第一章/囀り

(1)


 厚みのあるカーテンの隙間から差し込む陽の光が、薄暗い部屋の中をぼんやりと照らしている。

 夜の間にすっかり冷え切った空気が、刺のように毛布から出ている肩をちくちくと刺し、それによってアレクサンダーは目を覚ました。

「ん……」

 呻いてから軽く身震いし、はみ出している部分を布団の中に入れて肩まで覆おうとしたところで、腕の中にいる人物に気付く。

 アレクサンダーが眠っている内にベッドに入り込んでいたのは、成人しているとは思えないほど小柄で華奢な人物だ。この国の生まれではないことに加え、アレクサンダー自体が大柄の域に入るので、彼――いや『彼女』と並ぶと更に体格差が開く。

 子犬が母犬に引っ付くように、アレクサンダーの胸元にすっぽりと収まって寝息を立てているのは、アレクサンダーの婚約者のコガ・アオイだ。

 華奢なだけではなく、漆黒の短髪から覗く項も白の寝間着に負けない白く、元々童顔なのが目を閉じていると更に幼く見え、ともすれば、アレクサンダーにそういう趣味があるのかと疑われそうだ。しかも、彼女の事情により、ここ最近は頬の輪郭がより丸みを帯びているので、不名誉な誤解を招く下地に拍車がかかり、解くには正式に家族になるしかない状態だ。

 ともあれ、アレクサンダーはアオイの寝顔を見て頬を緩め、指先で彼女の項から肩甲骨を撫でた。

「ひょわ!」

 決してわざとではないのだが、外に出ていた側の手だったので指が冷たかったらしく、アオイが悲鳴と共にパッと目を開けて身を起こし、アレクサンダーの長い髪を引っ張る。

「寒いんだからやめろよ、そういうの!! 僕寒がりなの!!」

「痛い痛い痛い。すまん、二度とやらない」

 アレクサンダーも起きつつも、思わず笑いながら謝ると、アオイはぱっと髪から手を離し、嘆息した。

「アレックスって、そういうとこがまだまだ子供だよね」

 とアオイは言うが、アレクサンダーが寝入ってから、こっそりとベッドの中に忍び込んで来るアオイは猫のようである。機嫌が悪くなるので言わないが。

 婚前交渉を済ませた関係ではあるが、アオイはそちら方面に積極的な性格ではなく、そしてアレクサンダーも無理強いして満足する性質ではない。

 なので、普段はそれぞれの部屋で就寝し、アオイの気が向けば深夜にアレクサンダーの部屋に来て共に寝る、本当にただ一緒に寝るだけ、といった程度に留まっている。

 さておき、目が覚めてしまったらしく、アオイは伸びをしてからベッドを出、室内履きに足を入れるとガウンを羽織り、アレクサンダーに手を振った。

「じゃあ、食堂で」

「ああ」

 もう機嫌は直ったらしく、笑いながら廊下に消えたアオイを見送って、アレクサンダーはそっと息を吐いた。


 

 朝食を食べ終えると、アレクサンダーはアオイを館内の一室、客人を迎える応接室に誘った。

 ソファセットに向かい合って座ると、アレクサンダーは布張りのトレイの上に、球形に削られた透明な石を並べる。数は三つ、全て手に収まるサイズだ。

 アレクサンダーが促すと、アオイはそれを一つ手に持って掲げ、光に透かすように矯めつ眇めつする。

「硝子……じゃないね」

「材質は似ているが、少し違う。『魔石』となる水晶石だ」

「水晶はわかるけど、魔石?」

 球から目を離して、眼鏡のレンズ越しにアオイが見つめて来たので、アレクサンダーは頷いた。

 傍らに置いておいた手持ちランプをテーブルの上に乗せ、台座を捻ってシェードと取っ手部分を外す。アオイが球をトレイの上に戻し、上半身を倒して台座を覗い、そして、台座の中央に嵌め込まれている白い球を見て目を瞠った。

「これと同じやつ?」

「そうだ」

 頷いてランプを元通りにし、それから台座部分にある抓みを回す。と、ランプの中の球が光を放った。

「……こういう仕組みになってたんだ」

「ああ。これに限らず、この世界の生活は魔石によって支えられている。そして魔石を作っているのは魔術士、水晶を魔石へと変える力は魔術士から、水晶へ込める魔法は魔術士が契約している召喚獣から引き出される」

 興味深げに目を輝かせるアオイに微笑み、また抓みを回して光を消した。

「このランプに使われている魔石は、光の魔法を使う召喚獣によって作られている。厨房のかまどは炎の魔石、洗面所や浴室は水の魔石。他にも色々あるが、なんとなく分かるだろう」

「うん。魔術を使えない人でも使えるよう、魔法を水晶に込めてるって感じだよね」

「その通りだ。魔術士の中には、魔石を作る仕事をして日銭を稼ぐ者も多いんだが、それはそれとして……」

 アレクサンダーは球を一つ手に取り、掌の上に載せる。良く見えるようにアオイの前に掲げてから、召喚獣双頭の蛇アンフィスバエナの名を呼んだ。

「ルタザール」

 途端、アレクサンダーの波打つ髪が深紅に染まり、アオイが息を飲んで背筋を伸ばす。敢えて彼女には何も言わず、ただ球をじっと見つめていると、透明だった球の内部に赤い靄がかかり、やがて球に満ちるように色を変えた。

「うわあ……」

「これで、この水晶は炎の魔石になった」

 目を丸くするアオイに微笑み、赤い球をトレイの上に戻す。そして、隣の球を手に取ると、先と同様に、しかし今度は風の魔石を作った。

 それが終わると、残る一つの水晶を手に取り、アオイに差し出す。すると、アオイが仰天した。

「え、僕!?」

「ああ。ヘルミルダに呼びかけて、やってみてくれ」

 真顔で言い募ると、アオイは気が進まない様子だったが、そっと球を手に取る。アレクサンダーがやったように自身の掌に乗せ、深呼吸をした。

「へ、ヘルミルダ……」

 そう呼びかけると、アオイの髪が銀色に、黒の瞳が透明な碧へと変化した。集中する為か、すぐにその碧眼は閉じられたが、アオイが眉間に皺を寄せて唸る様子を無言で見ていると、しばらくしてからアオイが息を吐いた。

「ど、どう?」

 言いながら目を開け、色の変わっていない球を見て肩を落とす。

「やり方のアドバイス位、してくれないかな」

「悪いが、こればかりは感覚で覚えるしかない。召喚される魔法の流れをイメージして、それを注ぎ込むようにすれば……」

「うぐぐぐ……」

 渋面になって唸るアオイに苦笑し、手を伸ばしてアオイの髪を撫でた。

「一応これは魔術制御の訓練にもなっているから、最初は出来なくて当たり前なんだ。そう気落ちするな」

 そう言うと、アオイが僅かに晴れた顔を上げたので、手を引いて続けた。

「……時間がある時や気が向いた時でいいから、練習をしてみてくれ。失敗したら魔石が出来ないだけで、何かが起きる訳じゃない。気楽にな」

「うん……」

 アオイはまた大きな息を吐いて、水晶をトレイに戻した。ふとアレクサンダーが作った魔石に目をやり、問うて来る。

「これ、持ってるだけで魔術が使えるの?」

「いや、特殊な器具や呪文がないと使えないようになっている。そうでないと事故が起きかねないし、最悪の場合悪用もされるからな」

「へー」

 よく考えられてるね、とアオイは続け、頷いた。

 そこに扉をノックしてからレイモンドが現れ、一通の封書を渡して来る。封蝋印の紋章を見て、思わず口角を下げたアレクサンダーに、アオイが小首を傾げる。

「……ザックさんから?」

「そうだ」

 アレクサンダーが沈痛に頷くと、アオイが苦笑した。


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