最強ハイテク説
第二生物室には、天井に換気口がある。大きさ的にひとが入るのはまず無理だろうが、小型のドローンくらいなら、出入りできるんじゃないだろうか。
つまり、遠隔操作トリックパターンだ。
ひとが直接入らずとも、換気口やもしくは施錠の確認をしていなかった窓からドローンを侵入させ、手紙を置く、ということが可能かどうか、という話。
「うーん……わたしも、正直、そんなに詳しいわけやないけど、産業用のロボットとかドローンやったら、技術的にできないってことは、ないと思う」
織部さんは、いったんそこで言葉を切る。続きをどう話すか悩んでいるようだった。
「体験してもらったほうがはやいかな。緒方くん」
「はい」
「どうぞ、操作してみてください」
「え、いいの?」
差し出されたコントローラー(プロポというらしい)をとにかく受け取る。こっちで前進と後退、こっちで左右移動と上昇下降、と説明されるも、なかなかこれは。
「難しいな」
「うん。慣れるといろいろできるけどね」
どこかにぶつけるのでは、とめちゃくちゃびびる。
織部さんにコントローラーを返すと、慣れた様子で八の字飛びを披露してくれた。
「これ、わたしも、機体を目視できるからここまでスムーズやけど、機体が見えない環境でやれって言われたら、ちょっと自信ない」
GPSやカメラ頼りの遠隔操作は、かなりの技術がいるようだった。
「実際、建設現場とか、鉄道のトンネル点検とかでドローンが使われてる例はあるけど、こんなのとは比べものにならないくらい高性能だよ。移動自体も難易度高いけど、その、手紙? 紙一枚つまんで、ビーカーでおさえて、みたいな操作ができるアームついたやつとかは、本気でつくろうと思えばできるだろうけど、高校生が遊びで使うのにたまたま所持してたっていうのは、考えにくいと思う」
ようするに、現実的ではない。
それに、そういったアームをつけると、バランスがとりづらくなり、さらに操作難易度が上がるらしい。
五千歩譲って、『差出人』が計画的に証人を欺くためにドローンを用意し手紙を置いたならともかく、生物室が衆人環視の密室状態になったのは、ただの偶然だ。倉田さんの定期清掃だけは予測できるかもしれないけど、柚木さんと宮本先輩が階段で喋っていたこと、朝比奈先輩が視聴覚室に残っていたことは予測できない。だから、計画的な事前準備がいる方法は、解答としては不適切。
まあ、本気でドローン使ったとは、思ってはいなかったけど。
文化祭実行委員の先輩からもらったお菓子を食べていた高町さんが、「なあなあ」と織部さんに声をかける。僕らの会話がいったん落ち着くタイミングを見計らってくれていたらしい。
「それ、わたしにも貸してー」
「……
「わかっとるよー」
コントローラーを受け取った直後こそ不安定に傾いたものの、莉子ちゃんこと高町さんの操縦は慣れたものだった。
「これ、撮影してるんやんな?」
「うん」
織部さんが見せてくれたスマホを覗きこむと、僕、織部さん、高町さんが、夕暮れの教室に並んでいる映像が映っていた。
「つうか、ほんまにすごいな。科学部って、みんなこんなんできんの?」
「ううん、自然科学部内でも、物理班とか、生物班とか、天体班とか、
しばらく、織部さんから科学部の活動内容について教えてもらう。
「科学部、兼部もありやから、入部ならいつでも歓迎だよ」
そう言われて、考える。段下部長も、春川先輩も、今年──というか、今年度で卒業だ。
先輩たちがいなくなったら、僕はどうするだろう。
ひとりで、あの部屋で、過ごすんだろうか。
織部さんの誘いはありがたいけど、でも、織部さんたちみたいに、熱心になにかに取り組めるか、といわれると自信がない。だったら、入らないほうがいい気がする。
そんなことを考えていると、廊下から、怪獣みたいな独特の足音が響いてきた。
「あ、やばい」
莉子ちゃん返して、と織部さんが高町さんからコントローラーを奪いとる。そのまま着地させようとしたが、足音の主──我らが担任の米谷先生、通称よっぴーが教室の扉を開けるほうがはやかった。
目をぱちくりさせて、空中に浮かぶドローンを見やり、それから僕らへと視線を向ける。
その顔が、引き攣っていた。
「おまえら、校舎内で許可なくドローンを飛ばすな!」
よっぴーの怒りは、もっともである。
実際、空撮用のドローンで怪我人が出た事例もあるのだ。
必要に応じて防具などをつけ、管理者──教師の安全管理のもと、使用するべきである。
「俺はこの手のことには疎いけど、もし、文化祭で使いたいとか正当な理由があるんなら、科学部の
「はーい……」
僕ら三人は、こってりしぼられた。
とくに文化祭で使用する予定は現時点ではないので、なんだか申し訳ない。
そのあと、そろそろ帰ろうかと荷物をまとめ、教室を出かけたところで、僕だけ米谷先生に引き止められる。
「緒方、ちょっとだけ時間いいか?」
「あ、はい」
高町さんと織部さんに手を振り、リュックサックをおろしてから教卓でプリント類を整理していた米谷先生と向き合う。
なんか、他に、怒られるようなことしたっけな。
「文化祭の準備、どう? 進んでるか?」
おまえらの自主性にまかせるから俺は楽させてもらうぞ、と僕らに対しては宣言しているものの、実のところ米谷先生は、かなり気を配ってくれている。
「大丈夫っす、みんな、めっちゃ進んでやってくれますし。今日も、高町さんがパンフレットの案内原稿担当してくれました」
「おー、ならいいけど。緒方と日笠ばっかりに負担きてるなら、適当に散らすから。おまえらも部活あるだろ」
「日笠さんはともかく、僕は先輩らとだべってるだけなんで、気にしなくていいですよ」
「いいんだよ、部活に貴賎はないからな。だべるのが目的の部活なら全力でだべれ」
その言葉をありがたく受け取り、お礼を言って、教室を出る。
教室を出る直前、なんてことないように、最近ちゃんと飯食ってんのかとか、体調の心配をされた。適当に誤魔化しつつ、あーいいひとだな、と思う。みんなのまえでおおげさに訊いてきたりしないあたり、よっぴーは自称おおざっぱというわりに、かなりデリカシーがある。
靴を履き替えて校舎を出ると、西の空が赤く染まっていた。夕方の気配が濃い道を、駅に向かって歩く。
ところどころで、祥楓高校の制服姿の生徒たちが寄り道をしているのを横目に進む。駅までは十五分ほど歩くけど、道程の半分ほどを商店街が占めているためか、あまり長いとは感じない。アーケードのおかげで、雨の日もあまり苦にならない。僕はあんまりしないけど、買い食いにも事欠かない。もっとも、閉まっている店も多く、感染症が流行った時期に格安クレープの屋台が潰れてしまったそうで、部長が残念がっていた。
駅に着き、電車に乗りこむ。ちょうど空いていいた席に座り、スマホで、柚木さんが話していたフェスを検索してみることにした。
『メロディック・スパークル』で検索すると、すぐに公式のサイトにヒットした。ラジオ番組主催の十五年近く開催されている十代限定のフェスで、観客や審査員による投票もあるらしい。感染症の時期も、観客なしで全国ライブ配信、というかたちで実施されていたそう。全国から出演者を募集し、審査に通過した十組がファイナルステージ、フェスの舞台へのチケットをもぎ取れるのだそうだった。応募状況を見てみると、なかなかの倍率。柚木さんの友だち、すごいな。過去の出演者には、僕でも知ってる有名なバンドも何組かいた。
例年、九月の四週目の日曜日が開催日のようだった。不運なことに、祥楓高校の文化祭も、例年その日程である。もし、軽音部の誰かが選考を通過しステージに立つことになれば、文化祭欠席は必須となってしまう。
「……ん」
ウェブサイトを漂っていると、画面上部にメッセージの着信通知が届いた。
送信者を確認すると【翼】とある。妹からだった。
ペンギンが手を振っているスタンプとともに、『9月24日ってひま?』とあった。
どんぴしゃで文化祭当日だ。
文字を入力しかけて、やめる。ちょうど、電車が駅に着いたところだった。最寄り駅ではないけれど、いったんおりて、ホームの空いているベンチに腰をおろすと、通話ボタンをタップする。
『……もしもし?』
「もしもし、翼? ひさしぶり」
メッセージで返してもよかったのだけど、こんなふうに予定を尋ねてきたりすることは滅多にないことなので、ちょっと、気になった。
「ごめん、その日、文化祭やわ。なんかあった?」
『あ、そうなんや。……ううん、ちょっと、訊いてみただけやから、気にせんといて』
少し引っかかるところはあったが、別段、塞ぎこんでそうだったり、沈んだりしている気配はなさそうだったので、ひとまず安心する。
文化祭ってなにすんの、と訊かれたので、僕らのクラスは脱出ゲームをやることになったと伝える。妹の中学の文化祭は、中高一貫校のため、高校と同時開催での実施らしい。日程も三日間あり、生徒だけの日、一般公開の日、芸術鑑賞の日、など、私立はやはり豪華だった。
「じゃ、またな。父さんも翼のこと気にしとるし、また中間考査終わったら飯でも行こや」
『うん』
通話を終えてから、次の電車が来るまでを、ぼんやりやり過ごす。
つい一年前までは、わざわざ誘わなくたって、一緒に台所に立って、食卓を囲んでいたのにな、と思う。母親も父親も、わりに多忙なので、僕らは小学生のころから自分たちで簡単な料理ならつくっていたし、掃除や洗濯もある程度はできる。
最近、どうも父親は仕事がたてこんでいるようなので、一緒に夕飯をとる機会が減っていることもあり、まじで食事が適当になりがちだった。
ひさしぶりになんかつくるか、と思い立ち、スーパーに寄って帰ることに決める。
イヤホンを取り出し、耳に装置する。ランダムでシャッフル再生した曲は、中学のころ、試合の日の朝によく聴いてた曲で、一瞬、自分の、いまいる場所を忘れかけた。音楽って不思議なくらい、記憶と紐づいている。なぜか急に、泣きたい、と思った。泣かないけど。その代わりに、ボリュームを上げる。ぜんぶ、かき消して、ぶっ飛ばしてくれそうな音に身を委ねて、電車が来るのを待つ。
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