしながら、ソーハが入店する。カランカランと鳴るベルの音が、どこか涼し気だ。
「いらっしゃいませー。……おや、ソーハさん。お久しぶり」
「お久しぶりです、店長。今日はちょっと店内見てていいですか?」
「いいよー。ソーハちゃんなら大歓迎。で、そちらさんはお連れさん?」
「はい。ボクの友達の、ノボルさん」
「うす」
店内は木材を多用した吹き抜けの建物で、横幅より縦幅の方が大きいかもしれない。どことなくキャンプ用品を置く店と似たような雰囲気で、ノボルは変な安心感を覚えた。
とはいえ、
「……ソーハさん。その辺の商品が全てゼロ一個多いんだが?」
そうノボルが言った通り、並んでいる自転車の価格は自動車並みである。天井を見れば組み上がっていないフレームやらホイールやらがぶら下がっており、それだけでも一般的な自転車1台より高い。
「いわゆるプロショップっていうお店ですね。だいたいここで見本やカタログを見ながら、部品単位で注文して、自分専用のカスタムを作ってもらったりします」
「ソーハさん!? いきなりハードル高くねーか?」
「はい。なので今日は、普通に完成してる商品から1台、選べればいいかなって」
店の外に並んでいる自転車には、比較的安い値段がついていた。安いと言っても、10万円をギリギリ超えない程度の車体ばかりで、
「この辺なら山とか峠とか走りやすいと思います。もちろん、街で使う分にはもっと安くてもいいかもしれませんが」
「うーん。俺が思う値段の倍くらいはするなぁ。っていうか、カードの上限ギリギリだわ」
それほどの高級品が、こうして店の中ではなく、外にたくさん陳列されている。とんでもない世界だ。
「あ、あの……本当にもしよければ、ボクが使ってないパーツとか、ちょっと買い換えようか迷っていた車体とか、あげますよ? もちろん1台フルセットとまではいかないし、中古品になっちゃいますけど……」
と、財布の中身を心配するからこそ、ソーハもそう言ってくれるのだが、
「いや、俺は自分で何とかするよ。貰い物だけで揃えると、なんだかお互いに幸せにならない気がしてな」
「そ、そうですか?」
「おう。それにソーハさんだって、そのパーツを取っておいたのは理由があるんだろ。なんかスペアに使うとか、思い出があって手放せないとかさ」
「まあ……そうですね。はい」
「それなら大事に取っておいてくれよ。俺にそのパーツたちは勿体ないさ」
ノボルの意思は、わりと硬いのだった。
「やっぱ俺、こういうゴツイ自転車が好きだな」
ノボルが見ているのは、MTBだ。それも荷物などを大量に搭載できるフルリジットフレーム。
「この手の車体だと、本体価格にプラスして、どうしてもキャリアーなどのお値段もかかりますね」
「え? この荷台とかセットじゃないの?」
「この値段は本体だけの価格だったと思います。荷台もライトも、スタンドもペダルも別売りですね」
「ぺ、ペダルも!?」
9万円ほどの自転車に、前後それぞれ1万円ほどのキャリアーに、2万円ほどのバッグ。そして5000円ほどのペダルと、同じくスタンドを合わせたら……
「16万くらいだと思います」
「マジかー」
「ペダルくらいなら、ボクが使ってないのがありますよ。ボク、どこへ行くにもビンディングシューズだから、ペダルも専用のしか使わないですし」
「いやいや。俺もやっぱプライドはあるし……何より、もうペダルの値段なんか気にならないほど値上がりしているし、な」
ノボルが困っていると、ソーハがその車体をじっくりと見た。
「いや、どうにかなるかも」
「え?」
「ノボルさーん。フルセット10万円でいいそうです」
「嘘だろ!?」
ほんの10分後、店主と何やら話していたソーハは、にこやかに戻って来てそう言った。
「いやいや、どうして?」
「えっと、この車体って、よく見たら今年のモデルなんですよね。で、そろそろ来年の新車が発表される頃なので、売れ残る可能性が高いんですよ」
「もう来年のモデル発表!? まだ夏休みにもなってないぞ」
「このメーカーは早いですね。あと、このフレームサイズも買い手がつかないんです。ボクのと同じ、身長180センチ以上を対象に作ってますから」
「ああ、それはなんか納得だ」
ノボルなら乗りこなせる大きさではある。それにしても、街を走っている多くの自転車と比べて、あまりに大きくて目立つ車体だ。
「あと、展示品で細かい傷などがあるんですけど、それでもよければ10万でいいそうです」
ついでに、ソーハは言わなかったが、常連客のよしみも含まれている。
「これって、すぐ乗って帰れる感じなのか?」
「いえ。えっと……店長。今日中に準備できますかー?」
「今日!? 無理だよ出来ない」
だそうだ。
「こういうお店って、いろいろあって当日に乗って帰ることって難しいんですよね」
「そうなのか。知らんかった」
ノボルとしては、今日すぐ乗って帰るくらいの気持ちでいた。だからこそ自動車に乗ってこなかったのだ。
ただ……
「明日の朝までには仕上げるから、今日は防犯登録の証書と予約票だけ書いて、朝になったらまた来たらいいよ」
店長がそう言ってくれる。大急ぎで仕上げてくれるという意味だろう。
「それじゃあ、明日また出直してきましょうか。それとも――」
ソーハの目に、ちょっとイタズラっぽい輝きが宿る。少しだけ悪いことをしよう。そう言いたげな笑顔を向けて、
「今夜は、どこかで一晩潰しますか?」
ソーハにしてみれば、これはちょっとした冒険だ。
男子二人で、夜中までカラオケしたり、ボーリングしたり、ゲームしたり……
そうして朝になったら、またこのお店にくればいい。高校生になったばかりのソーハにとって、当然のように憧れるシチュエーションだ。
「そ、ソーハさんと、一晩一緒に……?」
問題は、ノボルにとって男女で一晩を過ごすという……それも未成年の相手に誘われて、二人きりで……という意味になるわけだ。
「ソーハさん。そういうのは、本当に好きな人と一緒のときにだけ言うことだと……」
「え? ボクはノボルさんのこと好きですよ」
「いや、え? は?」
混乱するノボルを、ソーハがにこやかに誘っていく。
「今夜は、寝かせませんから」
ちなみに、ソーハが男だと知っている店主は、このやりとりをほほえましそうに見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます