異国のひと~本日、契約婚日和にて~

渡邊 香梨

第1話 文明開化の音がする

 「官雇人かんやといにん制度を聞いたことは?」


 やって来た来客の唐突な発言。

 聞きなれぬ呼称に目を瞬かせていたのは、どうやら琴星ことせだけではなかったらしい。


「お雇い異国人、でもいいが」


 紫吹しぶき家の皆が、発言者の意図を読み取れずにいた。


 海の向こう、異国の文化が一気に入り、制度や習慣が大きく変化しつつあったとはいえ、一般市民と富裕層との括りはまだまだ残るこの時代。


 政府の役人を、ソファのある応接室で出迎えている時点で、この紫吹家がそれなりの家格を持つ家だということは誰の目にも明らかだった。


「藪から棒に何を言う、青海おうみ殿」


 予期せぬ来客を前に口を開くのは、この邸宅で最も上位に当たる紫吹家の当主・星樹せいじゅ

 先代の病気で早々に当主となった彼はまだ二十代前半だが、当主であるが故に、年齢が上であろう役人に対しての不遜な物言いも許される。


 相手も、それが当然だと分かっているのか腹を立てたりはしなかった。


「我が工部省は今、内務省と手を取り国家発展のための産業政策を推し進めているのだが」

「ああ。その一環として、地脈師を多く抱える我が紫吹家に声がかかっていることも承知している」


 そう言って星樹がチラリと視線を両隣に投げたところで、琴星もようやく当主以外の紫吹家関係者がこの場に呼ばれたことに得心する。


 この部屋には、政府・工部省の次官に当たる「少輔しょう」の肩書きを持つ青海じゅんと、紫吹家の当主たる星樹、鉱山の鉱脈を読む「地脈師」の一人でもある紫吹琴星と紫吹颯星はやせの四人がいて、青海を前に三人が横一列に腰を下ろしている状況だ。


 二十代、十代、十代未満と、見た目には侮られてもおかしくない三人でも、鉱山の地脈を読むことに関しては他の追随を許さない三人だからだ。

 血の繋がった家族ではない。

 紫吹一族の中で地脈を読む能力に長けた者が、この屋敷に住むことを許され、紫吹の姓を名乗る。


 つまりは鉱山開発や製鉄の事業に関して紫吹家の力が必要だと、その判断で星樹が琴星と颯星を呼んだのだと、少なくとも琴星はそう判断したし、恐らくは星樹も颯星もそう思っているはずだった。


「だがそれと『官雇人制度』などという耳慣れない言葉と何の関係が?」


 ところが青海の口からこぼれ落ちたのは、聞いたこともない単語。


「ああ、もちろん『お雇い異国人』とやら含めて、我々は初耳だ」


 星樹でなくともそう言いたくなるところだった。


「我が国が鎖国を止め、開国してからまだ日も浅い。国の中にいては知り得なかった知識・経験・技術が確かに存在していることを我々はこの数年で嫌というほどに思い知った」


「……ああ」


 ただ、紫吹家当主として様々な者と折衝をしている星樹は、その言葉の意味に気が付くのが早かったようだ。


「なるほど。海の向こうの国に住まう技術者を国に雇い入れて、技術を供与させる。故に『官雇人』ないしは『お雇い異国人』か」


「そうだ。ただ『官雇人』は公式文書上の記載だ。恐らくは『お雇い異国人』の方が通りはいいかも知れない」


「随分と短慮なことだな。我が国の技術者を馬鹿にしている」


 腑に落ちたらしいとはいえ、星樹が納得をしているかと言えば、話は別だ。何なら「愚策」くらいには、思っているかもしれない。


 紫吹一族の者として、星樹を見てきている琴星には、少なくともそう見えた。


 ただそれを聞いた青海は、反発どころかむしろ正面から星樹を見据えていた。


「いや。技術だけじゃない、知識も含まれる。既に何人かは大学で教鞭を取ってもらうことも決まっている。これは短慮ではなく、長期を見据えた話なのだ」


「……は?」


「実際にもう、複数の異国人を国の事業として招聘していて、更に新たな招聘計画もある。そのために出来た制度が『官雇人制度』――というのが正しい」


「…………」


 普段は紫吹家の当主として、冷静沈着に物事にあたる星樹が二の句を告げないでいる。

 ただ、琴星や颯星はあまりピンとこなかったという方が正しく、ハラハラと事態の成り行きを見守っていた。


「……あれほど頑なに海の外からの来訪を拒んでいたものが、そこまで急に手のひらを返せるのか」


「手のひらを返す、というのは少し違う」


 不信感も露わな星樹に、青海が軽く肩をすくめた。


「――政府うえが変わった。それだけのことだ」

「……っ」


 果たしてこれは、自分達が聞いていい話なのか。

 心の中で冷や汗を流す琴星を、青海は微笑みを浮かべながら見つめていた。


「もともと以前より、海の向こうにある国々からの開国と通商の圧力が高まっていた。政権交代前に外交政策顧問となられたディーケ卿の人脈で外の知識が流入し、新政権樹立後それを更に発展させるべく創設された部署の一つが我が工部省なんだが」


 変わったのか、のか。

 きっと聞いてはいけないのだろう。

 政権交代をめぐる動きなどと、元より紫吹家が、特に当主でもない琴星や颯星が関わる範疇にはないのだから。


「政府が『殖産興業』『富国強兵』と声高に叫ぶものだから、我が紫吹家の鉱山経営が右肩上がりであることは否定しない――が、今更この国の近代史講座をしに来たわけでもないだろう? 用件は?」


 トントン、と己の膝あたりを人差し指で叩く星樹は、間違いなく青海の意図が読めずにイライラしている。

 そんな星樹に相対する青海は、わざとなのか僅かに口角を持ち上げていた。


「次に来る『官雇人』が、地震研究、いや、収束の第一人者と言われている御仁なんだが」


「地震? 地を揺らすのは、要石かなめいしくびきが外れた異形のあやかし。出会ってしまえば逃げるしかないと言われて久しい。それをどうしようと?」


 星樹が「何を言っているんだ」とばかりに声を上げる。

 無言の琴星も颯星も同じ思いではあったが、青海は違うようだった。


「地脈を読み鉱脈を探る、鉱山開発の第一人者たる紫吹家であれば、尚更遭遇率は高そうだが……紫吹家の対応は『逃げる』一択なのか?」


「他家のことは知らん。あくまで紫吹家は、下手に立ち向かってその血を途絶えさせるくらいなら退けというのが代々の言い伝えだ」


「ふむ……であれば、尚更好都合かもしれん。海の向こうの国には、地の揺れとその原因を研究し、更に原因そのものを滅することも出来る異能者がいる」


「なっ……⁉」


 まさかと呟く星樹に、青海は「だから招くのだ」と、至極真っ当なことを言った。


「まあ、己の目で見なければ信じ難いのも分かる。だからこそ、まずは〝紫吹〟と縁付かせるのが相互理解も早かろうとの下知だ」

「……下知」


 下知。それは青海ですら逆らえない、遙か高みからの意思表示。

 息を呑んだのは、果たして星樹だけだったのか。


「文明開化の音が聞こえないか、紫吹の当主殿? 海の向こうの者であれ、かも知れぬものであれ、来たる世のためには手を取り合うべき――というのが今の政権うえの考え。私はそれを忠実に実行するだけのことだ」


「……紫吹家われらを愚弄するか、青海殿」


 低い声で目の前の役人を睨む星樹に、青海もまた、深い笑みでそれを受け止めた。


「かも知れぬ、と私は言ったはずだが。そもそも『誰のこと』とも言ってはいない……ああ、もしや聡明なる紫吹のご当主殿には、この下知を受け入れづらい何か事情をお持ちか?」


 青海とて、海千山千の役人だ。

 遠回しに「後ろ暗いところでもあるのか」と言われてしまえば、話を聞かないという選択肢が消えてしまうことをよく分かっていた。


「……その『お雇い異国人』とやらを、この紫吹家に住まわせろということか」


 敢えて『官雇人』と言わなかったのは、公の制度とはいえ、そう易々と迎合はしないという、星樹の意思表示か。


 唇を噛み、低い声で問う星樹に怯んだ様子もなく「半分ご名答」と、青海は小さく拍手をした。


「半分?」

「国としては、優秀な能力者たちに一年もたたないうちに再び国から出て行かれるのを避けたい。だから、ただの下宿人では困るんだ」


 そう言った青海の目が眇められ、琴星の方を向く。

 キョトンとなった琴星をよそに「まさか!」と、立ち上がったのは星樹だ。


「君に拒否権はない、紫吹家当主・星樹殿。言っただろう、これは『下知』だと」

「くっ……」

「琴星嬢」


 星樹を片手で押し留めるような仕草で、青海が話しかける。

 はい、と答えながらも、琴星の背も思わず伸びていた。


「君には、今度やって来る『お雇い異国人』さんとの縁談を受けて貰いたい。貴重な人材をその土地に根付かせる一番の方法は結婚だ。優秀な地脈師と、大地の揺れを収束出来る異能者。素晴らしい結びつきだと我々は考えているんだ」


「え……」


 お雇い異国人さん、とそこだけ噛み砕かれたところで、話の内容そのものが簡単になったわけではない。


 目を丸くする琴星に、青海が更に語りかける。


「もちろん、紫吹家には相応の対価が与えられる。ただ政略を押し付けるのではなく、双方に利点のある、契約婚とでも思ってくれれば。まあ、後からでも愛と信頼が育まれるのならば、それに越したことはないのだが」


「契約婚……」


「まだまだ女性の側の縁組は、親と家の事情でままならぬことも多い。だが今回は、間に立つのが国だ。条件としては悪くないはずだ」


「琴星! 聞かなくていい! そんなことくらいで紫吹の母体は揺らがんっ!」


 まだ十歳にも満たない颯星はキョトンとしているが、星樹はかなり取り乱している。

 この状況をどうすべきかと思うものの、そう簡単に妙案が思い浮かべば苦労はない。


「あの……まずはお会いしてみる、というのでは……」

「ああ、確かに本人はまだ入国していないから、それまでに心づもりをしておいてくれればいいか、そうだな」


 青海の回答が微妙にずれているのは、拒否権がないということなんだろう。

 それは琴星にも分かった。


「入国日が定まった頃、また連絡を入れる。宜しく頼むよ」




 こうして季節が秋にさしかかる頃、異国からの訪問者が一人、紫吹家の門を叩くことになったのである。

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