趣味とお偉いさん(ティーセット)

 家に帰る気が起きない。帰って怒られるのも憂鬱だ。今日中に戻ればいいという気持ちが沸き、抗うこともなく休んだ。


「少年、家には帰らないのかい」


 僕はこの人にならと今の気持ちを伝えた。


「ふむ、なら片づけを少し手伝ってくれないか?」


 僕は一も二もなく手伝うと言った。寒い中泊めてもらって、おいしいものを食べさせてもらったのだ。

 いつか何かの形で恩返しするのは自分の中で決めているが、このぐらいのことはしておきたいという気持ちもあった。

 お昼には何とか全部片付いた。お昼は少し過ぎたけどブランチだという彼女は僕を誘ってくれた。

 僕は言葉に甘えさせてもらうことにした。感じる恩はつのる一方だ。

 ふわふわの中身が半熟のチーズオムレツに昨日のバゲットの残りがご飯だった。

 チーズはモッツァレラ系のよく伸びるものとゴーダ系の香りと味が濃厚なものをちょうどよくブレンドさあれたもの(市販)を使ってあり、味もさることながらよく伸びてもちもちとしていたため、触感からとても幸せになれるオムレツだ。


 僕はそれらを食べながらお姉さんに質問した。


「ご飯にどうしてここまでの労力をかけているのですか?」

「なんでかぁ……美味しいものを食べるのが趣味だからかなぁ。少年にもあるだろう?趣味」

「……ありません」


 お姉さんは不思議そうな顔をした。


「ゲームでも本を読むでも何でもいいんだぞ?」

「……好きなものを持つと、親が罰を与えるときに一番に没収されてしまうんです。だから、趣味なんてものは持つ気にはなれないです。」


「そっか……なら、大人になったらこれが趣味って言えるものを持つ!これが目標なんてのはどう?」


 そう明るく提案してきたお姉さんを見て、少しの間僕は目を丸くした。


「大人になったらか……いいなぁ、それ」

「決まりだね。じゃあ、土曜日のお昼は空いてるかい?」

「友達の家で勉強すると伝えてきます。」

「そうかい」


 じゃあ、土曜日にこのメモのところへおいで、趣味を見つける手伝いをしよう。おなかもすかせておくようにね。


 その言葉にうきうきしながら家に帰った。

 いつも通りに怒られ、大切にできないものを没収され、次の土曜日になるのを待ち遠しく思った。



-------------



 そして、待ちに待った次の土曜日、僕は教えられた家にお邪魔した。

 チャイムを鳴らすと、インターホンから「カギは開いてるから」とだけ伝えられた。

 僕は戸惑いながらもドアを開けて「こんにちは」とあいさつした。二人分のこんにちはが返ってくる。

 

 そこには、緑一色の部屋があった。


「ああ少年、いらっしゃい。玄関入ってすぐ右の着替え部屋に君の分があるから。」


 お姉さんと、どこかで見覚えのある細めのおじさんがそこにいる。

 僕は誰だったか思い出そうとして思い出せない、のどに小骨の引っかかった感じのままに着替え室に入った。

 そこにはまたも女性もののドレスが置いてある。しかし、前回のパーティーの雰囲気の服とは別のもので、お嬢さまのためのファンシーな服だった。……さすがに、僕にこれは似合わないだろ。


 そう思った時だった。着替え部屋のドアがノックされた音が聞こえる。


「すまない、一緒に着替えるために入らせてもらうね」


 おじさんはそういうとそそくさと部屋に入った。


「ああ、そのドレスの着方がわからないのか。どれ、着せながら教えてあげよう」


 正直、知らないおじさんに着せ替えられるのはとんでもなく恥ずかしい。というか、いきなり部屋入ってきたな、この人。


 ただ、わからないのも事実。

 なんなんだよ、この服を作るときの型紙に糸を通したかのようなものは。


 僕は恥を忍んでお願いすることにした。


「よし、じゃあパンツだけになってこの白い服を着てくれ。」


 僕は恥ずかしさに、せめてもと後ろを向いて白いワンピースみたいな服を着た。


「次はこの靴下だ」


 ツタの模様の靴下が手渡される。履く。


「おっと、待ってくれ。立ち上がる前にガーターをつけねばな」


 彼はリボンのようなものを膝上のふとももできつく結んだ。


「さて次だ」


 着る。着る。着る。着る。着る。キレた。


「何枚、重ね着させるんです!?」

 

「あとちょっと!あとちょっとだから!」


 そういう彼はスカートの中のリボンを結び終えて立ち上がった。


「これでよし。あとは化粧を軽くのせて……完成!」


 部屋の外に出ると、鏡を持ったお姉さんがいた。

 鏡の中には完成されたお嬢さまがいたが、それよりも僕の目はお姉さんにくぎ付けだった。

 今までコートやスカートで見えなかった長い足が、限りなく黒に近い茶色いポニーテールが、眉目秀麗な執事というテーマで一つに整っていた。


 お姉さんは僕の視線に気づくと、自慢げな顔をした。

 僕は自然と褒めねばという気持ちになっていたが、ふさわしい言葉が思いつく前にお姉さんは鏡を置いた。


「少年、衣装は堪能したかい?」


 状況的には鏡を置いたものだから僕の姿ということだったのだろうが、僕には執事姿のことを言っているようにしか聞こえなかった。

 

「さて、今日の場所は屋外だ。ついておいで」


 少し行ったところのドアを開くと夏前の空気をたくさんはらんだ緑の庭があった。

 そこの奥にはきれいな白色で統一された……西洋風の東屋(?)があった。


「あそこに見える白いガゼボ、あそこに椅子があるから座って待ってて」

「ガゼボ……東屋みたいなやつです?」

「そうそう、私はまだ準備があるから一人で行ってね」


 そういったお姉さんはまた家の中に入っていった。

 それと入れ替わりになるように知らない女性が出てきた。一応挨拶をする。


「こんにちは」

「? 挨拶は君が家に来た時にしただろう?」


 ……まさか、あのおじさん? 着替えるの早すぎないか?いや、それ以上に骨格から女性にしか見えないのだけれど。


「さ、あっちのほうに行こうか」


 おじさん(?)はそんな自分の混乱を知らないかのように歩き始める。

 静々とした歩みでしぐさにもお嬢さまが宿っている。

 

 用意されていた席に座った彼のしぐさをまねするように座ってみる。

 彼は「ほう」と感心したような声を出した。


「お嬢さんはそのしぐさをどこで学んだんですか?」

「おじょ……っ」顔が引きつる。


「少年でいいです。しぐさはあなたの真似をしただけですよ」

「そうか、あまりにきれいだったのでね。」

「ありがとうございます。……お姉さんは僕が趣味を見つけるのを手伝ってくれると言って、今日呼んでくれたのですが」


 彼は納得したような、驚いたかのような顔になる。


「彼女らしいな。よし分かった、僕が教えられることは教えようじゃないか」

「おじさんは普段はなにしているんですか?」

「おじさん……」


 彼はがっくりして肩を落とす。


「お姉さまと呼んではくれないか」

「分かりまし……た」


 おじさんは苦笑いした。


「それで普段の話だったね。いつもは市議会議員でね、年中休みなんてないんだけれども家内と秘書が休みの日をなんとか念出してくれてね」

「普段から趣味に触れていなくても、趣味って名乗ってもいいんですか?」

「ふふ、問題ないだろう。好きであればいいんだから。かくいう私も一年に二回ぐらいしかお茶会をひらけていなくてね。海外留学した時にお茶会文化に触れて、いつの間にかはまっていたよ」

 

 それから、フリルのちょうどいい位置や体型をごまかす技術などについて熱く語ってくれた。

 女装はただの趣味で本場のお茶会とは関係なかったけど。

 

 そうしていると、お姉さんがいろいろなものの乗った台車を押してきた。

 おなかをすかせておくように言われたためすっかり台車の上のものに視線を奪われた。

 そこには三段のケーキスタンドとティーポットとティーカップが三つ。


「あまり、形式は気にしなくていいからね。お茶会を進める彼女も見様見真似だから、僕らもゆっくりと過ごすといいさ」


 彼はそういってほほえみ、お姉さんは舌を出した。

 お姉さんの準備するティーセットは白い焼き物で、金色の線がきれいに入っていた。

 セットが並べられてる中、目の前に出されたカップを持ってみる。


「意外に重い……それに温かい?」

「ああ、磁器だからね。焼き物的には薄いし、材料も軽いから。多分、陶器か何かを想像してたんじゃないかな。あと、温かいのはお湯を入れて温めてたんだよ。いきなり熱いお茶を入れると温度差で割れちゃうし温度にムラができちゃうからね」


 こうして、知らない知識を得られるのはとても楽しい。こういう知識を話せるようになれたらな……。


「さて、準備も終わったことだし、いただきこうか」


 お茶を入れ終わったお姉さんが席に着く。いや、そうだろうとは思ったけど執事服で席に着くんだ。

 ただそれ以上におかしな光景が目の前に。ケーキスタンドが……三つ。

 お姉さんは僕の微妙な表情に気づき、自慢げな顔で言い放つ。


「ティータイムは満足にご飯を食べることが許されない貴婦人にとっておなかを満たす場だったんだ。だから、おなかを満たせるだけの量を用意しようかと思ってね」


 何か違う気がする……が、気にしない。


「さて、お姉さんとお嬢さん。そろそろいただこうかと思います」


 彼はそう言って一番下段のサンドイッチを手に取った。

 サンドイッチはぎゅうぎゅうの一歩手前に詰め込まれてる。だから、何か違う。


 僕もとサンドイッチを手に取って口に運ぶ。

 

 みずみずしい。よくみたら、しずくが光っている。けれども、パンはふかふかとしていて、水がしみてはいない。よく見たら、薄くツナマヨが塗られているのだ。

 ツナマヨはティータイムに合わないだろとかどうでもよかった。マヨやツナの酸味は薄いながらも口に届く。しかし、メインをはるのはキュウリに他ならない。普通なら、キュウリがメインを張っていたら青臭さが少しばかり感じてしまうものだ。

 それがない。みずみずしさと、ほんの少しの甘味を感じさせるキュウリがツナマヨの薄い酸味とうまみによって、絶妙に整えられている。


 キュウリのサンドイッチの次はパストラミのサンドイッチだ。ティータイムに用意されるサンドイッチは三種類を適量用意するそうだ。

 パストラミは肉のうまみなんて飾りと言わんばかりの香辛料の香り。辛いのは一瞬、そのあとは香りとうまみに魅了されて次の一口のことに意識を持っていかれてしまう。

 鼻を通る香りだけではない、飾りかと思われた肉のうまみは味わいの奥でしっかりと主張している。それらはパンと一緒に食べるからこそ、えも言えぬ満足感を感じさせてくれる。

 最後に気づいたソースの味。香りに集中した後に舌に届く味は辛みだったが、そのあとに感じる肉のおいしさをさらに引き立てるのは酸味の効いたソースだった。


 ようやく、パストラミのサンドイッチの全体を楽しんだ後に、次のサンドイッチに手が伸びる。ハムとチーズ、そして、両面焼いてはみ出ないように整えられた目玉焼きが挟まれていた。まるでピクニックのような気分になったが、味はこの場にふさわしい味だった。

 目玉焼きは噛むと中身の黄身が少しとろけ出てくる。しかし、両面焼きで硬さも調節された目玉焼きはちょうどいい量の黄身をこぼし、パンに吸われてまろやかなサンドイッチに仕立て上げる。

 そのまろやかさと調和するコショウの辛みがサンドイッチ全体を高貴なものにしている。

 そこに加えられたハムとチーズはただのにぎやかしではない。チーズが濃厚さをハムが食いでを、少しずつ後押ししながらもまるでメインを阻害しない。これによって、卵のサンドイッチはもうワンランク上の満足感を感じているのだと理解させられた。


 ティータイムらしくおしゃべりしながら食べていると、サンドイッチがいつの間にかなくなっていた。サンドイッチを同じくらいに食べ終えた二人は穏やかにお茶を飲んでいた。

 僕も一口と飲んでみると、今まで飲んできた紅茶とは違うことを理解した。

 今までの後味を押し流すわけではないのだが、それらに邪魔されないだけの風味がある。

 温かさの中に香り高さとほのかな、ほんのかすかな苦みがある。それらをまろやかに問うわさせるのはミルクである。お茶よりもミルクを先に入れることにより、ムラのないおいしさを感じられる。

 これは淹れたお姉さんの手際なのだろう。

 穏やかな、お茶の温かさに包まれながら二段目に手を伸ばす。


 そこにはスコーンがある。

 スコーンでお菓子屋さんで買うのは意外にバターで全体的にしっとりとしたもので会うことが多い。しかし、お茶会の本場のスコーンはさっくりと軽いパンのような触感を感じられる、そういうことは知識だけでは知っていた。

 ここまで違うのか!? 日本のお菓子屋さんでは出会うことの少ない触感のスコーンだ。おいしい、が何か足りない。

 そこで二人が机の上に置いてあるジャムを塗っていることに気づく。

 いちごジャムの酸味が強く感じられるのと、すっきり、しっとり……まったくの違う顔を見せていた。

 ああ、クリームも上に塗るのか。僕はお姉さんのスコーンのトッピングをまねして食べてみる。

 西洋の茶菓子は甘味で整えられる文化なのかもしれないとなんとなしに思わされた。

 それまでに完成度が高いのだ。そうして感動していると、彼は興奮したように少年へアドバイスをした。


「確かにジャムの上にクリームもいいが、クリームの上にジャムを乗せるように食べるとおいしいぞ」


 僕は言われたとおりにしてみる。

 雰囲気が変わる。甘いケーキのようなスコーンにトッピングのイチゴがのったかのような……そう、ケーキのようなスコーンだ。いい表現が思いついたものだと思う。

 上のクリームはもったりとした濃厚なクリームで、もはやクリームがメインだ。甘く、やわらかいクリームを楽しむためにスコーンとジャムが支えているようだった。ただおいしい。

 だがしかし、スコーンのサクサク感は感じられるため、ケーキとは違って腹持ちを感じる。


「少年はどっちが好きなんだい」


 心なしかお姉さんの圧が強い気がする。

 後に聞くと、先にクリーム塗る人と先にジャムを塗る人とで静かな争いがあるそうでした。


 閑話休題(それはともかく)


 「僕は先にジャムを塗るほうが好きですね。甘さで完成された感じが僕好みというか……」


 お姉さんは勝ち誇り、おじさんは少し肩を落とした。


「まあ、人好き好きだからね」


 なんだか、話しているうちになんだかおじさんと親しさを感じてきた。

 

 といっても、この楽しい空間ももう少しで終わり……一番上の段のケーキに手を伸ばす。

 ケーキといってもシフォンケーキのようで上にクリームが乗っている。

 こっちはじんわりとバターが染み出てくるかのような柔らかな生地に、スコーンとは違った軽いクリーム。シフォンがメインを張り、今までに食べてきたものの隙間に入るかのようにすっきりと軽い。

 

 そうしておしゃべりを楽しみながら、程よく腹を満たしてお開きとなった。


 僕はお姉さんとおじさんに別れを告げて、帰路に就く。

 日が傾き、空が茜色に染まる中、僕は満足感を感じていた。これが人の好きなものの出す熱量なんだと改めて思った。


 僕はゆっくり家に帰った。

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夜更かしご飯の2人 ティリト @texilitt_thefriel

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