第2話 焼け石にバター

 レモンカード株式会社――アイドルのプロデュースを主軸とした芸能事務所。

 だが、いま社長室に集まっている5人の頭を悩ませているのは、ただ一つ。


 「売れない」


 売れない。売れない。びっくりするほど売れない。


 机を囲む4人を見渡しながら、佐藤さとう一寿かずひさ(37)は唸った。


「我が社のアイドルが……まったく売れん」

 声に覇気がない。胃に穴が開きそうである。


「みんな、それぞれ意見を出してくれ。打開策が欲しいんだ……!」


 期待と絶望の入り混じった目で、佐藤は部下たちを見た。



「……デートあるんで、帰っていいすか?」

 即答したのは、チャラさ全開の塩屋しおや浩二こうじ(26)。ネクタイも緩めっぱなし。


「いいわけ、あるか!!」

「いやぁ、アイドルとプライベートで絡むのもプロデュースっていうか……」

「絡むな! 企むな! 消えろ!」


---



「まくら営業、だよー」

 呟いたのは須崎すざき美咲みさき(25)。無表情だが、発言の破壊力がすごい。


「おい、ちょっと待て。何を言い出すんだ」

「するのは……アイドルじゃなくて、社長……」

「なぜ俺が!? 営業じゃなくて人身御供じゃねえか!」

「取引先のお偉方に、ムフフ……」

「クールじゃなくてフールだな、キミは!!」


---


「僕のデータによれば……」

 古びたノートパソコンを開いたのは村崎むらさき章太郎しょうたろう(24)。白い煙がモニターから立ち昇っている。


「……そのパソコン、OSは?」

「Windows95」

「データごと燃やしてこい!!」


---


「はわわ、はわわ……アイドル同士で、殺し合い……」

 声にならない悲鳴を上げたのは御苑みその皐月さつき(23)。顔は天使、発言は地獄。


「なるか! 刑事裁判なるわ!!」


---


 バンッ!!

 佐藤が机を叩いた。書類が舞った。胃も痛んだ。


「……なんで、俺、この会社引き受けたんだろうな……」

 遠い目をする社長。


 誰も答えられなかった。なぜなら全員、どうしようもないからである。


「……ああ、胃が痛い」

 佐藤は顔を覆った。


 売れないアイドル。暴走する社員。崩壊する事務所。佐藤は、これから、売り出そうとするアイドルたちの写真とプロフィールに、目を通した。


 どうして自分が社長になったのか。

 それを説明するには、ほんの少しだけ過去を遡る必要がある。


 ある日、前社長がこう言ったのだ。

 「君、代表ね」


 唐突だった。部長でも、平の取締役でもなく、いきなり「代表」がつく取締役。


 もちろん、冗談かと思った。だが、冗談ではなかった。


 前の社長は、会社の全株式を100%保有していた。

 つまりは、株主様。法的には「俺がルールだ」状態。


 株主総会? 1人で開催できる。

 議事録? 1人で書ける。

 代表取締役の選任? 1人で決めて、会社実印ポン。


 そして、佐藤は「就任承諾書(という名の、就任強制)」に無言でサインさせられた。

 もはや逃げ道はない。


 翌日には役員変更登記と改印届も完了。

 晴れて、いや、曇天のように――佐藤は「株式会社レモンカード 代表取締役」となった。


 そして2週間後、法務局の登記簿には――


 代表取締役:佐藤一寿


 の文字が、誰でも見られる状態で、ばっちり公示されたのだった。


「……こんなの、罠じゃん……」


 気づいたときには遅かった。

 胃薬が手放せなくなったのは、この日からである。



---



 社長就任から、はや二ヶ月。

 売れないアイドル。崩壊寸前の財務。気の抜けた社員たち。


 佐藤は、今日も会議室で頭を抱えていた。


 誰か、まともな意見を出してくれ――その願いは、無惨に打ち砕かれる。


 不毛。実に、不毛であった。


 絶望しかけたそのときだった。

 どこからともなく、かつての記憶が、ふと脳裏をよぎる。


――好きなものは、ないか?


 それは、かつての深夜番組での質問だった。

 売れないアイドルたちに、「自分の売りを探せ」という無茶ぶり企画でのひと幕。

 その問いを――社員たちに、ぶつけてみた。


「アイドルと、結婚して、手料理食べたいっすよね」

 塩屋は目を輝かせて言った。おそらく、下心100%。


「男の子のアイドルがさ、料理を作ってくれたら、胸がキュン、ってなるよー」

 須崎はBL妄想全開の目をしている。


「はわわ、料理の●人、みたいな……闘い……」

 御苑はなぜか震えていた。喜んでいるのか恐怖なのか、判別不能。


 そして――


「……『料理』……?」

「「「料理!!」」」


 会議室に、静かな感電音が走った。


「よし……その線で、企画を練ろう」

 佐藤が立ち上がった瞬間。


「任せてください、僕のPCが火を吹きます」

 村崎が誇らしげに、年季の入ったノートPCを起動した。


 ――ボン。


 薄く煙が立ち上り、村崎のPCが沈黙する。

 Windows 95、ついにその生涯に幕を下ろした。


 こうして「料理」という一筋の光を見出した彼らは、満を持して――


 次の会議で、企画を立てる……予定だった。


 だが、この5人にそれを期待すること自体が、そもそも間違いなのだった。


---


「……で、結局、何の企画にするんだ?」


 佐藤が言うと、会議室の空気が途端に重くなる。

 「料理」というテーマは浮かび上がったものの、そこから先が何も出てこない。


「狭い部屋であーだこーだ言ってても、アイデア出ないっすよ」

 塩屋が椅子を反らせながら言う。


「だよー。気分転換、大事だよー。移動しよーよー」

 須崎はペンをぐるぐる回して、退屈さを全身で表現している。


「……狭くて悪かったな。古いビルで悪かったな」

 佐藤の口調に、少しトゲが混じる。


「最近はカラオケボックスで仕事する人も多いですよ。リモートワークです」

 村崎が、どや顔で発言する。


「はわわ、はわわ、Wi-Fiもありますよぉ」

 御苑は拍手しながら謎のテンションで同意する。


「おい、村崎。お前のパソコン、無線LANは?」

「非内蔵です。というか、外付けも壊れてまして」

「……OSは?」

「98です」

「捨ててこい」


「じゃ、もうカラオケ行くか。コンビニで酒とつまみ買ってさー」

 塩屋が立ち上がりかける。


「まず、機種確認しないと、持ち込み制限あるかもー」

 須崎がスマホを取り出す。


「先に問い合わせましょう。あと、延長料金の確認も」

 村崎は手帳を開くが、メモには『98接続不安』と書かれていた。


「はわわ、はわわ、ついでにボウリングも行きましょう!」

 御苑が両手を上げてはしゃぎだす。


 その様子を、佐藤は半目で見つめていた。

 何かがおかしい。

 これ、たぶん――


「……ん? お前ら、遊びに行く気じゃないか?」


「じゃ、出発するか」

「お疲れさまでーす」

「社長、鍵は閉めといてくださーい」

「わたしたち、先に出てまーす」


 4人は、都合よく解釈した笑顔で、会議室から出て行った。

 まるで、金曜日の定時後のノリで。


「……お前ら、遊びに行く気だろ!? なぁ!? おーい!!」


 社長室に残された佐藤の声が、蛍光灯に反響して虚しく消える。


「……行かんぞ。絶対に行かんぞ。行ったら、負けだ……」


 言いながら、椅子にもたれた佐藤の視線は、机の上の自社アイドル資料に落ちる。

 やがて、ぽつりとつぶやいた。


「――企画、どうすんだ……」

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