第10話

 おそらく、子連れの方だろう。

 前もって言われていたのが、自分と西奈合わせて計四人が来るという話だったはずで、さらに子供が一人来るとも言っていたので、誰かの子供だろうなと思っていたのだけれど、扉を開けてみると、外に立っていたのは目算小一か小二ほどの背丈しかない、女の子だった。

 その女の子は、白いワンピースを着て頭には麦わら帽子を被っている。絵に描いたような小学生だった。

 外をチラチラと見ても、親らしき人物は見えず、もしかしたら迷子になってしまっただけなのでは、そう思い訊いてみる。

「どうしたの? 迷子になっちゃった?」

 雪花せつかは自分でも驚くほどに猫撫で声になっていることに気がつくと、吐き気がしたし、今の状況をもし部屋の中の二人に見られたら必ずと言っていいほど馬鹿にされるに決まっている。

 すると、そんな気持ちが悪い女子高生を目前に少女は言った。

「迷子じゃない……」

 迷子じゃないらしい。

 じゃあなんなのだろう。

 と考えていると、目前というか、雪花からだと眼下の少女がボソボソと言った。

「あの、私、西奈の友達なんだけど」

 雪花は一瞬、親が後から来たのかもと視線を下から上に戻したけれど、そこにはやはり誰もいない。

 いるのは眼下の少女だけ。

 ということは、今喋ったのは、この少女ということになる。

 この子が、西奈の友達ということになる。

「本当に?」

「うん、本当に。」

「西奈さんのファンガールが嘘を言って家に上がろうとしてるとかではなく?」

「何言ってるの? そんなわけないじゃん。私は西奈の立派な友達、今日はたまたま仕事が早く終わったから遊びに来ただけ」

 もう上がっていい? そう付け加えた少女に雪花は、首を縦に振ることしかできなかった。

 何故ならここまでの流れ的に、西奈の友達ということは、何かしらの才能を持った人物であるのは間違いが、ないのだ。

 それに、西奈も言っていた。

「凄い奴等がいる」って。

 それがこの二人のことならば、納得してしまう。

 靴を脱いで、小さな鞄を横に下げている少女は、慣れた手つきと足つきで、リビングへと向かった。

 おそらく何度もこの家に来ているのだろうと、思わせる様子だった。

 その後を追うように、雪花も足速にリビングへと向かう。

「おおキタキタ」

 リビングの扉を開けるとウキウキした声音で、西奈が手を挙げ歓迎する。

「よっすもも

「こんにちは、西奈、それから嫌味ったらしい私の大嫌いなあや

「ああ、こんにちは、ワタシも君のことは嫌いだよ桃ノもものき

 なんだろう、この部屋に入った瞬間に三人の関係性が全て読み解けてしまうような会話は……。

「あんたはいつもそうやって、私は嫌われてもなんともないですよー、みたいな顔して……なんなのホントにムカつく」

「なんともないですよー」

 あはは、と心底少女を馬鹿にするかのように笑う大胡。

「ああ、もう!」

 と家に入って来て早々ではあるが、そろそろ、怒りが爆発しそうな少女を横目に、雪花は西奈に耳打ちする。

「あの、これって止めなくてもいいんですか? 正直あの子今私が見る限りは普通の小学生ですけれど」

 すると西奈は、うーんと適当な返事をしてくる。

「まぁ、いいんじゃない? いつもこんな感じだし」

 いつもこんな感じって……それってまずくないの?

「まずくはないでしょ別に、だって──」

 言って西奈は、視線をもっぱら喧嘩中の二人に戻して、続けて言う。

「二人共なんだかんだ言って、仲良いし」

 雪花は、思う。

 やっぱりこの人の仲が良いかどうかの判定、どこかおかしいのでは? 少なくとも雪花の目には仲が良いようにはとてもじゃないが、見えない。

「そう? あたしはこれで良いと思うよ。喧嘩している内は、少なくとも互いに無関心ではないんだからさ」

「そういうもんなんですか?」

「そうだよ。そういうもん。関心が無いってのが、一番辛いんだよ。人間関係ってのはそういうもん」

 すると、喧嘩の直中だった少女が助けを求めて西奈に近寄ってくる。

「西奈ー、綾がいじめてくるー!」

 少女の目には、若干の涙が浮かんできている。

 雪花は目を引き攣らせて大胡の方に視線をやると、大胡おおごは、なんとも思ってなさそうに表情をすんとさせていた。

 この人も西奈と同格かそれ以上に、人格に難ありな人物なんじゃなかろうか。

 普通、少女を泣かせて、その表情できるか?

 雪花は、再度、少女に視線を戻して西奈と少女の様子を伺う。

「綾が……ぐすん綾がー」

「おーおよよ、どうしたんだい? お姉さんがお話聞いてあげるから話してみな?」

 西奈は、そんな風にわざとらしく言いながら、少女を撫で始める。

「綾がね……ぐすん……私のこと……ぐすん……いじめるの……私がどれだけ言い返しても、すぐ反論してきて……私を……!」

 雪花は思う。

 なんだろうこの母性をくすぐる少女は──と。

 今まで人に対して全くと言っていいほどに無関心だったのにも関わらず、どうしてだろう。

 無性に──今すぐに──この子を抱きしめたい。

「そうかいそうかい、それは大変だったね。綾、謝んな」

 そして横に母性が爆発寸前の女子高生を置きながら、西奈は母親のようなことを言い出した。

 対して大胡は、子供のようなことを言い出した。

 小学生らしき人物が目前にいるのにも関わらず、小学生と変わらない言動をとった。

「嫌だよ。ワタシは悪くない……その子が嫌いだのなんだの言うからそれに対しての反論をしてただけだし、文句を言われる筋合いはないよ」

「そんなこと言わずにさ、二人共本当は仲良しなんだから、一言ごめんなさいで済む話でしょ?」

「すまないもん」

 言ったのは、少女。

 なんとも可愛らしい。

「私……もう許さない。今日から綾とは絶好だから!」

「どうしてそうなるの」

「いいよ別にワタシはそれで、むしろその考えを歓迎するよ。さよなら桃」

「綾まで」

 予想外だったのか、西奈は同様の色を見せる。

 目をキョロキョロさせて、少女と大胡に交互に目をやり、あたふたしている。

 こんな西奈を見るのは、雪花にとっては初めての経験だったので、雪花自身も少し動揺をしてしまうが、一応自分が西奈のメイドだということを思い出し、声を荒げた。

「大胡さん!」

「お、なんだい? 君もこの喧嘩に混ざりたいのかい?」

 あくまでおどけた態度は、崩さずに受け答えする大胡に、怯むことはなく雪花は、さらに言い詰める。

「あなたは大人ですよね?」

「もちろんだとも」

「ならそんな子供みたいな態度は、今すぐにでも辞めてください。どうせあなたのことなんで、自分は天才だからとかどうとか言って今まで甘やかされてきたんでしょうけれどね、世の中そんな甘くないんですよ。人を泣かしたらどれだけ自分が悪くなくても、ごめんなさいそれがルールなんです。どちらが正義なのかどちらが悪なのかは、その後に決めればいいんです。だから……謝ってください」

 主人のあんな顔は見たくない。

 見ていて気持ちがいいものでは決してない。

 だから雪花は、恐れることなく立ち向かう。

 訊いているのかどうか判断もつかない大胡は、一旦置いておくことにして、雪花は次に少女に目を合わせた。

「えっと、桃ノ木ちゃん?」

 言って確認の意味も込めて西奈に目をやると、西奈はコクっと頷いた。

「桃ノ木ちゃん」

「何?」

「君はね、子供ってことに甘え過ぎだよ。おそらく西奈さんの友達ってことは、何かしらの天才で、だからこそ世の中から甘やかされて生きているんだろうけれど、そんなのはこの世の中じゃ通用しないよ」

 なんて大胡の時もそうだったけれど、世界を世の中とか言っちゃう、結局痛いやつに成り下がっているのは薄々感じながらも、無視して雪花は続けた。

「子供の時は甘えても良いと思う。私もそう思う。けれど、やっぱり人に対してすぐに嫌いとか言うのはお姉さんよくないと思うんだ。しかもそれが原因で喧嘩になったりしたら誰も、幸せになれないよ」

 大変なブーメランになっているけれど、今回は無視することにした。

 おそらくは、大胡と西奈から見たらこいつ、情緒不安定だなと思われているはずだけれど、それも今回は無視。

 自分が間違った行動をした後に、それと同じ行動をした人を見たら止めるのが、正解なのだと、雪花は思う。

「だからさ、桃ノ木ちゃん。一回謝ろう?」

 言って雪花は、西奈の胸で泣いている桃ノ木の手を引っ張り上げ、大胡の目前へと連れて行く。

「さ、二人共。頭を下げて……はいせーの」

 片方はぷいと顔を反らし、もう片方はニヤニヤしている。

「もう! 早く謝って!」

 言いながら、雪花は互いの頭に手を置き無理矢理にグググーっと下げさせ、言った。

「はーやークー! 謝って!」

 その時点で、雪花からは二人の表情の確認のしようはなかったけれど、二人が、表情を変えたのは何故だかわかった。

 雪花は、ゆっくりと手を離し、二人を見守る。

 しばらくして大胡は、頭裏に手を回しながらどこか照れ隠しの様子を見せながら──桃ノ木は、下を俯いたまま言った。

「ごめん」「ごめん……なさい」

 その瞬間、後ろでビクビクしていた西奈が、二人に勢いよく飛びついた。

「よかったよー、もうこのまま二人が本当に絶好なんかしちゃったら、あたし……あたし……」

 そんな西奈に、雪花はすかさずツッコミを入れる。

「元はと言えば西奈さんが悪いんですよ? 最初から止めに入っておけば、こんなことにはなってなかったのに」

「何々? 次はあたし?」

「そりゃそうですよ、今回は完全に西奈さんのミスです」

「そう……かな」

「そうです。なので私の言うこと一つ聞いてください」

「お願い? お願いか。正直脈絡無さすぎでしょとは思うけど、まぁいいよ今回は確かにあたしにも落ち度はあったと自分でも思うから、特別ね」

 その言葉で、雪花は興奮を隠しきれずに勢いよく西奈に目を合わせる。

 周りに残っている二人は、このやり取りをふざけたやり取りだなっと笑ってみているだけで、話に入ろうとはしない。

「本当に? 本当にいいんですか?」

「うん、別にいいよ。ただ、毎日のセーラー服無しにするとかはダメね」

「ああ、いいですそんなどうでもいいこと」

「どうでもいいの? 初めてその話した時とか結構嫌そうにしてたのに」

「そうですね、でも今はそんなこと気にしてられません。私の抑えられていた心が、今すぐにでも爆発しそうです!」

「そう、まぁあたしはセーラー服以外なら、特段辞められて嫌なことも無いし、逆にあたしが何かをやるのも嫌じゃ無いしね。いいよ、言ってみな」

「やった! じゃあ言いますね」

 と雪花は一度咳払いをし、なるべく自分が気持ち悪くならないように、声音を整え、視線を西奈から桃ノ木へと変え、言った。

「桃ノ木ちゃん──いや桃ちゃん! 抱きしめさせて!」

 そんな突拍子もない雪花の願いに驚いたのは、西奈はもちろんのことだが、桃ノ木は西奈以上の驚きを見せていた。

「私? 西奈が何かするんじゃなくて?」

 続いて西奈も口を開く。

「そうだよ、これあたしが何かをする話の流れでしょ?」

 対して雪花は、さも当然であるかのように返答をする。

「いや、何言ってるんですか? 今更西奈さんに何かしたいとかされたいとかあるわけないじゃ無いですか、そもそも何かお願いがあるなら私、何度もする機会ありましたし、その時にしていないってことは、つまりはそういうことですよ」

「そういうことって言われても、なるほどねとはならないけど、というかどうして突然、桃を抱きしめたいだなんて、雪花ちゃんって子供とか大嫌いな部類の人間でしょ?」

「まぁ、そうですね。大嫌いでした──数分前まではですけれど、今はなんかこう、抱きしめて撫で撫でして、私の胸で泣いてほしい。そういうなんて言うんですかね、母性? 的なモノがふつふつと湧き出てきてるんですよ」

「それは何、さっきまでの光景を見てってこと?」

「そうです──けれど自分でも驚いてるんですよ、自分の中にここまでの母性が眠っていたことに」

 言って雪花は、ということでと続ける。

「ということで、桃ちゃん抱きしめてもいいですか?」

「どういうことでなのかは、正直わからないけど、そういうのはあたしに訊くんじゃなくて、本人に訊いた方がいいんじゃない?」

 西奈が、ほらと指を刺した方に目をやると、そこでは表情をこわばらせ、目を引き攣らせ、人間(雪花)をゴミのように見ている桃ノ木の姿があった。

「大変蔑んでいる様子だよ」

 と西奈が忠告の様なことを言うと、雪花はニヤっとした笑みを浮かべた。

「なんか、いいですね、こういうの。小さい女の子に蔑まれるの。正直、感情がとても昂ります」

 言って雪花が、ニヤニヤと桃ノ木を見ていると、桃ノ木がボソっと聴こえるかどうかギリギリの声量で、呟いた。


「キッモ」


 その呟きは、全世界に拡散されることはなかったが、ただ一人の価値観を変え、悶えさせる程には力のある呟きだった。

 雪花は、体が熱くなるのを感じながら、再度西奈に目をやる。

「西奈さん、私今まで勘違いをしてました」

「勘違い?」

「そうです勘違いです。私今まではマゾの人達って死んだ方が良い人種だと思ってたんですけれど、それは違いました──虐められるのはとても気持ちがいいモノです!」

「いや、こんな時に共感されても嬉しくなんてないけど、それにもう、結構本気で桃引いてるじゃん」

 言葉の通り桃ノ木は、雪花から距離を取り、先ほどまで喧嘩していたはずの大胡を盾にして身を守っていた。

 そこまでなのか……。

 そんな事にもめげずに雪花は、一歩また一歩と桃ノ木との距離を詰めて行く。

「桃ちゃんー、私、怖くないよー優しいお姉さんだよー、変な事なんてする気もないし、ただちょっとだけ抱きしめたいだけなんだから」

 側から見たら十分に危ない光景ではある。それに服装も相まってか、もし今警察を呼ばれたら即刻逮捕されるであろう、光景だった。

「いーやーでーす! お姉さんに抱きしめられるぐらいなら綾に抱きしめられた方が、幾分もマシ!」

「そんなことないと思うよ。そりゃ西奈さんと比べたら包容力のカケラもないかもだけれど、流石に大胡さんには勝ってるし!」

 言って雪花は、自分と大胡を交互に見比べ密かにガッツポーズをとった。

「そういう話じゃなくて!」

 そんな馬鹿騒ぎを二人は数分行い続けた。

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