アクロバット説、再び
「確かめたいことって、そういう?」
「そういう」
九月十九日、火曜日。三連休の週明け、学校、昼休み。
僕と桐山は、食堂で昼食を終えたのち、祥楓記念会館こと時計塔へと向かっていた。
文化祭当日、時計塔の玄関扉を常時開けっぱなしにして、代わりにのれんのように布を垂らすことになったのだが、どれくらい布が必要かわからず、扉の大きさを測るためだった。
扉を開けっぱなしにすることにしたのは、扉がわりと重くて、来場客のちいさい子どもなんかが怪我したら危ないのでは、という意見が出たのと、内開きのため開閉のたびに建物内の入り口近くのひとが扉を気にしなくてはいけないので、いっそ開けっぱなしのほうがいいのでは、という結論に達したためだった。
計測アプリを使えば、僕ひとりでも測れないことはないのだが、あの手のアプリは対象物が大きいと精度が下がるので、ふたりがかりでメジャーで測るほうが確実。
日笠さんに頼んでもよかったけど、彼女はいま高町さんたちと衣装作りに奔走しているので、僕のほうでこれくらいは済ませときたかった。
あと単純に、こういう作業は背の高いやつのほうが向いているから。
日笠さんはたぶん160cmあるかないかくらいで、僕もさして変わらない。
対して桐山は、確実に170cm以上ある。たぶん、175cmくらい。僕らより向いているのは確かである。
食堂から、職員室で鍵を借りて、そのまま時計塔へ向かえたらよかったのだが、特別教室使用許可証を教室へ忘れたために、いちど二階の教室へ戻ることとなり、無駄に時間を食ってしまった。
「こういうのをさ、さっさと電子化してほしいよなあ」
僕の右手につままれた、許可証に視線を向けながら桐山が言う。
「あー、たしかに」
「まあ、これはべつにええねんけど、はよ食堂でPayPay使えるようにならんかな」
「それはほんまに思う」
そんな愚痴を言い合っているうちに、時計塔へ着いた。許可証は邪魔なので、折りたたんでいったんポケットにしまう。鍵を取り出して扉を押し開き、開けたままにしておく。
「ほな桐山、上よろしく」
「おっけ」
メジャーを渡して、扉の上端に合わせてもらう。ゼロで目盛を合わせてもらってから、メジャーを受け取り下端に合わせて長さを測った。同じ要領で左右の幅も測る。
「ありがとう、助かったわ。いざ布買うてから足りへん、とかなったら最悪やったし」
「いいえ、どういたしまして。つかべつに、おまえの仕事ってわけでもないやろ、これ」
計測結果をスマホのメモアプリに記録し、ぐるりと首をまわす。ありがたく桐山の言葉を受け取って、もう少しだけ甘えることにする。
「なあ、あとさ、ついでにもうちょい、付き合うてくれん?」
「ん?」
「三年前の、文化祭のほうの件。リハのときの、ジュリエット先輩が消えた状況を、もういっかい確認したい」
「ああ、ええけど」
いったん入り口の扉を閉めて、振り返り、正面の大階段へと向き直る。
段下部長は、リハ中、ジュリエット先輩がいなくなったとされるときから、『見つかった』と報告を受けるまで、この一階のホール部分から動いていないらしい。もうひとりいたという、実行委員の先輩も同様だ。
「桐山、ちょっとここ立っといて」
「おう」
ジュリエット先輩は、大階段をのぼって、踊り場から左右に別れる階段を右に進み、二階の通路を奥へと進んだ。そのあと、再び大階段へ姿を現す段取りだったのに、出てくる様子がない。同じクラスの女子生徒が、同じように二階へあがって奥の通路へ進むも、そこにジュリエット先輩の姿はなかった。
という話だったはずだ。
ジュリエット先輩の軌跡を辿るように、僕も大階段をのぼる。
踊り場でいちど振り返ると、玄関部分の真上にあたる位置の壁に、時計がかかっているのが見えた。午後一時を少し過ぎたところ。昼休みはあと、二十分弱。
踊り場から左右へ別れる階段を右へと進み、二階についたところで、通路を奥へと進む。
「桐山ー、僕の姿、まだ見えてる?」
「ぎり見えてるー。もうちょい進んだら、たぶん見えんくなるわ」
「これでどう?」
「もう見えへん」
階をまたいで大声で状況を確認しあう。
部長たちの立ってた位置と、いまの桐山の立ち位置に、多少の誤差はあるだろうけど、およそこのあたりまで進むと、一階からは見えなくなるらしい。
このさきはもう、すぐに突き当たりだ。左手に作法室へ続く扉があるけど、施錠されていたので、ここに隠れることはできない。
可能性をあげるなら、ピッキングによる不正開錠だけど、おそらくそれはないと思う。シンプルなシリンダー錠で、プロが専用の工具を使えば数十秒もかからないそうだが、ヘアピンなんかの代替工具を用いて素人の高校生が開けるにしては時間がないし、無茶すぎる。ねんのため、スマホのライトで照らして鍵穴を確認してみたけど、目立った傷跡はなかった。ピッキングによる不正開錠だと、跡が残るものらしい。このへんは、部長や春川先輩からの受け売りで、ミステリ作品から仕入れた知識らしかった。
天井を見てみるも、点検口のようなものも見当たらない。
となると、あとは窓くらいなわけだけど。
この祥楓記念会館はわりに天井高がある建物で、二階といえど、かなりの高さがある。
身をかがめて、通路を反対側、玄関側へと進む。このまま進み、角を曲がると、機械室のある狭義の時計塔へと続く扉の前に出る。
「通ったんわかった?」
「いまは見えへんけど、階段あがったとこ通ったんはさすがに見えたな」
「やっぱそうよなー」
吹き抜けあたりまで来ると、屈んでしまえば手すり状の廊下の壁に隠れて、一階からは姿は見えなくなる。だけど、桐山が指摘したとおり、階段をあがった直後の場所で見つからないでいるのは難しい。奥へと進んだ、と見せかけて、こちらの吹き抜け側へ移動していた、という説も考えたけど、成り立たないだろう。
このあたりの窓からなら、いったん、一階の屋根に降りられる。玄関から見て右側──南側は事務室、左側つまり北側はトイレ側にあたる部分が、突き出ているのだ。だけど、このルートは使えない。
立ち上がって、通路を引き返す。
「なんかわかった?」
「うん、まあ」
作法室の前へ来たあたりで、階段をのぼってきた桐山と合流する。返事をしつつ、窓を開けて身を乗り出し、外をのぞく。ここは、真下が直接地面だ。
「……なあ緒方、おまえ、いま、なに考えてる?」
「んー、アクロバット説の検討?」
「は?」
桐山にかまわず、僕は窓枠に足をかける。
ちょっと高いとはいっても、二階だし。
不思議と、恐怖心はまったくなかった。
「待てやめとけって、す……やなくて、このアホ!」
桐山の怒鳴り声を背中に、手を離して、窓枠を蹴る。
昔、よく、ブランコの最高到達点から飛び降りる遊びしてたよなあ、と、そんなことを考えながら。
「──痛っ」
予測してた程度の衝撃だったし、受け身はとった。けど、転がったときに腕を擦りむいた。
「……うわ」
左腕、肘から前腕のなかばあたりまで、血が出ていた。やっぱ、運動不足の身でこんなことするもんじゃないな。段下部長みたいには、うまくいかない。
「うわっ、大丈夫?」
「うん、平気。擦っただけ」
すぐに階段を駆けおりてきてくれたらしい。時計塔から出てきた桐山は、僕の腕を見ると眉をひそめた。
「保健室行く?」
「んー……、ええわ」
「ほんでもそれ、わりと血やばいで」
たしかに止まってくれる様子がないし、わりと広範囲に擦ったので、傷口を押さえるのも難しい。
「洗って、なんかで押さえるくらいしたほうがええやろ。……ちょい待っとって、部室の鍵取ってくるわ。救急箱あるし」
「あー、すまん」
ついでに時計塔の鍵も、職員室に返してもらうことにした。ポケットから鍵を取り出して、施錠を頼む。
手早く鍵をかけて、軽快に駆けていく背中を見送る。
そう時間が経たないうちに、桐山は戻ってきた。そのあいだ、せめて制服に血がつかないように腕の位置を調整してみたものの、努力虚しく半袖のカッターシャツにはぽつぽつと赤い染みができてしまった。帰ったら、父親に見つかる前にさっさと洗おう。
「立てる?」
「うん」
「体育館横の水道でいったん流すか」
桐山に促されるまま、水道で傷口を洗い流したのちに、グラウンド横にある部室棟へ向かう。
「僕、部員ちゃうけど、入っていいん?」
「ええんちゃう? ある意味非常事態やし、先輩らもあんまそういうの気にせんし」
表札がかかっているわけでもないので、どの部屋がどの部の部室かわからない部室棟の二階、階段をあがってすぐの部屋がサッカー部の部室だった。
なかは、思ったより片付いていた。スパイクやら練習で使うコーンやらが、きちんと収納されている。何個かパイプ椅子もある。
桐山が救急箱を開いたあたりで、予鈴が鳴った。
「教室戻ってええで、鍵、僕が返しとくし」
「片手でガーゼ貼んのやりにくいやろ」
そもそも、部外者の僕ひとりを部室に残す、というのはさすがに問題なのかもしれない。
ガーゼをあてて、上からネットをかぶせてもらうと、出血を気にしなくてよくなった。痛くないわけではないけど、そんなに困るほどじゃない。
ありがとう、とお礼を言ったと同時に、本鈴が鳴った。遅刻確定。
「あー、ごめん、余計なこと付き合わせて」
「ええよ、次よっぴーやし」
昼休み明け、五限は我らが担任よっぴーの英語であった。論理表現のほう。ごめん、よっぴー。
遅刻が確定すると、もう急ぐ気もなくしてしまう。桐山も同じみたいだった。はあ、と長い息を桐山が吐く。
「つうか、まじでひびったわ」
「え、そんなに?」
ふと、何気なく視線を下に落として、ぎょっとする。桐山の手が、ちいさく震えていたのに気づいたから。
「え、だいじょうぶやって、仮にもっと着地ミスっとってもさ、二階やで? たいした怪我にはなれへんよ」
「何階とか高さの問題ちゃうねん、さっきまで隣におった人間にな、いきなり窓から飛び降りられたら怖いねん」
ちょっと怒ったように早口でそう返されて、僕は思わず口をつぐむ。狭い、でも、ふたりだけだと広くも感じられる部室を満たす沈黙。
少し時間が経ってから、口を開いた。
「あの、桐山」
「なに?」
「ごめんなさい。僕が、考えなしでした。驚かせて、迷惑かけてごめん」
「……うん、べつに、全然ええねんけど」
いやよくはないか? と首を傾げる桐山に向かって、僕は続ける。
「それと、それ以外も、いつも……その、他にも、いろいろ、気遣わせてると思うから」
「え?」
「調べ物付き合わせたり、あと、ほら、さっきの、僕が窓から飛んだとき、
「あー……」
「呼び方、鈴鹿でもええで、いまさらやけど。中学のときからの知り合いは、いまでもみんなそう呼ぶし」
実は、桐山とは、中学のころから顔見知りだったりする。ほんとに、顔と名前を知ってる、程度だったけど。あと、プレースタイルくらい。
うちの中学のサッカー部は、桐山の中学とよく練習試合をしてたから。公式戦であたったこともある。
四月の入学式のあと、クラスで顔を合わせたとき、お互い一発でわかった。
だけど、高校からは僕は緒方姓で通しているので、桐山も緒方呼びに合わせてくれてる。
「や、いつもべつに、無理して呼んでるわけやないねんけど。さっきはほんまに、なんでやろ、なんか咄嗟にそっちが出た」
桐山は、自分でも僕の旧姓が出てきたのが不思議だったらしく、腕を組んでしばらく考えている様子だった。僕は、部室の隅にひとつだけ転がっていたサッカーボールを引き寄せて、座ったまま、ボールを蹴る。
「緒方さあ」
「ん?」
「高校でサッカーやらんの、なんで?」
いつか訊かれるかな、と思っていた質問ではあった。
ボールを転がして、遠ざけてから、なんて答えるか、考える。
ひとことで言うなら、やる気がなくなったから。
だけど、きちんと整理された部室で、ちゃんと部活を続けてるひとの前でそう言いきるのは、ちょっと、躊躇われた。
「……中学の引退試合さあ、会場、
僕が答えないでいると、桐山はそう切り出した。話の流れが読めなかったけど、頷く。
「うん」
「俺さ、見てたで、緒方らの試合。……あの、八人戦」
「……そういや、そうやったな」
思い出した。つうか、なんで忘れてたんだろう。
そうだった。中学の引退試合は、例年、夏前からはじまる地域の公式戦で、勝ち進めば、府大会へ進める。
僕の中学も桐山の中学も、そんなにつよいわけじゃないけど、でも、そこそこは真面目にやってた。お互い、府大会進出、が目標だった。
僕らは一回戦負けだった。
ある意味とうぜんの結果で、それは、試合の二日前に学級閉鎖が決まったクラスに、サッカー部の大半が固まっていたからだった。
もともと細々やってる公立校で、部員自体少なかった。三年は一部クラスが学級閉鎖で済んだけど、二年にいたっては学年閉鎖で、残った部員を集めても十一人に満たなかった。スタメンの三年キーパーも、学級閉鎖クラス所属だった。その状況下、小学校のクラブチームでキーパー経験のある一年がいたことだけは、不幸中の幸いだったと言えるかもしれない。だけど、余裕で負けた。
学級及び学年閉鎖の理由は言うまでもなく、感染症の影響である。
僕のクラスは、対象クラスじゃなかったので、僕は試合には出られた。だけど、不完全燃焼どころではなかった。
じゃあ、そのぶん高校で頑張ろうとか、そんなふうに切り替えられたらよかったのだろうし、ふつうはそうなるんだと思う。でも、僕は、そうならなかった。
「……なんかさあ、僕らがどんだけ夢中になったことでも、結局、それって、やらせてもらってることで、誰かの許可がないとできないことで、いつでも、切り捨てられるものなんやなって、あの試合のあと、わからされた感じやった、かも。うまく、言えへんけど」
どうして高校でサッカーを続けなかったのか、に対する返答には、どう考えてもなってないはずだったけど、桐山は、納得したように頷いた。それから、続けて言う。
「それは俺も、ちょっと、思ったというか、わかる気がする」
「そうなん? でも、桐山は、ちゃんと続けてるやん」
「どうやろ。入学してすぐ、廊下で会った中学の先輩に、入るよなって訊かれて、はいって言ってもうただけで、あんま、そんなちゃんと考えてはなかったで」
そんなものかもしれない。
僕も、なにかちょっとしたきっかけでもあれば、いまとは違う僕だったのかも。
だけど、もしそうだったなら、段下部長や春川先輩とは出会わなかった。
僕は、思い返す。部長と会った日のことや、春川先輩とはじめて喋った日のことなんかを。小説や漫画を借りたり、麻雀を教えてもらったり。だらだら過ごすだけの、意味もない、役に立たない時間が、ただそこに否定されずにあること、そのことに救われること。
「……うっしゃ、教室戻ろ」
そう宣言して、立ち上がる。
「え? もう半分過ぎてんで、いっそサボらん?」
「ええやん、一緒によっぴーに怒られに行こ」
「えー……まあ、ええけど」
隣で桐山も、しぶしぶといった調子で立ち上がる。
部室を出て、施錠をする桐山に向かって僕は言う。
「あのさ、桐山、ありがとうな」
「……もう、いきなり飛び降りたりすんなよ」
「うん」
僕は頷く。
だいぶアホなことをして、迷惑をかけたわけだが、おかげで、わかったこともある。わかった、というか、確信が持てた、というか。
時計塔の窓から飛び降りたとき──着地したとき、わかった。
「いっこ確認やねんけどさ、時計塔の中おっても、僕が着地したときの音って、聞こえた?」
「聞こえた」
人間がそれなりの高さから落下すれば、地面と接するときに音がする。
僕は身長が低いし、体重もかなり軽いほうの部類に入る。
ジュリエット先輩──暁築さんの体格はわからないが、いくら小柄だったとしても、仮に彼女が同じように窓から飛んで脱出をはかったなら、それなりの衝撃はあっただろう。とうぜん、音がするはずだし、中にいた段下部長たちが気づいたはず。
というか、わざわざ実験しなくても、部長とはじめて会った日のことを思い出してみれば、わかったはずなのだが。部長が二階から中庭に飛び降りたとき、桐山と鳴海が、教室まで音が聞こえたと言っていた。
現状で考えるかぎり、あの視線の密室状態だった通路から、姿を消す方法は思いつかない。
だったら、きっと、密室の構成条件だとされていたものに誤りがあった。
つまりは、最初にジュリエット先輩を確認しに二階へあがった女子生徒──本番でジュリエット役を演じた三戸さんが、嘘の証言をした。
なんのために、というのも、たぶんわかった。わかった、というか、気づいた、というか。
そしてそれは、当初考えていたような、嫌な理由ではないんだと思う。
桐山と廊下を歩きながら、それは確信に変わる。根拠はなく、推論でしかないくせに。
たぶん、三戸さんは、暁築さんのために嘘をついた。
暁築さんが、行きたい場所に、行けるように。
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