ユースレスマシン
桐山と鳴海と一緒に、三年生クラスの模擬店でたこ焼きを食べ、しかし鳴海がまだ食べ足りなかったために食堂に向かい、それから各クラスの模擬店をいくつかまわると、すぐに時間は過ぎた。
「桐山びびりすぎ〜」
「うるせ」
鳴海がたいへんたのしそうに桐山をからかう。二年生がやってたお化け屋敷で、めちゃくちゃびびっていた桐山なのだった。ただ、あれは正直、僕もかなり怖かった。迷路のように区切った真っ暗な教室をただ歩かされるだけなのだが、ところどころですすり泣きとか「あーあ」とか「もうみんなダメだね」といった声がふっと聞こえてきて、あとはなんもない、みたいなのが続くのである。ジャンプスケア的に驚かしてくれるたらはしゃげるのだが、なんかまじで聞いちゃいけなかったやつを聞かされた、みたいな気分になった。持たされた懐中電灯が、途中で急に消えたのも、勘弁してほしかった。まったくびびった様子のなかった鳴海がむしろすごい。
第一部終了のアナウンスがスピーカーから聞こえたのち、時計塔へ移動して、飾りつけの撤収作業に入る。
「あ、朝比奈先輩、お疲れ様です」
「おー、そっか、自分、時計塔使うクラスの子やってんな」
無事に片付けが終わり、忘れ物がないか確認していたところで、軽音部の朝比奈先輩と会った。隣には、生物室に手紙が置かれた日、階段で柚木さんと喋っていた二年の宮本先輩もいる。ふたりとも、視聴覚室でなく、時計塔でライブをするメンバーらしい。
「鍵、誰か持ってるよな? もうこのまま僕ら軽音部で引き継がせてもらうわ」
「あ、よかった、僕持ってます、学級委員なんで。じゃあ、すいません、返却お願いします」
「苑さん、鍵貸してください、失くされたら困るんで」
「えー、大丈夫やのに」
時計塔の鍵一式を朝比奈先輩に渡したところ、すぐに宮本先輩へと受け渡された。どうやら朝比奈先輩は、スマホだけでなく、全般的に忘れものや失くしものが多いらしい。機材の運び入れが慌ただしく行われはじめたので、邪魔にならないよう気をつけつつ時計塔を出る。
一年F組の教室に戻ると、こちらもおおよそ、片付け終えたところらしかった。午後もとくにトラブルはなかったようで、なによりだ。吹奏楽部など、このあと発表のある文化部組をのぞいて、一仕事終えた達成感でみんなのんびりとしていた。
「このあと、どうする? どっか見たいとことかある?」
ひと息ついて、あくびをかみ殺していたところ、鳴海に訊かれてうつむいていた顔をあげる。夜間の僕の睡眠不足はあいかわらずで、おまけにここ数日は昼間に仮眠をとる時間もなかったから、正直、体力的には限界だった。
が、どうしてもひとつ、確かめておきたいことが残っている。
「軽音部、見に行こかなって思ってる」
「あ、そうなん? ほな俺も一緒に行こかな。桐山は?」
「俺も行くわ」
先輩たちと合流すると思うけどいいか、と問うと、ふたりとも頷いた。視聴覚室と時計塔でやってんねんな、どっち行く? と、実行委員お手製パンフレットをのぞいた鳴海に再度質問を投げられる。
「時計塔のほう行きたい……あ、そういや鳴海って、あのゲーム好きやったよな?」
「どれや、あのって」
「えーとあれ、あの、『薄明』ってひとが主題歌やってたやつ」
「『バニラスカイ』のこと? うん、めっちゃ好き。つかあれやろ、そのひとうちの軽音部出身やろ」
「うん」
鳴海はわりにゲーマーで、インディーズゲームからヒット作まで幅広くやっている。FPS系やアクションも得意だが、とくに好きなのはRPGやアドベンチャーゲームらしい。
先日の部長の笑顔や、朝比奈先輩の台詞を思い出しつつ、僕も笑って言う。
「やったら、けっこう、たのしめると思うで」
時計塔、つまりは祥楓記念会館に向かって、桐山、鳴海、僕の三人で歩く。駐車場の横を通りすぎると、もう、ひとが集まりだしている様子だった。
「あ、部長、春川先輩」
「おー、来たかー」
部長と、ひょろりと背の高い春川先輩(雑踏で目立つ)が、僕らに向かって手を振ってくれた。そちらへ合流する。
「すげ、こんな感じなるんすね」
開けっぱなしにされていた扉を抜け、建物内に入ったところで桐山がそうつぶやいた。僕と鳴海も、隣で頷く。
大階段の踊り場部分をステージに見立てている。僕ら一年F組の飾りつけが取っ払われ、代わりに機材や楽器が並んだ時計塔は、さっきとはまるで違う場所に見えた。玄関部分から続く吹き抜けのエントランスホールには、かなりの人数が収まっている。
「ほら、上から撮影してるやろ。配信もするらしいで」
三年前と同じで、と部長が教えてくれる。身体をひねって二階を仰ぐと、吹き抜けの廊下からハンディカメラを持った生徒の様子が見えた。
「あれー? なんか大集合状態やん」
聞き覚えのある声に再び振り返ると、高町さんの姿があった。日笠さんと、織部さんも一緒。
「や、緒方、さっきぶり」
「ひさしぶり」
日笠さんには、もう、このあいだ──生物室で部長と春川先輩と話したある仮説については伝えてある。だから、高町さんと織部さんと、ここに来たんだろう。とくに、織部さんは、鳴海と同じく、『薄明』が主題歌を担当したゲームが好きで、かつ『薄明』のファンでもあるそうだから。
喧騒に紛れてしばらく他愛もない話をしていると、急に、ぱっと、照明が落ちた。
続いて、力強いドラムの音が鳴る。
ふっと、空気が揺れて、変わるのがわかった。
懐かしいな、と思う。
僕は、バンドのライブに行ったことはない。だから、懐かしい、と思うのは変なはずなんだけど、でも、懐かしいとしか、言いようがなかった。
だって、この空気なら、知っている。
なにかがはじまる瞬間の、そんな気配に満ちた空気。ぴんと張り詰めた緊張と、抑えきれない高揚感。
試合の直前の空気みたい。
ドラムに続き、そこに音が重なり、うねる。ベース、キーボード、そしてギター。
やがて、僕らの手拍子が連なる。
緊張が最高潮に達したとき、空が裂けるように、照明が灯った。
「えー……、かっこよ……」
思わずこぼれたらしい、桐山の声に僕らはみんなで頷いた。
照らされた光の中に、先輩たちがいた。
ベースを操る朝比奈先輩は、別人みたいだった。先日スマホを探しまわっていたひとと、同一人物にはまるで見えない。めちゃめちゃ、格好いい!
わっと観客が沸いたところで、二階の通路がスポットライトのように照らされる。
ひとりの、小柄なシルエットがそこにあった。肩口までの髪が揺れる。
そのひとは、ゆっくりと、通路を歩き、階段をおりて、踊り場を目指す。
「……え、あれって」
いつも表情を変えない織部さんが、めずらしく驚きをあらわにした。
桐山と、鳴海の声が重なり、異なる名前で、ひとりを示す。
「暁築さん?」「『薄明』?」
マイクを片手に、彼女──暁築佳音こと『薄明』、三年前、ここから姿を消してみせたジュリエット先輩は、高々と歌い出す。
「たぶん、言えなかったんやと思うんです」
あの日──九月二十日の水曜日、桐山と時計塔でアクロバット説を検証した次の日。第二生物室で、僕は、段下部長と春川先輩にそう切り出した。
時計塔の、階段をあがって奥へと進む通路はすぐに突き当たりに行き着く。左手に作法室へ続く扉ならあるが、施錠されていて不正開錠は現実的じゃない。点検口など、天井から出られるルートもない。窓から飛び降りたなら、音がするから確実に誰かが気がつく。通路を奥へ行ったと見せかけて玄関側へ向かう、という方法も、一階に複数の人物がいる中で誰にも見つかることなく実行するのは不可能と考えていい。
「じゃあ、もう、第一発見者というか──最初にジュリエット先輩の様子を見に行った、学級委員の先輩──三戸美波さんが嘘をついてた、以外ないと思います」
そう、もしこれが推理小説のHowだったなら、怒られそうな結論だ。
「ほんで、あっきーには、もうWhyの──どうして、のところもわかってるんやろ」
「はい」
部長に尋ねられて、僕は頷く。
三戸さんが嘘をついた理由も、ジュリエット先輩こと暁築さんが姿を消した理由も。
それは、この消失事件を知ったとき、ドーナツショップで日笠さんと桐山と検討したような、誰かを貶めようとか、そういう後ろめたい理由じゃ、たぶんない。
「『メロディック・スパークル』っていう音楽フェスがあって、出演者は十代限定で、オーディションで参加者決まるらしいんですけど。これ、開催が毎年九月の四週目の日曜日で、祥楓高校の文化祭とばっちり被るんです」
スマホで検索したフェスのホームページを見せながら、僕は説明を続ける。
「僕ら文化祭はじめての一年は、夏休み明けのホームルームでようやっと出し物決めたわけですけど、文化祭に力入れてる二年とか三年のクラスやと、夏休み前から準備してるクラスもあるんですよね」
「せやなあ。俺らのクラスは夏休み明けのやっつけ仕事クラスやけど、B組とかE組はたしか、一学期の期末終わったくらいですぐ準備はじめとったわ」
春川先輩がそう教えてくれる。
部長は、このクラスの劇を本番で見たとき、素人高校生の文化祭劇としてはかなりよくできてた、と言っていた。ネット配信もしていたというし、かなり力を入れて準備をしていたと考えていいだろう。
「このフェス、一次の音源審査は三月締切ですけど、選考進んで、最終的に出演者が決まる三次審査は七月末とからしいんですね。加えて、ラジオ番組主催のフェスやからか、ひと枠はリスナーの投票で決まるらしいんです。で、その投票枠決定は例年八月とかなるらしいです」
おまけに三年前、二〇二〇年は、感染症で数々のライブやイベントが中止され、無観客の配信ライブへ切り替えたりなど、対応に追われた年だった。その影響もあったのか、例年より投票枠の決定が遅れていたようだった。検索したら、そのあたりの情報はすぐに拾えた。
「『薄明』は、二〇二〇年度の投票枠です。『メロディック・スパークル』の出場が決定したのは八月半ばごろ。もう、きっと、暁築さんと三戸さん所属の当時の三年C組は、文化祭の準備は進んでて、劇の配役なんかとっくに決まってたと思うんですよ」
おまけに、ジュリエット役という主役級の役だ。
暁築さんは、もう、文化祭を欠席したい、なんて言い出せなくなってしまっていたんじゃないだろうか。
たぶんだけど、最初に応募したときは、日程が被っていたことは気づいてはいたけれど、駄目でもともと、くらいの気持ちだったんだと思う。
僕にも、その感覚はわかる。中学生のころのサッカー部の地区予選は、勝ち進んでいけば、それこそ全国への切符にだって繋がる試合でもある。だけど、そこまで進めるわけない、とは思っていた。
「んー……わからんわけではないけど、でも、そこまでぎりぎりになるまで、言い出しにくかったんかな。それこそインターハイとか全国大会とか、そういうレベルまで進んだってことやろ? 文化祭のクラス発表より、部活というか、自分優先させたかて、とうぜんやと思うけどな」
春川先輩が、口元に手をあててそう言った。そう思う気持ちも、わかる。
だけど、あの年は、特別だった。
「たぶん、ゆいいつのクラス行事やったのもあるんやと思います。……あの年度って、春は全国一斉の休校措置で、そのあと、遠足も体育祭も、ぜんぶ飛んだ年でしょ」
「……ああ」
春川先輩は、納得したように頷いた。
部長も春川先輩も、あのころを思い出すかのように、黙りこんだ。僕も、思い返す。中学一年生のころ、入学したばかりなのに、ほとんどを家で過ごした、そんな、あの春からはじまった一年を。鳴海は、中学三年間、文化祭は中止になったと言っていた。祥楓高校の文化祭だって、外部の一般客なしの縮小措置で、なんとか実行された学校行事だ。いろんな機会を制限されたあの年の、駅前のドーナツショップもカラオケにも、気軽に行くことができなかった二〇二〇年の、文化祭。手探りで、ネット配信なんかを計画して、あのときできた最善に取り組んだ、暁築さんや三戸さんたちにとっては高校最後の文化祭。
だから、ほんとに、ぎりぎりになるまで言えなかった。
ジュリエット先輩──暁築さんの軌跡を辿って、時計塔の大階段をのぼったときのことを思い浮かべる。
階段をのぼって、踊り場で振り返ったとき、ちょうど時計が視界に入った。
そのときにようやく、暁築さんは突きつけられたような気持ちになったんじゃないだろうか。
会場は、同じ大阪府内。いまからだったら、急いで行けば、まだ間に合う。じゃあ、いま走り出してしまったら、この劇はどうなるのか。みんな、いっぱい我慢してきたなかで、なんとか進めてきた劇なのに?
「板挟みで身動き取れなくなったところに、三戸さんが、さがしにきたんやと思うんです」
そして、三戸さんは、暁築さんの背中を押したのだ。
『薄明』が羽ばたけるように。
ライブが終わった直後の時計塔は、夢みたいな、ふわふわとした高揚感に包まれていた。
「──あ、あのひと」
「え?」
段下部長が視線を向けた方向を見やると、どこかで見たことのある気がする女のひとがそこにいた。大学生、だろうか。ぱっちりした瞳が目立つ──あ、三戸さんだ。
三戸さんが、踊り場のステージへ向けて手を振った。暁築さんが、大きく手を振り返す。
どうして、当時、実行委員だった段下部長たちに、三戸さんは「いなくなった」だなんて嘘をついたのか。
あくまでも想像でしかないけれど、でも、察することはできる。
暁築さんから事情を打ち明けられた三戸さんは、困っただろうとは思う。──そして同時に、罪悪感を覚えた。暁築さんにぎりぎりまで言い出せない空気をつくり出していたことを、クラスをまとめていた学級委員として。
暁築さんを応援しようと決めた三戸さんは、持っていた鍵で控室代わりに使っていた作法室を開けた。そして、急いで衣装から制服に着替えてもらい、すぐに会場に向かえるよう準備を進めてもらう。おそらく、説明する時間が惜しかったんだろう。自分は納得したけど、クラスの他の子がどう感じるかは、すぐに納得してくれるかどうかはわからない。だから、とっさに嘘をついて、みんなが暁築さんをさがそうとそれぞれ持ち場を離れ、混乱していた場に乗じて送り出した。暁築さんが衣装を着ているはず、という先入観があれば、制服に着替えれば目立たず出られたんじゃないだろうか。
その後の、文化祭が終わったあと、当時の三年C組が、暁築さんが土壇場で劇を抜けたことをどう受け止めたのかはわからないけど、でも、みんな、暁築さんを責めたりはしなかったんじゃないかと思う。いま、かつてのクラスメイトに向かって笑って手を振りあう、ふたりの姿を見てそう思う。
そして、第二生物室に置かれた手紙──『薄明』の歌詞カードの一部が置かれていた件である。
「軽音部OGの『薄明』がゲスト出演するライブやから、できるだけ盛り上げようと思った朝比奈の宣伝手段の一環やった、ってことでええんちゃう」
僕が仮説を披露したあとで、もうひとつ残った疑問に対して、段下部長はそう結論づけた。
実際、予想通り『薄明』が現れたわけで、それがいまのところ、いちばん納得のいく解答ではある。知ってる歌か否かで、盛り上がりや一体感は変わるだろうし。
「すごかったなあ」「な」「ね」
余韻を引きずったまま時計塔を出ると、入り口付近で事故がないように、よっぴーと坂上先生が生徒や一般客の誘導をしていた。
いまさらながら、思い出す。
融通がきかないだのとやや煙たがられているところのある坂上先生は、軽音部の顧問だ。
よっぴーが手伝っているのは、若手なので、たぶんこういうことに駆り出されやすいんだろうな、と想像。知らんけど。
「坂上先生、お疲れ様でーす」
段下部長が、笑顔で坂上先生に声をかける。続けて発された台詞に、僕はちょっと固まりかけた。
「先生、よう許可出しましたね。いくらOGとはいえ、現役でプロデビューしてるアーティスト呼んでシークレットライブさせるんとか」
え、確かに思ったけど、直球でそれ訊きます? 春川先輩や、日笠さんに桐山はじめ、一年F組メンバーも同じ思いだったらしい。微妙に緊張が走る。
だけど、坂上先生は、いたっておだやかな表情だった。
というより、むしろ、どこか嬉しそうな。
「相手方との交渉とか連絡とか、朝比奈中心にかなりきっちりやってたしな。──それに、暁築たちの年は、こういうことさせてやれなかったから。いいだろ、数年越しに少し騒がせるくらいなら」
坂上先生の視線を追って、ようやく気づく。大学生っぽいひとたちの集団。三戸さん以外にも、当時の三年C組の生徒が訪れていたらしかった。現役生と一緒に笑い合いながら、大階段で記念写真を撮る、先輩たちの姿がそこにあった。
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