第3章 後宮の危機
第25話 舟遊びはきな臭い?
後宮の真ん中にある庭を月光苑という。
中心に月光池と呼ばれる大きな池があり、いくつか小さな島が浮かんでいる。池のほとりには東屋などもある、中華風の美しい庭園だ。
いま、庸介は桃華とともに小舟に乗っていた。手漕ぎボートほどの大きさの、数人乗ればいっぱいになってしまう小さな船だ。
しかも桃華が自分で漕ぎたいと言い出したこともあって、お互いお付きの女官を誰もつけることなく、小舟の上で二人だけになっていた。
桃華とは青龍宮に遊びにいって以来、ちょくちょくお互いの宮に呼んでお茶する仲にはなっている。
庸介にとっても、気さくな桃華は龍明の次に話しやすい相手だった。
少し離れたところを、鴨が数羽つらなってすいすいと泳いでいく。
朝の早い時間とはいえ、庸介は既にじんわりと暑さを感じていた。
小舟から池の水に手を浸すと、ひんやりとした冷たさが伝わってきて心地いい。
自分で漕ぐと言いだしただけあって、桃華はオールを器用に操り、小舟は池の真ん中あたりまでやってきていた。
(俺も正妃候補っぽくないけど、この人もたいがい正妃候補の姫っぽくないよな)
桃華は後宮に入るまでは大商家の娘として国内外を行き来して商談などしていたというから、他の姫たちとは趣がかなり違う。
深窓の令嬢っぽさはなく、どちらかというと外資系商社に勤めるバリバリのキャリアウーマンや世界を飛び回るバイヤーの女性に印象が近い。
「よしっ、ここまでくればええやろ。えへへ、こんなところまで連れ出して堪忍な、玉琳」
庸介は、首を横に振った。
「いえ、舟遊びってはじめてで面白いし、水がひんやりとして涼しいね」
「そうやろ! ウチ、一人で考え事したいときとかよくこうやって舟遊びしてんねん。ずっと女官に張り付かれたら、うっとうしくてしゃーないやん」
桃華はうんざりした様子で肩をすくめたので、庸介は思わず笑みをこぼす。
女官が四六時中一緒にいる生活は息が詰まるのも確かだ。岸辺には双方の女官たちがこちらを見守っているが、これだけ離れていると誰が誰だかわからない。
「それでな、今日、舟に乗ってもらったんは、玉琳と二人きりになりたかったからなんや」
桃華が、すっと表情を硬くした。いつになく神妙な表情に、なんだろう?と思って庸介は水から手を引いて座り直す。
女官には聞かれたくない話だろうか。
「あのな、玉琳。うちの黄家の分家の分家に李家っていうのがおるんやけどな。そこは全国で手広く鉱物資源の買取と販売を行ってんねん。そんで最近そこの商家に、妙な発注が相次いであったんや」
「妙な発注?」
「そうや。大量の硝石と硫黄の注文や。しかも奇妙なことに、隠して運搬することが絶対条件やったんや」
「硝石と硫黄……」
庸介は鉱物資源に詳しいわけではないが、なぜかその組み合わせに覚えがあった。少し考えて、庸介ははっとする。
「もしかして、火薬を作ろうとしてるとか?」
硝石と硫黄、それに木炭を特定の配合で混ぜ合わせると黒色火薬を作ることができる。
この時代には既に黒色火薬は発明されており、それを利用した兵器も開発途上であることは本を読んで知っていた。
「玉琳、ほんまに物知りやな。そのとおりや。そんでさらに奇妙なんが、その発注元いうんが、ここの軍部やったんや」
桃華は、池からでも見える鳳凰殿の大屋根を指さす。
「軍部が秘密裏に火薬を製造してるってこと?」
庸介は腕を組んで考える。軍部であれば、本来堂々と火薬を作ったり買ったりできるはずだ。そのはずなのにそうしないということは、予算外に決められた数量以上のものをこっそり集めているのだろう。
(一体なんのために……?)
軍部といえば、先の玉琳暗殺未遂事件についての香蓮の疑惑も晴れたわけではない。
(あれも妙な事件だったよな。もし香蓮があの暗殺未遂に関わっていたとして、まだ幼いあの子が一人でやったとは到底考えられないし。あの子が鳥好きなのは間違いないけど、そんな香蓮に毒鳥を渡したのは誰だ?)
毒を持つ鳥類や爬虫類はごくわずかだが存在する。しかし、元来鳥類は体内で毒を生成することはできないのだ。
それならどうやって毒を体内にとりこむのかというと、それは餌だ。毒を持つ昆虫を食べることによって体内でその毒が濃縮されて、羽根や皮膚に毒を帯びるようになる。
つまり、毒鳥が毒鳥であり続けるには、毒を持つ餌を与え続ける必要があるのだ。
後宮内においては外部の協力なしでは決して成り立たない。彼女のために外部から運ばれてくる物資の中に、毒を持つ昆虫を忍ばせ続けていたやつがいる。
(今回は玉琳がターゲットだったけど、龍明が飲食を共にすることもある。あいつが狙われていてもおかしくなかったのかもな)
軍部によって秘密裏に行われている火薬原料の大量買いといい、最近妙に軍部周りがきな臭い。
「それにしても、何でそんな話を私にしたの? 龍明様に直接言えばいいじゃない」
ふと浮かんだ疑問を口にすると、桃華は大げさに肩をすくめた。
「玉琳と龍明様は、特別に仲がええやろ? ウチ、龍明様がしょっちゅう玉琳のとこ行ってんの知ってんねんで」
そう言って桃華は、にやりと笑んだ。
それはおそらく特別な恋仲みたいなのを想像されているのだろうが、実態は全然違う。ただ剣を習ったりしているだけだ。しかし、それを言うわけにもいかないので、
「え、ええ、まぁ……」
曖昧に誤魔化すと、桃華はうんうんと頷く。完全に誤解されている。
「ええねん、ええねん。仲いいことはええことや。そんで、玉琳に話せばすぐに龍明様の耳にも届くと思うたんや。ウチが直接言うより、ほんまやと信用してもらえそうやん。
どことどんぱちするつもりなんかしらんけど、ウチは平和であってほしいねん。そやないと、商人があちこちの国や地域を行き来することができんくなるやんか。商売の発展には平和は不可欠やねん。
ここんとこ二十年ほどこの国は平和やったおかげで商業やら芸能やら文化やらいろんなもんがいっきに発展したんや。うちの家かてな、街の発展や街道の整備やらにぎょうさん金使ってきてん。どれも商業の発達に必要やからや。そういう努力を勝手に壊されたら溜まったもんじゃないねん!」
桃華が早口で捲し立てると、ぐっと拳を握って小舟の上に立ち上ろうとしたものだがら、小舟がぐらぐらと揺れた。
「うわわっ」
慌てて庸介は小舟の淵につかまる。桃華も船の揺れに耐えられず思いっきり尻餅をついて、あははと笑った。
「ごめんごめん。そういうわけで、玉琳には話しておこうと思うたんや」
揺れが収まってきて、庸介も座り直す。
「有益な情報ありがとう。私も気になることがあるから、調べてみる。ところで、火薬の材料以外にも軍部が最近こっそり買い求めたものがあったら知りたいな。とくに武器の類で」
「わかった。ちょっと本家のきょうだいたちと、分家の奴らにも聞いてみるわ」
桃華は快諾してくれる。
(軍部と秘密の火薬。まさかな……)
とっても嫌な予想が思い浮かんでしまって、庸介は内心ぞっとする。予想が当たらないでくれたらいいが、身の安全のためにも最悪の事態は想定しておいた方が良さそうだ。
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