この不幸がいつか幸せな思い出になりますように
もうどうなってもいいって思っていた。
人間なんてみんな死んでいいし、世界なんて滅べばいいって思ってた。
私は中学二年生のころ、いじめを受けていた。
ブスなくせに調子に乗っているかららしい。
ブスなのはほんとかもしれないけど、そんなに調子に乗ってたかな。
でも、私、体育祭とか、そういうイベントごとに積極的に参加するタイプだし、授業でも手を挙げて先生に質問したり、問題によく答えたりしてたから、そういうところが鼻についたのかもしれない。
いじめと言ってもひそひそと悪口を言われたり、筆箱の中を私がトイレに行っている間にあさられたり、お気に入りのペンとか消しゴムを盗まれたり、捨てられたりするくらいだけど。
でも、今日のはさすがにちょっときつかった。
放課後、下駄箱を見ると、自分の靴がなかった。
たぶん、どこかに隠されたんだ。
最悪、捨てられているかもしれない。
はぁーあ、どうしよう。
と思いながら、昇降口の辺りをうろうろしていると、声をかけられた。
「吉住さん? どうしたの?」
同じクラスの川本くんだった。
仲いいわけじゃないし、話したことすらないけど、彼のことはよく知っている。
私と同じでいじめられていたから。
勝手にちょっと親近感を抱いていたのだ。
「べつに何も」
「何もってことはないだろ、放課後なのに、こんなところをいつまでもうろちょろして。靴を隠されたんだろう? 実は俺もなんだ」
と言って彼もこの辺りをぐるぐると歩き回り出した。
「なにしてるの」
「探しているんだよ、君と俺の靴を」
「私の靴も?」
「うん、ついでにね」
お礼を言うべきなのだろうか。でも、自分の靴を探すついでみたいだし。
「じゃあ、私もついでにあなたのも探してあげる」
「ありがとう」
「礼なんていいわ、ついでだもの。私も礼を言うつもりないし」
「そうか」
なんか自分で言っといてなんだけど、変な会話だ。
靴はなかなか見つからなかった。
「人はなぜ人をいじめるのかしらね」
イライラした私は、いつのまにか、そんなことを言っていた。
隣にいた川本くんは、下駄箱に並んだ靴を見ながら、
「さぁ、でも、あいつらが君をいじめる理由はわかるよ」
「なんで?」
「君がかわいいから嫉妬してるんだよ」
と真顔で言われたので、面食らってしまった。
「それ、本気で言ってる? 私、ブスとなら何度も言われたことがあるけど、かわいいなんてあなた以外に言われたことないわ」
「本気さ、君はかわいいし、勉強もできるだろ、運動もできる、性格もいい、だから妬まれてるんだ、ちなみに、俺もそうだ、イケメンだし、勉強も運動もできるからいじめられているんだ、まったく困ったもんだね」
そう捲し立てる彼の顔を見る。
真剣そのものだ。
ああ、そうか、こいつ、バカだ、ただのバカなんだ。
「幸せな思い込みね」
「幸せな思い込み、いい表現だね」
と彼はケラケラと笑う。
何がおかしいのだろう。バカにされたことわかってないのかな?
「おめでたい人ね、あなたって」
「そうかもしれないな、でも、いいじゃないか、それで。その方が人生楽しい。あんないじめなんかして楽しんでいる奴らのせいで思い悩むほうがバカらしいと思わないか?」
と彼は微笑しながら言う。
バカだ、アホだ、と思った。
でも、そんな彼の考えに、またそんな考えをする彼に、どこか惹かれている自分もいた。
それから三十分後くらいに、職員用の下駄箱に私と彼の靴が入っているのを見つけた。
見つけた後、なぜかはわからないけど、私と川本君は笑い合った。
私と彼はその日以来、よく話すようになった。
●
あれから二十年も経ったのかぁと、中学の卒業アルバムを見ながら、考える。
まさか結婚することになるなんてなぁ。
なんて思っていた時、インターホンが鳴った。たぶん、夫が帰ってきたのだろう。
玄関へ行き、ドアを開けると、憂鬱そうな顔の夫がそこにいた。
「ただいま」
「おかえりなさい、どうだった?」
なんとなく、その顔から結果はわかっていたけど、訊かずにはいられなかった。
「ああ、だめだったよ」
先月、夫が務めていた会社が倒産した。今は失業手当をもらいながら、就職活動したり、日雇いのバイトをしたりしている。
「そっか……」
私はなんて言うべきかわからず、それだけしか言えなかった。
夫は手洗いとうがいをした後、冷蔵庫から缶ビールを持ってきて、ダイニングに行き、テーブルに缶を置いた後、椅子に座った。
「あんまり飲みすぎちゃだめよ」
「わかってるよ、なぁ、隆也は今日も引きこもっているのか?」
「うん」
「そうか……なんで人生、こんな辛いことばかりなんだろうなあ」
とプルタブを開けて、夫はごくりとビールを飲んだ。
ほんと、嫌なことばかりだ。
息子の隆也は学校でいじめれて、二か月前から不登校になって子供部屋にずっと引きこもっている。
私はパート先のスーパーの店長に、頻繁に肩や腕や腰などをボディタッチされるなどのセクハラを受けて、鬱になって、先週そこを辞めてしまった。
不幸のどん底だ。
でも……。
「確かに辛いことばかりね、でも、昔のあなたはそうじゃなかったわ、中学の頃はもっと前向きに生きていた」
「あの頃の俺はバカだったから」
「いいじゃない、バカで。ねぇ、私ね、あのころ、嫌なことばっかりで、もうこんな世界どうなってもいいって思ってたくらいだったの。でもね、今ではいい思い出になっているわ、だって、いじめられていたおかげで、あなたと仲良くなれて、恋人になって、結婚して、息子も生まれた、あの頃を耐えて、頑張ってきたからその幸せを手に入れることができた」
私は夫が飲んでいた缶ビールを一口飲んでから、言う。
「ねぇ、二人で頑張りましょう、この不幸をいつか笑って話すことができるようにするために」
「……うん、そうだな、頑張ろう」
それから私と夫は息子の部屋の前へ行った。
夫がドアをノックするけど、返事がない。
「出てきてくれないか?」
と父親が言っているのにもかかわらず、隆也は何の反応も返さない。
それでも、夫はあきらめなかった。
「なぁ、一緒にさ、ゲームしないか、隆也、俺とずっとやりたがっていたゲームがあっただろ、忙しくてなかなかできなかったけど、今、父さん、すごくそのゲームがしたいんだ。一緒にやろう」
返事がなかったので、やっぱり駄目か、と思ったけど、五分後くらいに、遠慮がちにドアが開かれて、息子が久しぶりに顔を見せてくれた。
「一緒にやってくれるのか?」
「うん……」
元気のない返事だけど、部屋から出てきてくれたことが私は嬉しかった。
「その、私もそのゲーム、いっしょにやっていい?」
「うん、いいよ」
「やった、じゃあ、今日は三人でたくさんゲームしようね」
私たち家族は久しぶりに笑い合うことができた。
これは小さな一歩にすぎない、
まだ全然問題は解決していないし、人生が辛いことばかりなのは変わらない。
でも、いつか、あの頃は大変だったなあって笑い合える、そんな過去にするために、頑張ろうって、そう思った。
ああ、この不幸が、いつか幸せな思い出になりますように……。
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