台本作品　二次創作ストーリー

　その夜は、風が優しく街を撫でる、星の美しい夜だった。

「エルギア。こんなとこで何してんだ」

　悪魔たちの住む塔の屋根の上。もう街には誰もいない真夜中の、閑静な景色を神妙な面持ちで眺めていた後輩に声をかけた。

「別に、なにも」

「じゃあ帰れよ」

「……うざい」

「は？」

　ほんとになんでもないはずなんだけど、と膝を丸めて座りこむ彼の隣に、自分も腰を下ろす。風は気持ちがいいけれど、景色は良いわけでもない。

……ただ、大きな月から降りてくる光が、彼や自分のゴーグルに反射する様は悪くなかった。

「なんでもねぇなら、こんなとこにいるわけねぇだろ」

「……」

「何考えてたんだよ。ま、お前のことだからどうせまたくだらねぇことだろうが」

「くだらないってそんな言い方しなくてもいいじゃん！」

　ぎゅっと己の拳を握りしめて、口を引き結ぶその姿に、なんでもない、という答えは不釣り合いだった。嘘が下手。隠すのが下手。そんなに顔に出ていちゃ、気づいてくださいと言わんばかりだ。

「……オレたちさ、レイダやイチカのこと、ずっと見てるじゃん」

「俺は見てねぇよ。お前だけだろ」

「いやそう言うことじゃなくて！」

「人間ってことなら、まぁそうだな」

　膝に垂れる三つ編みをいじりながらおずおずと話し始める彼の話に、自分は大きな月を見上げながら耳を傾ける。

「前は何も思わなかったのにさ、最近二人を見てるとちょっと思うことがあって」

「おう」

「あ、これはこの街が嫌とかそういう話じゃないからそう思わないでほしいんだけど」

「おう」

「もしかしたらジンには笑われるかもしれないけどオレは本気で思ってることで…」

「分かったから早く本題を話せ」

　ぐだぐだ長い前置き。これは不安の形。

面倒くさい。こいつが口に出した不安や悩みは今までにごまんとあった。それらに対して自分が笑ったことなんてなかっただろう。

「人間って、いいかもなぁ、って」

「あ？」

「ほ、ほら！！そういう反応するでしょ！だから嫌だったんだよ！」

「うるせぇな違ぇよ。急になんだと思っただけだ」

「う……そんなの、オレだって思うよ。意味分かんないし…」

　エルギアは生前、世の中の暗い部分を生きすぎた。そして自分から人間をやめた。そんな話を聞いている。

「……オレたちってさぁ、ここで働いてる限り、生まれ変わることとか、できないじゃんか」

「そうだな。…なんだ、また人間になりてぇのか」

「……なんか、生きてみたいなって。イチカとかレイダの話聞いてるとさ、今の現世って、オレたちの知ってる時代とはもう違うじゃん」

「そりゃな」

　自分もエルギアも、生きていた時代はもうとうの昔だ。自分は戦乱の世の中しか知らないし、エルギアは文明が開化していった時代しか知らない。

今の現世のことなんて、自分たちは何も知らない。

「今の現世でなら、オレも変われるんじゃないかって思って。……それとも、鼠の子は鼠のままかな」

「鼠ねぇ。なんだ今夜は。病んでんのか？」

「やっ…！違うし！そうやって真っ向から言ってくるところ、ほんとデリカシーない！！」

「はっ、戦国大名様相手に横文字使われてもなぁ？」

「もうほんと最っ悪…！」

「時代が違えば、環境は変わる。環境が変われば人は変わる。今のお前を見て、鼠なんて言うやつぁいねぇよ」

　薄汚い鼠の子。エルギアが生前、言われてきたことだ。身寄りがない子供なんてのは自分の時代では珍しいものでもなかったが、こいつの時代はどうも違ったらしい。

「今の現世でなら、オレ変われるかな」

「別に、今だって変わってんじゃねえのか？」

「え」

「生前のお前と今のお前、一緒ってこたねぇだろ」

「……まぁ、たしかに」

　一つ聞いてもいい？とエルギアの瞳が遠慮がちに自分を見上げる。それにおう、とだけ返した。

「ジンはさ。何歳のときだったの？…死んじゃったの」

「俺か？……三十一だな。たぶん」

「たぶんって」

「しょうがねぇだろ。歳なんて気にしてなかったんだ」

「ふーん。でも、意外かも。もっと長生きしてるのかと思った」

「長生きったってなぁ…。あの時は、人間五十年、なんて文句があったくらいだ。三十一まで生きりゃ、俺にとっちゃ万々歳だったぜ」

　自分の生涯に悔いはない。生きられるだけ生きたつもりだ。

たとえそれが他人からすれば短いものだったとしても。

「やっぱり、戦いで死んじゃったの？」

「あぁ。武士らしく、戦場で散ってやったさ」

「かっこいいなぁ」

　討ち死にだった。武将としてはよくある最期。処刑じゃなかっただけマシだと思った。最後に見た、沈みゆく日の残した朱い空を今でも覚えている。あれは今までに目にした何よりも美しかったと豪語できるものだった。

「エルギアは？お前も若かったんだろ」

「………二十六。…世の中の、目に、耐えられなくて。それで」

「へぇ、そうなのか」

「へぇって、なんかもっと言うことないわけ？」

「んだよ」

　もういいとぶすくれる彼が、ポツリと言葉をこぼす。

「オレ、もう一回人間として生きてみたい。でも、怖いんだ。臆病で弱い、三好悠馬に戻っちゃうんじゃないかって」

「大丈夫だろ。今のお前なら」

「そうかな」

「ま、多少面倒くせぇところは直さないとだろうが」

「ちょっと！！」

　二人の交わす軽口が、大きな夜空に吸い込まれていく。

月を撫でる風がエルギアの三つ編みを靡かせ、そのまま自分の肩に当たった。

それを手に取り、毛先に向かって小さくなっていく三つ編みをなぞる。

「成長したよ、お前は」

「え、なんだよ、急に」

「ここにお前が来た日のことを思い出したんだよ。ボッサボサの髪で冴えねぇ顔してよ」

「や、やめてよ！黒歴史すぎる」

「なーにが黒歴史だよ、お前が必死に生きてきた証拠だろ。大事にしとけ」

「っ……！！もうほんと、ジンって意味分かんない！！」

　この夜のことは、自分とエルギアしか知らない。

この後、夜明けまで話を続けたことも、今の現世に生まれたらどんな人生にしたいかと転生について妄想を語り合ったことも、二人しか知らない。

きっと、それでいいだろう。悪魔は人間を支える。そんな悪魔にも、考えたい何かが、夢を見たいいつかがある。そんなことは誰にも知られなくていい。

「……はぁ、行っちゃったね」

「だな」

「よかった…ほんとに…。…でも、やっぱりいざとなると寂しいな」

「なぁお前、あいつのこと、なんで助けたんだ？自分と似てたからだけか？」

「え…ははっ、違うよ。レイダ…ううん、江田川麗っていう、一人の人間だったからだよ。麗だから、助けたいと思った」

「はっ、そうかよ。……はぁ〜〜〜〜あ…これじゃ、早く次の管理人を見つけねぇとな」

　それから程なくして、管理人のレーダとかいうやつと、一緒にいたイチが現世に帰った。二人の帰還には一悶着あったが、結果的に生きて帰すことができたとエルギアは喜んでいた。

「あー………めんどくせぇことは後にすっか！たまってる仕事やっちまおーぜ」

「めんどくせぇって…そっちが言ったくせに…！オレもやらなきゃだけど！」

　二人並んで帰って行ったあいつらと同じように、自分たちも並んで帰路を歩く。

仕事は山ほどある。次の管理人を見つけるために人間の滞在歴を帳簿から調べたり、そいつに頼みに行ったり、管理人に就任されたら諸々の手続きと管理の説明をしたり……。それ以外にも、今いる人間の使命達成状況や精神面の管理、街の店で働く下級悪魔たちの仕事状況。数え出したらキリがない。

けれど、今は……

「エルギア。お前、どうすんだ」

「何が？」

「転生だよ。あいつら帰ったんだから、もうここに思い残すことはないんじゃねぇのか」

「あぁ……」

「必要なら、上に転生申請届けに行くの着いてってやるぞ」

「んー……。ううん、やっぱり大丈夫。オレまだここにいるよ」

　エルギアの顔は晴れていた。これは意思を押し殺している顔ではない。

「いいのか」

「うん。悪魔って、何だかんだ楽しいし。待遇良い職場だし、羽で飛べるのも楽しいしね。それに」

「おう」

「粗暴でたまにデリカシーないけど、実は親切だって知ってる先輩もいるし？」

　エルギアは悪戯に笑って、自分の先を歩いた。

「……お前なぁ……」

「でもジンが転生するって言うなら、その時はオレもまた考えるよ。だからそれまではここで働いて、人間を支えていくことにする」

「そうか。……んじゃ、俺は今すぐ転生申請書いてやろうかねぇ〜」

「仕事が溜まってる人は書けませーん」

　少し離れた二人の距離は、また近づいて隣に並んだ。

管理人の小屋の整理もしなくてはならない。誰かさんがあの管理人の残していったギターで遊び始めないよう見張っておくのも仕事か、なんてまた軽口を叩く。

そんなことしないし！と耳を貫く高い声に笑いながら、自分たちはまた見慣れた街の空気に身を委ねて歩いた。