第108話 大切な人
――ゴホッ
咽たのは私でもアリサさんでもありませんでした。
「エド⁉」
ゴホッゴホッと咽るエドに希望の光を見た私は心臓マッサージをしていた手を止め、彼の耳元で精一杯の声で叫びました。
「エド! そうよ! 息吸って! 聞こえるでしょ! 息を吸いなさい!」
意識がある状態なら間違いなく怒られる声量なのに反応はありません。けれど私の声に応えるように呼吸を始めるエド。彼の胸に耳を当てるトクントクンと規則正しい心音が聞こえました。
「エド! 聞こえる⁉ 私の手握れる⁉」
意識があるなら反応を見せてくれるはず。それを願ってエドの右手を握ると僅かですが握り返してくれました。良かった。意識も戻って来てる。
「助かったのか……?」
「はい! 心拍共に戻りました。助かりました!」
まだ安心は出来ないけど一つヤマは越しました。あとは意識が戻ることを願うだけです。
「アリサさん、薬棚から緑色の瓶を取ってきてください」
「わかった。その、本当に大丈夫なんだな?」
「油断は出来ません。でも私はエドを信じます」
出来る処置はしました。あとはエドの頑張りを信じるしかありません。アリサさんが薬を取りに行く中で私は横たわるエドをギュッと抱きしめました。
エドの意識が戻ったのは日が暮れる少し前のことでした。多少の記憶障害は覚悟していましたが幸いなことに記憶の欠如などはありませんでした。ただ念の為、今夜はウチに泊まらせることにしました。普段は嫌がるエドもさすがに今日ばかりは大人しく言うことを聞いてくれましたが私と一緒の部屋と言うのはどうしても抵抗があるみたい。さっきから部屋を分けてくれと駄々をこねるけど今日ばかりは一緒に寝てもらいます。
「まだ油断は出来なんだからね。これは薬師としての指示です」
「だから大丈夫だって――ソフィー?」
「本当に焦ったんだからっ。本当に……怖かったんだからねっ」
原因は私なのになんで泣いてるんだろう。ほんとはたくさん謝らないといけないのに私は泣きじゃくるだけ。そんな私を見かねてエドがギュッと痛いくらい抱きしめてくれます。エドの胸に顔を埋める私にはしっかりと彼の鼓動が聞こえました。
「ちゃんと動いてるだろ。大丈夫だから」
「でもっ。私のせいでエドは!」
「ソフィーのせいじゃねぇよ。俺が勝手に足を滑らしただけだ。それにちゃんと助けてくれただろ。なら文句なんかねぇよ」
なんで怒らないのよ。死にかけたのにどうしてなにも言わないのよ! 自己嫌悪にも似た感情に駆られる私は優し過ぎる彼を直視できず、胸に顔を埋めたまま「バカ」と呟きました。バカは自分なのに悪態をつく私を受け入れてくれるエドは何処にも行かないと言いました。
「ルークさんと約束したからな。おまえを一人にしないって。それに『まだ来るな』って追い返されたからな」
「え?」
「よく覚えてねぇんだけど、なんか『まだ来るな』って声がしたんだ。そしたらソフィーの声が聞こえた。おまえ『息を吸え』とか言ってたよな?」
「う、うん」
どういうこと? 意識をなくしてたのに声が聞こえたなんて。それに「まだ来るな」なんて誰も言ってません。もしかして記憶障害の一種? 私の知識じゃ到底説明できないけど、エドにはその答えが分かっているみたい。
「たぶん“あっち”へ行きそうになってた俺をルークさんが止めたんだと思う」
「師匠が?」
「俺はそう思ってる。でなきゃ説明できないだろ」
「そっか……師匠が助けてくれたんだ」
人は死ぬ直前に不思議な経験をするとなにかの本で読んだことがあります。ただの迷信だと思っていたし、こうしてエドは助かった訳だから本当にタダの迷信なんだと思います。でもエドが聞いたと言う声はきっと師匠のもので、黄泉へ行きかけた彼を必死に追い返してくれたのだと信じます。
――師匠、ありがとうございます
私、もっとエドのことを大切にします。大好きな人をこれ以上失いたくないから。これから先もすっとエドと一緒にいたいから、もっと彼のことを大切にします。
「あのさ、そろそろ離れてくれない?」
「ヤダ。もうちょっとだけ」
「ったく、あとから怒るなよ」
自分から抱きしめておいてなに言うのよ。きっといつもならそんなことを口にする私もいまばかりは素直に頷き、そして確信しました。この気持ちが本物だと気付けた私は思わず笑みをこぼしました。
「なに笑ってんだよ」
「別に。なんでもないよ」
エドは気付いてくれるかな? ううん。たぶん気付かないだろうけど、私から言う勇気はありません。だからいまはまだこのままでいた方が良いかな。
村に来て3年目の春。危うく大切な人を失うところだったけど、おかげで自分の気持ちに確信を持つことが出来ました。なにより、エドを黄泉の国へ連れて行かずに私のところへ帰してくれた師匠に感謝しないとですね。
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