第25話 『終わり』という概念
「……『扉』は如何なってしまったの?」
少年の言葉には説得力があった。しかし、その発言を立証する証拠は何一つとして存在しない。
少年はニヒルな笑みを浮かべ、
「……それが分かれば、苦労しないのだけれどね。シグナルは秘密主義者だった。外に文献を残そうとせず、組織崩壊時にはごく僅かを除いて焼却してしまった……と、そう言われている」
「それじゃあ、シグナルに関する情報は何一つ出てこない、と?」
それはそれでおかしい——メアリーは思った。
もしそれが真実なら、今如何してシグナルに関する情報が残っているのだろうか?
「……シグナルは如何して記録を残すことに成功したの?」
「成功した、というか。正確には偶然だった——のだと思うけれど。シグナルは書類は残していなかったのだけれど、それをコンピュータという媒体に残すことにしていた。それが、この研究所に残されていたのさ。ただし、『扉』については何一つ残されていない。それに関しては残念なことではあるのだけれどね」
「残されていない……」
メアリーは周囲を見る。
シュラス錬金術研究所——かつて化学兵器メタモルフォーズを作り上げた施設として知られ、スノーフォグのオーバーテクノロジーを実感させる施設の一つとして知られていた。
しかし知られていたとはいうものの、実際にそれを知っていたのは少ない。一般市民が知っていたのは、絶対に近づいてはならないというお達しだけなのだから。
壁面には破壊されたガラスの水槽や、機器類が並べられている。雑然とした空間だ。
「……でも、コンピュータといえど破壊されていたのでは? 良く情報を入手することが……」
「それが復元出来たのさ。そして、我々が情報を入手している——ヘブンズ・ドアがね」
少年は誇るようにそう言った。
「本当に……?」
いくらシグナルの技術が何百年も前の代物であったとして、そんないとも簡単に出来るのだろうか? 答えは否と言わざるを得ないだろう。
「シグナルは、本当にそんな隙を見せるような連中には——」
「メアリー・ホープキン、真実を目の当たりに——或いは理解出来ないからと言って、それを直視しないのは些か問題だと思うけれどね? まあ、シグナルを倒しても同じようにそれを名乗っている以上、少しは愛情モドキが生まれてしまうのは、少々致し方ないことではあるのかな」
「……この世界の何も知らないくせに、良く言える」
メアリーは冷たく言葉を吐き捨てて、少年を見る。
少年は手に持っていた薄い板を眺めながら、何か呟いていた。
「シグナルは……何故『扉』を見つけることが出来たのか。そして、『扉』は何故出現し、何処からやってきたのか——流石に何も残されていない。まるでわざと歴史の大見出しから消し去ったかのように。ただ、最後に残された記録にはある人間が書き記したメモが残されていた」
「ある人物?」
「リュージュ」
「!」
「知らないとは言わせないし、その反応ではそもそも言えるはずもない……。この世界を一度破壊しかけた存在であり、スノーフォグを科学大国へと発展させた存在でもある。全知全能の図書館にアクセス出来る『祈祷師』としての才能も持ち合わせていた……。きっと彼女が居なければ、もっと祈祷師という存在は続いていただろうけれどね。ある種、ガラムドからの血筋がほぼ途絶えたと言っても——」
「知っていて、言っているのでしょう?」
メアリーはくすくすと笑いながら、そう言った。
口答え、というのが正しいのだろうか。
「神ガラムドは、この世界を作り上げた——いや、正確にはこの世界に人間が文明を築き上げるその第一歩を踏み出した存在と言っても良い。その存在の血筋は二千年以上に亘り繁栄し、子孫は不思議な才能を皆持ち合わせていた。そのうちの一つが……全知全能の図書館にアクセス出来た、『祈祷師』という存在」
「知っているよ、無論知っているとも。歴史の大見出しから消え去った存在だ。多くの一般人は知り得ない情報であることもまた、紛れもない事実ではあるのだけれど」
「知っているのなら、余計なチャチャは入れないで。……祈祷師は、紛れもなく才能ではある。世界の人々が知る由もない、未来という概念——それを知り得る数少ない存在だったから。けれど、祈祷師の多くはそれを奇跡として、自らの力を誇示するために使おうとはしなかった。祈祷師そのものは強大な権力を持たなかった、と言っても良いでしょう。しかし——しかし、リュージュは違った。彼女は、世界を変えようと思ってしまったのね」
「……リュージュは語っている。地下深くに眠る、人類を複製した機械の存在を。大きな脳のみが保管されているような、人間の脳が電気的に再現されているような、そんな不可思議な空間——きっと未来永劫、この文明の技術レベルでは到達することもない、オーバーテクノロジーがあった」
「……そんなものが?」
メアリーは目を丸くする。
しかし、意外にもそれで腑に落ちてしまう。
何故リュージュは——スノーフォグは科学大国と言われるほど、科学技術が発展していたのか。
魔術や錬金術が跋扈していた世界で、何故科学という概念をそこまで発展させられたのか。
答えは、見てみれば単純明快なものだった——というわけだ。
「……過去にあった先人たちの遺物を使っていた、ということか」
「この世界は既に文明が栄えていた。それも遥か昔のことではあったのだけれどね。リュージュはそれに気付き、やがて考えたのだろう。……何故、それほどまでに高い技術レベルを持った世界が、一度崩壊してしまったのだろうか? と」
「……リュージュは、歴史の大見出しになりたいと言っていた。オリジナルフォーズを甦らせ、世界を混沌に貶めようとして……。でも、実際は違う、と」
少年は頷く。
「世界には『終わり』という概念が存在しているということに、気づいたんだ。このメモにも、そう書かれている。全知全能の図書館にアクセスして、未来永劫の知識を目の当たりにしたとしても……そこには一つの限界があった。その先には、幾ら頑張っても見ることが出来ない、何かが存在していた」
「何か……。それこそが『終わり』だと?」
「『終わり』というものに何が決定づけられるのかは、もはや分からなかったそうだ。だけれど、その時感じたのだろう。この世界には、上位存在が居ると。ガラムドでさえも制御仕切れない、或いは認知していないような存在が——と」
「……有り得ない」
メアリーは直ぐに否定した。
「そんなこと……有り得ない。それじゃあ、リュージュは振り回されていた、ということなの……。『終わり』という、確定していない意味のわからない概念に。そして、わたしもフルも、ルーシーも……!」
「振り回されていた、というのに関しては事実と言わざるを得ないだろう。はっきり言って、もはやこの世界の神も、世界そのものも信用出来ない。我々人類を、新たなる未来へと導いてくれるはずもない。即ち、確定された未来に突き進むことしか出来ない」
少年は歩き始める。
暗い部屋だったが、なんとか何もせずに目で追いかけることが出来る。
「生まれた時点で、既に死ぬまでの未来が確定されている——そんな世界があってたまるか。だから、ぼくは作り出すんだよ。この世界にはとらわれない新しい世界へと導いてくれる、新しい神を……!」
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