アフターダーク

神様も言う通りに

 いつもより少しはやい時間の朝の電車は、日曜日ということもあり、空いていた。

 九月二十四日、日曜日。文化祭当日である。

 日曜日だけ文化祭というのは、ちょっと、めずらしいかもしれない。他の高校だと、金曜と土曜の二日開催とか、土曜日だけ、とかが多い気がする。

 我らが祥楓高校は、前日の土曜日は自由登校で丸々一日を文化祭準備に使う。段下部長と春川先輩の属する三年D組は、これまでとくになにもせず、ほぼすべて昨日いちにちで準備しきったらしい。それはそれですごい。まあ、三年生は、受験優先クラスだとそうなるのかも。慣れもあるし、たぶん要領の良さが違う。

 僕ら一年F組は、昨日は教室と祥楓記念会館──こと時計塔の飾りつけに勤しんだ。途中で担任のよっぴーがクラス全員分のアイスを買ってきてくれて、みんなおおはしゃぎだった。

「おー緒方、おはよ」

「ん、おはよう」

 電車を降り、改札を出たところで、鳴海と会った。コンビニに寄ったのだろう、リュックサックに買ったばかりらしいパンをしまっているところだった。コンビニは、駅中、改札を出てすぐのところにある。鳴海は電車通学だけど、僕と家が反対方向だし、それに、向こうは普段は朝練があるから一緒に通学することはまずない。

「なんかおもろいな、緒方とこうやって学校行くん、はじめてちゃう」

「うん」

 鳴海も同じことを考えていたらしかった。駅を出て、アーケード通りの商店街を抜けて、学校を目指す。

 祥楓高校の制服であふれた日曜日の商店街は、いつもと少しだけ違う光景に見えて、ちょっと不思議な感じだった。

 学校に着く直前に、桐山とも合流した。乗っていた自転車を降り、押して歩く桐山と三人で校門をくぐる。校門も、とうぜん、飾りつけがなされていて文化祭仕様である。いつもより、確実に浮かれた朝の空気。

 桐山が駐輪場へ向かったので、昇降口の手前で鳴海とふたり、立ち止まる。花の飾りで彩られた校門を振り返って、鳴海がつぶやく。

「俺さあ、文化祭って、はじめて」

「あ、そうなん?」

「うん。中学、三年とも文化祭中止なったから」

 やから今日はたのしみ、と言って笑った。うん、と僕も隣で頷く。

 駐輪場から桐山が戻ってきたところで、鳴海がふと切り出した。

「……なあ、ディスタンスゲームって、中学で流行らんかった?」

「は? なにそれ」

 僕と桐山が訝しげな声でそう返すと、鳴海は詳細を説明してくれた。

 聞いてみれば、なんということもなかった。ソーシャルディスタンス(2メートル)の位置関係を常にキープするだけの遊びである。

「こう、フェイントかけて横飛びとか無駄にやってた」

「アホすぎるやろ」

 そう言ったものの、似たような遊びは僕らの中学でも流行っていたが。

「やろうや、ひさびさに」

「え、いまやんの?」

 昇降口から少し移動して、食堂と体育館のあいだのスペースで実行することとなった。三人で三角形のフォーメーションをつくり、誰かが移動すれば残りのふたりも移動して常に一定の距離を取り続ける。

 意外と難くないかこれ、と唸った桐山のもとへ、鳴海がフェイントを挟んでから近づく。

「あ、危な!」

 桐山が避けようとしたところに、隣のクラスの生徒が通りがかった。ぶつからないように、咄嗟に桐山の腕を引っ張ると、近づいてきていた鳴海とぶつかり三人ともまとまって転ぶ。

 腕だいじょうぶ? とふたりに確認され、うん、と頷く。実際、なんともなかった。地面に座りこんだ僕らの横を、他の生徒たちが通りすぎていく。なんとなくおかしくなって、三人で笑った。三密や! と鳴海が言い出して、それが妙にツボにはまってげらげら笑った。冷静に考えるととくになにもおもしろくないが、なぜかそのタイミングで言われるとおもしろいこと、というものが世の中にはあり、鳴海はそういうタイミングを外さない。

 ひとしきり笑ってから、立ち上がった。

 ちょうど、日笠さんと高町さん、それに織部さんが校門をくぐるのが見えた。昇降口で合流する。

「なんかめっちゃ笑ってるやん、緒方」

「そう?」

 高町さんにそう言われ、自分の頬を引っ張ってみる。そっか、そんなに笑ってるのか、僕。

 今日はたのしみ、と言った鳴海の言葉を思い出す。

 たのしい一日になればいいな、と、素直にそう思った。教室へ向かう。みんなで、廊下を歩いて、階段をのぼる。

 朝礼の鐘が鳴る直前に、よっぴーが教室に現れた。祥楓高校のチャイムは、基本的にはスピーカー放送の一般的なやつだけど、いちにちのうち二回、始業の八時三十分と、下校を告げる十八時だけは、時計塔の鐘が鳴る。僕らの生まれる前から、変わらずにここに響く音。



「それでは、二〇二三年度、祥楓高校文化祭、楓祭かえでさいを開始します!」

 スピーカーから実行委員のアナウンスが響きわたり、午前九時、文化祭がはじまる。

 祥楓高校の文化祭は、第一部と第二部があり、第一部がクラス出し物、第二部が文化部の出し物になる。第一部は九時から十四時半まで、第二部は三時から五時まで。といっても、厳密に別れているわけでもなく、午前中から活動している文化部もあれば、午後も教室で模擬店予定のクラスもある。

「じゃあ、午前店番、よろしくねー」

「おっけ」

 クラスTシャツを着て笑顔の日笠さんに、敬礼を返す。僕は午前店番担当で、日笠さんは午後の第一部終了までが店番担当だ。

「なんか午前で困ったこととか、足りないものとか見つかったら言ってね」

「うん、まあたぶん大丈夫やと思うで」

 僕ら一年F組の脱出ゲームは、ここ教室からはじまり、スタンプラリー的に数カ所でクイズを解いていってもらい、最終的に時計塔を目指してもらうようになっている。シナリオとしては時間の止まった学校に迷いこんでしまったアリスと一緒に、現実の世界に戻る、という話があるので脱出ゲームとしている。無事に時計塔で出される最終問題をクリアすれば、景品がもらえる。

「てか緒方、それめっちゃ似合ってんね」

「えーっと、褒めてる?」

「褒めてる褒めてる」

 店番組は、クラスTシャツを着ている組と、衣装を着ている組がある。

 僕は衣装組だ。服装こそ制服のスラックスとカッターシャツだが、蝶ネクタイと、長い耳のついたカチューシャをつけている。

 三月ウサギ役なので。

 ぜったい、僕よりもっと適任が誰かいたと思うのだけど。

「日笠さんのそれ、シール? ペイント?」

「あ、これ? シールだよ。さっき高町ちゃんにもらったー」

 日笠さんの目元には、ちいさな星のシールが貼ってあった。高町さんと織部さんも、それぞれシールを貼っているのが見える。こっちを向いた日笠さんのまぶたがきらきらしてて、あ、なるほど、いつもとちょっと雰囲気違うと思ってたけど、化粧してるのか、と気づいた。

「緒方も貼る?」

「や、いいよ」

「遠慮すんなよー」

 いつもよりややテンション高めの日笠さんに押し切られ、頬になんらかのシールを貼られた。あとで確かめたところ、スペードのマークだった。

 手を振って午後店番組を見送る。

 と、そのあとは、まじで怒涛で一瞬で過ぎた。

 ありがたいことに、思ったより繁盛したので。

 日曜日だから、在校生の親戚なのだろう、親に連れられたちいさな子もけっこう来た。ちなみに、クイズは難易度をいくつか用意していて、参加者に選んでもらえるようにしている。小学生くらいの子に向けたイージーモードだと、間違い探しのようなもの中心にしてあり、けっこう好評で、何回か遊びに来てくれた親子連れなんかがいた。

「あ、あっきー似合ってるやん」

「それ、褒めてます?」

「褒めてる褒めてる」

 お昼前、もうすぐ店番も終わり、といったタイミングで、段下部長と春川先輩が遊びに来てくれた。

 これ難易度設定あんの? と部長に尋ねられ、イージー、ハード、エキスパートの三種類があることを説明する。

「春ちゃん、どないしますかね」

「エキスパート一択っしょ」

 強気の春川先輩と、頷いた部長に問題が書かれた用紙を渡す。折りたたんでいた紙を開いた数秒後、春川先輩が顔をしかめた。

「……なあこれ、ふつうに入試問題やろ」

「エキスパート希望の三年には、これ渡せってよっぴーに言われてるんです」

 関西の某国立大の過去問である。

 ふざけんなよーと唸りつつも、しっかり解答を叩き出した春川先輩と部長を、拍手とともに教室から送り出す。

「時計塔で桐山が待ってるんで、頑張ってくださいねー」

「桐山くんはなんの役やってんの?」

「あいつは帽子屋です」

 先輩たちを見送ったあたりで、ちょうど店番交代の時間になった。校舎をまわっていた日笠さんたち、午後店番組が教室に帰ってくる。

「なんか困ったことなかった?」

「や、とくには」

 あえていうなら、はしゃぎすぎた小学校低学年くらいの子が、ダンボールでつくった巨大トランプカードの飾りを壊してしまったことだが、裏からガムテープで修繕してことなきを得ている。

 日笠さんは、衣装に着替え終わり、僕と同じく長い耳のついたカチューシャをつけていた。三月ウサギではなく、白ウサギ役である。私服らしいダボっとしたズボンに、チェックのベストを身につけていた。ベストは高町さん手作り。高町さん、イラストといい、多彩すぎてすごい。本人いわく「すべて趣味」とのことだった。

「あ、そうだ、さっきさ、柚ちゃんから連絡きたよ」

「柚木さん?」

 柚木さんは、いまごろ、友だちの応援に行っているはずだった。十代限定音楽フェス、『メロディック・スパークル』。昨日の前日準備では、今日参加できない分って言って、一番乗りで飾りつけをやってくれていた。

「友だちのステージ、無事に終わったってさ。緒方にもよろしくって」

「おー、よかったよかった」

 見せてもらったスマホの画面には、写真が表示されていた。柚木さんと、ステージを終えたその友人なのだろう、ショートボブの女の子がピースサインを決めていた。快晴、秋晴れの空が背景に眩しい。

「つうか、屋外なんやな。どこでやってんねやっけ?」

永原ながはら市の野外音楽堂だって」

 あそこか、と場所を思い浮かべる。音楽堂自体は行ったことないけど、近くに広い運動公園があったはずで、サッカークラブに所属してたころ、何度か、試合のために訪れたことがある。小学生のころだったから、交代で、チームメイトの親が送迎を担当してくれてたっけな。

 ふっと、僕の親が送迎担当だったときは、妹が一緒についてきていたことを思い出した。退屈じゃないのかと思っていたし、実際訊いてみたこともあったけど(僕の用事につき合わせているのが申し訳なかったので)、意外とたのしんでいたらしい。同じように兄弟の付き添いで来ていた子と、仲良くなっていたらしかった。

 ──それに、たまに、楽器の音、聴こえてくるし。

 たしか、こうも言っていた。いま思えば、あそこがライブ会場だったからか。

 そういや、今日、用事あるかって連絡きてたの、なんだんだろ。

 まさかなあ、と思った次の瞬間、

「あ〜〜腹減った〜〜なんか食いにいこ!」

 と叫んだ鳴海にうしろから突撃され、すっかりさっきまでの思考は吹き飛んでしまった。おまえパン買うてなかったっけ、と訊いたところ、合間にすべて食べきってしまったそうだった。ともあれ、店番の引き継ぎも終わったことだし、あとは、気楽にたのしむこととする。

 ──解決編は、文化祭当日でええんちゃう?

 数日前の、部長の言葉を思い返す。

 部長と春川先輩と合流する約束をしているのは、第二部の、文化部の出し物のときだ。しばらくは、時間もあるので、鳴海と一緒に教室を出る。



 






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