臨機応変ってこういうこと

 運転を交代したノボルは、周囲をさっと見渡す。右コーナー入りかけたあたりまで直進して止まっている状態。そこそこ面倒くさい。

「あーしよく分かんないんだけど、これって難しい感じ?」

 助手席に座ったキタローが、どこか申し訳なさそうにシートベルトをかける。

「まあ、一発じゃ難しくなっちまったな。切り返すか」

 後方を確認してから、リバースギアへ入れ直す。そのまま少しだけ後ろに下がると、油圧ブレーキで停止。

 そして、そのままドライブではなくセカンドにギアを入れ、アクセルを吹かさずに半クラッチ。

「あ、あれ? これ大丈夫なのー?」

「あー……うん。教習所でやっちゃダメだな。でもぶっちゃけ坂道発進でもなければドライブ使わないし、このクルマはエンジン強いから大丈夫だ。コツはクラッチの繋ぎ方だぞ」

 充分に加速したら、続いてサードギアを使わず、一気にトップへ持っていく。これもクラッチさえ上手く繋げば可能だ。

「次も左折だな。ちょっと道幅が狭いから、膨らむぞ」

 交差点を左折。このとき煽りハンドルを入れる。つまり右に膨らんでから侵入する。

「これもダメって、何かで聞いたことがあるんだけどー?」

「よく予習してたな。でも仕方ないんだ。クルマは直角に曲がれないからな。今みたいに曲がった先が細い道の場合は、車輪を落とさないように煽りを入れるしかない」

「そんなんアリ!?」

「アリだぞ。全然あり。結局は曲がる前に膨らまない代わりに曲がった先で膨らむか、曲がる前に膨らむ代わりに曲がった先で膨らまないかの2択だ。ある程度膨らんだ方が視界も確保できて、巻き込み事故も減る」

 とは、あくまでノボルの持論だ。もっとも、横断自転車帯を利用して直進する自転車などがいる場合、左寄せから左折するときが最も危険なのも事実ではある。


 ぶぅぅううん。ぷすん……


「あれ? エンジン止まったよー。えんじんすとーぶ?」

「それを言うならエンジンストールな。つーか、これは止まったんじゃなくて、止めたんだ」

「何で?」

「ここからは緩やかな下り坂だからな。クラッチ踏むかギアをニュートラルにしておけば勝手に進む。ガソリン代も節約だ」

「そんな方法もあるんだねー」

「エンジンブレーキが利かなくなるから、免許試験でやったら一発で失格だけどな」

「ブレーキ利かないの!?」

「安心しろよ。油圧の方は利くから」

「大丈夫なん?」

「まあ、自転車だって下り坂は漕がないだろ。似たようなもんだよ多分」

 次のコーナーは煽りハンドルを使わず、ただキープレフトしたまま曲がる。曲がる前が狭く、曲がった後の道が広い時は有効だ。

 ハンドルをまっすぐに戻すときは、両手を交差させて綺麗に交代させながら……などはしない。片手で軽く回し、もう片方の手は添えるだけ。パワーステアの場合はしっかり持つことより、とりあえず早く回すことの方が重要である。

(よくよく考えてみれば、俺も教習所で習った事の8割くらい使ってないな。まだ運転歴1年くらいだけど)




 その後、何度も練習と休憩を繰り返して、ついにキタローは前に進むだけなら問題なく出来るようになった。とはいえ、まだコースの取り方は荒いし、ギアはセカンドしか使えないのだが。

「初日でここまで出来るなんてな。俺よりもずっと呑み込みが早いぜ」

「ノボルはどのくらいかかったの?」

「そこまで行くのに4日間ってところかな。まあ、教習所だと仮免取得までは一日に2時間しか乗せてくれないし、乗り方のほかにも覚える項目が多すぎて、大変だったんだ」

「へー、でも4日で乗りこなせるならすごいじゃん。そんですぐ仮免?」

「いやいや。まだバックとか坂道発進とか、やってないだろ。……で、それが出来たころにオートマに乗せられるんだよ。これがまた混乱の元でな」

「やっぱ違う感じー?」

「ああ。今日は徐行するとき、左足で断続クラッチしながら進んだだろ。あれがオートマだと右足になるんだ。ブレーキペダルを使って断続ブレーキしながら進む」

「ブレーキで進むの?」

「厳密には、ブレーキを離したときに発生するクリープ現象で進む。断続クリープって言った方が正確かもな」

「ふーん。分かんないや」

 いっぺんに教えても混乱するだけなので、ノボルも詳しい説明を避けた。分からなくていい部分が、きっとたくさんある。そのうちいつか分かる時が来たら、もう一度同じ話をしてみよう。ノボルはそう考えていた。

「っていうかー、何でMTなの? AT限定で良くない?」

「ああ。俺もどうせならそっちをお勧めするぞ。教習所のスタッフ一同にもみんなに訊かれたよ。『何でマニュアル?』とか『仕事で使うの?』とか『最終的にどこまで欲しいの?』とか」

「どこまでって?」

「大型とか牽引とかの話だろ。俺は普通車で十分だよ」

「だよねー」


 朝日が昇り、周囲もすっかり明るくなっていた。そろそろ近所の人たちが散歩を始める頃だ。実際、遠くからクマ避けベルの音がする。田舎の散歩には欠かせないマストアイテム。

「そろそろ教習所ごっこも終わりだな。これ以上の無免許運転はリスクが大きすぎる」

「うん。今日はありがとーね」

「いいさ。また気が向いたら続きをやろうぜ。今日は送ってくよ」

「……うん」

 ノボルの運転は、確かにあまり行儀がいいものではない。ハンドルを持つときに真横の方を掴んだり、肘を外側に向けて齧りつくように持ったりする。シフトレバーの使い方も激しいし、左足なんかクラッチに乗せっぱなしだ。

 それでも、

(やっぱ、カッコイイなー)

 ノボルが教習所ごっこの時だけ見せる、お行儀のいい運転よりも、

 いつもの雑な運転の方が、キタローの心を掴んで離さなかった。

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